よろしくお願い致します!

以前より何度か書いてきた、僕が企画し撮影を行なった父の本が、7月6日に発売になります。一昨日無事に見本が届き、もうここから中止になる事は無いだろう!との事で、正式にご案内させて頂きます。

dancyu特別編集 巨人ナインが愛した味

長嶋茂雄、王貞治、堀内恒夫、原辰徳、桑田真澄……、そして川上哲治。 巨人軍が関西遠征時に泊まる宿として知られる「竹園旅館」で、 “梅ちゃん”の愛称で慕われてきた元料理長が、常勝監督や人気選手との 秘蔵エピソードとともに、絶品レシピ40を初公開! あの監督が、選手が、惚れに惚れ抜いた料理が、家庭で簡単につくれます!

上記画像左側が表表紙、右側が裏表紙となります。右メニューの表紙画像をクリック頂くとアマゾンに飛びますので、是非よろしくお願い致します。勿論、お近くの書店でもお買い求め頂けます。是非手に取ってお楽しみ頂ければと思います。基本はレシピ集ですので、タイトルのまま巨人ナインが愛した味をご家庭で楽しんで頂けます。

昨年の3月一杯で現役を退いた父に対し、何かしてあげれる事はないか?と思い、5月から色々動いて一年と少し、ようやく発売になり感無量です。

僕は本当にお金の為とかではなく、ただただ父の生きた証をなんとか残してあげたい!という、おこがましいとは思いますが、彼に人生を与えてもらった者として、純粋にそう思ったのが全ての始まりです。

加えて、昨今は家族で食卓を囲む機会が減っていると聞きます。そんな中、この本を手にして頂き、「巨人の選手はこんなメニューを食べていたのか!」等と、全国津々浦々のご家庭の食事の際の会話のきっかけになってもらえれば、そんな気持ちから企画させて頂きました。

まぁ、本当にそんなおこがましい事を考えれる程、僕自身が立派な人間ではありませんので、結果的にこの本が出るまでに本当に苦しい思いをしましたし、その結果たくさんの人、大切な人に迷惑をかけてしまいました。本が出たから許してもらえるとは思ってはいませんが、色んな思いを一旦置いて頂き、この本を手にして頂ければと思っております。

先程も書きましたが、この本は基本的にレシピ集です。ただ、そのレシピで料理を作ってみたいと思って頂くという部分において、色んな料理にまつわるエピソードが掲載されています。父の自伝的内容と相まって、本自体の完成度も高いと自負しています。

そんな色々なエピソードの中で、僕自身も同じ思いで接してきた堀内さんへのくだりや、桑田さんが父に与えてくれた引退試合のくだりが僕は一番好きなんです。僕の好きな歌の歌詞に「男達は魂で生きている。優しく着飾った言葉等いらない」というフレーズがあるのですが、まさしくそれを実感するエピソードなんですよね。父は本当に魂で生きてきた人だし、僕もそうありたいと思って生きています。

そんな魂の交流は、本の最後で長嶋さん、原さん、桑田さん、そして川上さんからの父への手紙が表現してくれています。皆さん、本当に優しい、心の暖かい人達で、純粋に父への思いを綴って下さいました。本当にありがとうございました。

父が僕に教えてくれた一番大事な事は「人を欺くな」という事。父もまた裏切られても裏切られても人を信じて生きてきた真っすぐな人です。そんな父の人生、そしてただただ美味しい物を提供したいという思いだけで作って来た料理の数々を、真っすぐに本にする作業を企画出来た事が、少し誇らしい今日この頃です。

本当に良い本だと思います。是非直接手に取ってお楽しみ下さい。よろしくお願い致します。

迷わずこの道を行くだけ!

