卒 団

agboy

今日で長らく管理させて頂いていた麻生ジャイアンツさんのホームページも契約満了。本当に色々お世話になりました。
2009年の5月、独立して間も無い僕は桑田さんから代官山のイタリアンレストランに来るように言われ、その場で人払いをされた桑田さんが仰ってくださった「何も心配しなくて良い。俺が付いてるから」という一言を僕は忘れません。39歳で何の準備もせずに独立した僕にとって、その言葉は暗闇の中に射す一筋の光でした。
そして、その後移動中の車の中で「この前話したNPOと麻生ジャイアンツの仕事を依頼したい」と仰ってくださったのでした。
二ヶ月後に生まれて初めて行った恵泉グランド・・・その一年後にあんなに通うことになるなんて思わなかったです。とても遠く感じられたその場所が、気がつけば本当に近所のグランドのように感じることが出来るようになったのは、行く度に優しくしてくださった父母会の皆さんの心があったからこそだと思っています。桑田さんは僕に仕事だけではなく、そういう皆さんとの交流も与えてくださり、それは僕にとってかけがえのない財産になりました。

毎年9月から新チームに切り替わる為、ホームページのトップ画像もそこで切り替えるのが定例となりました。いつも8月の夏合宿で撮影、戻って作業して8月31日の夜に更新というパターンで4枚のトップ画像を作りました。最初の二枚分は宇都宮で、後半の二枚は関西で撮りました。
一枚目は勝手も分からずなかなか踏み込めなかった為、素材用として撮りためた中からヘルメットの画像を今村チーフが選んで使ってくれました。
二枚目は二度目に伺った夏合宿でドカベン世代の僕が撮りたかった絵を撮りました。
三枚目は関西で夏合宿中、ツアコン的な仕事がメインで殆ど撮ることが出来ない中、なんとか最終日に撮りました。円陣の中でストロボたいて表情を出すのは不自然だとルーキーズを見ながらいつも思っていたのでリアルに夏のギラギラした感じを出したくてあえて逆光で撮ったのですが、とにかく撮影する時間がなく、一発でイメージ通りのものが撮れて安堵したのも今では懐かしい思い出です。キャプテンの森田君を中心に皆が発するかけ声を円陣の中心で聞けて嬉しかったです。
四枚目も関西の夏合宿中に撮りました。もうこの時は麻生ジャイアンツがこれでラストシーズンになることも決まっていましたし、元気一杯なチームの雰囲気で締めたかったので、二枚目と同じドカベン構図を更に突っ込んだ絵にしました。もう選手の皆との付き合いもそれなりにあったので、「こっち見たらアカンで!」と言っているのにカメラ目線を送ってくる子達がいて微笑ましかったです。最後の最後にちゃんと選手の皆さんとの距離もこうして縮めることが出来たんだなぁと思いながら更新作業を行ないました。
全て僕にとって一生忘れることの出来ない写真です。

僕は麻生ジャイアンツさんに対して何も貢献出来ずに、ただただ皆さんに優しくして頂いただけで終わってしまい、本当に反省することばかりです。
春、小学校を卒業したての新入団の子達のプロフィール写真を撮るのが楽しみでした。
夏、ギラギラした太陽の下で駆け回る子供、見守るお父さんお母さんから元気を頂きました。
秋、吐きそうなほどに切ないグランドに差し込む夕日を忘れません。
冬、吐き出す白い息が空に溶けていく中、成長した子供達の表情を見るのが楽しみでした。
気がつけば本当にたくさんの思い出が一杯です。僕と皆さんの時間はたくさんの写真の中に生き続けると思います。個人的にも色々あった4年間、僕の思いも背負ってくれたチームだったと思います。僕と少年野球の関わりは、今後もアミーチ・デル・クオーレを通じて続いていくと思いますが、僕を救ってくれたこのチームを僕は一生忘れません。
ありがとう!麻生ジャイアンツ! 一足先に卒団させていただきます。

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