お世話になっている桑田真澄さんから関西某所に迎えに来て大阪市内まで送って欲しいと連絡があり、いそいそと上記画像の所まで出かけて来ました。浜の色でどこか分かる人もいるんでしょうけど、その辺はご本人のブログで近々更新されるでしょうから、そちらでご確認下さい。

しかし遠かったスね。久しぶりに長距離を走ったような気がします。と言いつつ、数ヶ月前に四国まで同様の事があった訳ですが・・・。

こういうロングドライブ、二人の時は良いけど一人の時は割とキツい。ただ、今回のように行きに一人で帰りが二人というのはありがたい。僕の場合、特に音楽もかけずにずっと考え事をしている感じなんですよね。そりゃもう新幹線でも同じ。考え事をするのが趣味みたいなもんなので、長時間がさほど苦にならない。ただ、それはN700系が僕を運んでくれる時の話。さすがに自分で運転すると、そっちに集中しないといけませんからね、なにかと大変ですよ。

今回、仕事の事なんかで割と色々悩んでいる事があって、その辺についてずっと考え事をしていて、そのまま桑田さんを乗せて相談に乗ってもらったので、もの凄く有意義な時間になりました。車中、延々と僕のこれからの仕事に対する取り組みやお金の回し方等について真剣に相談に乗って頂き、本当に感謝しております。ありがとうございました。

ホテル到着後は二人で中華料理のレストランで汁ソバをすすって一旦別れ、夜にカミさんと姉も呼んで頂いて食事をご一緒させて頂きました。もう長いお付き合いである事を皆で噛み締め、心地良いワインの酔いと共に幸せな気分に浸れました。ありがとうございました。

まぁ、本当に色々あってお金を稼ぐのは大変な事なんですけど、一生懸命頑張って毎日をしっかり生きるだけで、自分自身迷わずこの道を行くだけなんだ!という事を再認識させて頂いたような気がします。まだまだ気持ち的に上記画像のように晴れ渡っている訳ではありませんが、晴れを呼ぶのも自分自身なんで、とにかくやるだけですね。

永遠の別れを撮る

一つ前のエントリーでも書きましたが、カミさんが10年来お世話になっている鍼の先生のお世話になりました。脇腹痛がどうしようもなく、鍼とかお灸は恐いのでヤだったんですけど、背に腹帰られず行って来ました。結論から言うとムチャクチャ効きましたね。それよりも何よりも、以前も書きましたが原因がハッキリする事が一番スッキリする事な訳で、先生の診断はビシビシと鋭い事を突いてきて、それも気持ち良かったです。

そんな中、僕が診察に伺った翌日に先生のお母様が亡くなられ、お通夜と葬儀を撮りに来て欲しいと依頼されました。診察の際に僕自身の仕事論みたいな事を話していたので、それが気に入ってくれたのか、カメラマンが診察に来た翌日の出来事だったので、たまたま記録として残したいと思っていたところ、僕の顔が浮かんだからなのか定かではありませんが、とにかく撮らせて頂きました。

ファインダー越しに見ていると、もの凄く客観的な視点になるんですが、故にもの凄く胸に迫るものがありましたね。人様の家族の永遠の別れなのに、もの凄くリアルでした。実際、撮ってて貰い泣きする場面も多かったし、カミさんから話は聞いていたとはいえ、一度診察を受けただけの間柄なのに、最後の先生の挨拶はもの凄く胸に入ってきました。ファインダーって本当に魔法ですね。

今、仕事の事を含めて色んな事を考える時期に来ていて、先日も書きましたが、本当に大事なものを無くしてしまいそうな気がしてるんです。今回、永遠の別れを撮らせて頂き、絶対に無くしてはいけないもの、すなわち自分自身をもう一度構築する必要がある、そういう事を痛感させられました。そういう機会をも与えて下さった先生に心から感謝したいと思います。

人のためとかおこがましい事ばっかり言ってたような気がします。まずは自分自身の為にしっかり生きる、そっからやり直したいと思います。

自由業さんの厄年

ショーケンは70年代がピークだと思うけど、「課長さんの厄年」とか「外科医柊又三郎」辺りまではまだ良かったんだけどなぁ・・・。

冒頭の写真は全く関係無い写真で、ウチにヘルプに来てくれる今村チーフ。彼が知人のMマウントのレンズを持って来たので、それを付けて久々にM8で撮りました。この人が厄年な訳ではありません。厄年になっても関係無さそうな顔ですし・・・。

さて、厄年です。僕も今年で四十。ついに大厄に突入しております。だからかどうか分かりませんが、仕事の順調ぶりとは裏腹にフィジカルとメンタルは落ち切っています。

そんな中、いよいよ体の調子が悪いので、今月に入ってから色々検査を受けたんですが、内蔵系は全く問題無し(プレミアムモルツ禁止令は出ましたが)、でもしんどいのが取れない、脇腹の痛みも取れない、いよいよヤバいんじゃないかという事で、カミさんがずっとかかっている鍼の先生の所に昨夜行ってきた訳ですが、先生からも「ボロボロやね」と言われる始末。オマケに数年前のギックリ腰(自覚症状無し)の後遺症で体の軸がズレており、そっから歪み切ってしまったのを矯正してもらうという、そういう治療でした。

前略おふくろ様、子供の頃、新日のテレビ中継で藤波選手の背中にたくさんあり、なんやあれ?と思っていた吸玉の跡が、今俺の背中にもついています。と、サブちゃんのように頭の中でブツブツ言う今日の僕ですが、吸玉、鍼、お灸等をビシビシ決めて頂き、なんとか“普通に座れるように”なりました。

先生から「相当ボロボロでここ数ヶ月60~70%くらいしか呼吸出来てなかったと思う。イライラしただろうねぇ・・・」と言われたんですが、確かに酸素の薄さを感じてはいたんですよね。それが原因で正直ギリギリの所で踏ん張れなかった部分もありました。

治療が終わった後、胸に空気がスゥっとたくさん入ってきた時と、軸を直してもらった後、脇腹のどこが痛かったのか分からなくなったのは、まさにマジックのようでした。

とにかく、ずっと落ちていたフィジカルとメンタルが、実は背中のズレからフィジカルの崩壊がはじまり、呼吸が満足に出来ない事でメンタルも一緒になって落ちていった事が分かってホっとしています。「原因不明」だけが一番しんどいですから。

ただまぁ、大厄ですから・・・まだまだ何かありそうな気はしてます。俺の予感は割と当っちゃうんですよね。色んな代償としてきっと大事な物を無くしちゃうような気がするんですよね。それだけは避けたい今日この頃です。

ちゃんと生きてます

ご無沙汰しておりますが、俺、生きてます。そう、Still Aliveです。それなりに元気です。ただ、フィジカルとメンタルのバランスが非常に悪く、日々生きる事で精一杯という感じではあります。

とはいえ、仕事をしないと生活出来ませんし、ましてやフリーでやってますんで、僕が動かないとお金が生まれない訳で、ありがたい事にこういう状況でもお仕事を頂けていますから、とにかくがむしゃらに取り組んでいる次第であります。

なんだかんだと桑田さん絡みの打ち合せでロードにも出てますし、本の出版に関する件もちゃんと動いてますし、契約頂いた保育園にも撮影に行ってますし、新しい仕事の打ち合せも行なってますし、いつもポスターでお世話になっている六甲味噌様からは、お中元のカタログの制作(勿論撮影も!)の発注を頂きまして、それもしっかり作り込んでますし(画像)、いやいや、本当に何かとバタバタしてまして、そういう一つ一つをブログに書いたりツイッターで呟ければ良いんでしょうけど、正直本当にそういう余裕が無いんですよね。

今もまだ余裕がある訳でもなく、今月も休日返上でやらないと間に合わない状態が続いている訳で、落ちたフィジカルとメンタルもようやく上がりつつはあるんですが、いまだ完調と言える状態ではなく・・・。

とにかく、一部の方からご心配のメールを頂いたりしたので、「ちゃんと生きてます」という事だけは書いておこうかな、と。ご心配頂いた皆さん、どうもすみません。

最近の夜の楽しみは部屋で一人で“前略おふくろ様”のDVDボックスをむさぼるように見る事なんですけど、なんかあれ見ちゃうとブツブツ独り言が増えるよね、それも口に出す訳ではなく頭の中で。最近の俺、本当にそんな感じです。

燃える涙

昨年の3月、父が退職しました。その時の経緯や理由はあえてここでは書きませんが、僕の中では、98年にスイスでキング・カズが代表から外された時と同じような、そんなやり切れなさがありました。

僕は職人である父と商売人である母の子供として、その両方のエッセンスを頂き育ってきたと思っています。故に今、職人としての仕事だけではなく商売人としての仕事も頂けているのだと思います。職人としてだけ(要するにカメラマンとしてだけ)では、39歳での独立はキツかったのかなと思いますし、便利屋だと思われようと、何でもこなしてお客様に喜んで頂ける事が一番の幸せだと思えるのは、やはり商売人の家庭で育った性なのかもしれません。

話が逸れてしまいましたが、職人である父にとって、引退とは自分の思ったような味が出せなくなった時だと思います。そんな職人にとってまだ燃えるものがあるのにフライパンを取られてしまうのは、本当に辛く哀しい事だったと思います。この一年、彼はそういう思いと闘って生きてきたのではないかと思います。

そんな中、お世話になっている桑田さんから、以前より「お父さんに家で料理をしてもらいたい」と申し出があり、本日ついにそれが実現しました。現役を貫ける事の幸せを知っている桑田さんだからこそ、こういう申し出をしてくれたのだと思います。どこかで区切りをつけなければならない、でもその場所が無い、だったら自分が提供したい、そういうお気持ちからの申し出でした。本当に心から感謝致します。

さて、桑田さんのお宅ではじまったホームパーティー。父が料理を作り母と姉とカミさんがサーヴし僕が写真を撮った3時間半。一年ぶりに人様の為にフライパンをふって料理を作り、皆さんに本当に喜んでもらった幸せな時間でした。

すべてが終わった後、父は「桑田さんのおかげで料理人としての誇りを取り戻す事が出来た」と涙を流していました。その涙は、仕事を全うした者だからこそ流せる、本物の燃える涙だったと思います。

自分が納得した物を作り、それを人様に喜んで頂ける、それが全てだと思える仕事が出来る、僕も燃える涙を流し続け生きていきたい、心からそう思えた春の夜でした。

桑田さん、本当にありがとうございました。

エンコの話

少し前に浅草「ちんや」さんの住吉さんから浅草がその昔エンコと呼ばれていた事を聞き、その際いつか住吉さんが自身のブログで語ってくれるでしょうと記したのを覚えている方も多いかと思います。そうです。書いて下さいました。

ずばり、タイトルは「エンコ」です。どうぞご一読下さい。

いやいや、U社長とか書かれると辛いですね。社長じゃないですから・・・。生涯一現役でいきたいと思ってるんです。

まぁ、そんな事はどうでも良い。とにかく、住吉さんにブログを納品させて頂いたのが先週の日曜日。それからもの凄い勢いで書いてアップして下さってます。それがまた面白い。皆さんも是非ブックマークして下さい。

浅草ちんや六代目のすき焼きフルな日々

僕のクライアントさんは皆さん本当に気持ちの良い方が多いです。皆さんのおかげで本当に楽しく仕事させてもらってます。感謝感謝です。

頑張らねば!

新幹線に乗る前に書店に立ち寄ると、お世話になっている桑田さんが表紙の本があり、何気にパラパラめくると、自著を発刊される事が掲載されていました。前々から本を出すという話を聞いていて、「表紙は僕に撮らせて下さい!」と身の程知らずな申し出をし、常に苦笑いをされていた訳ですが、さり気なくショックだったのは、その表紙が、まさしく僕だったらこう撮る!と思っていたコンセプトと全く同じだった事です。恐らく、使用しようと思っていた機材、ライティングもほぼ同じだと思います。

勿論、僕が選ばれなかったのは当然の事ではあると思うんですが、自分の頭の中にあるものが自分ではない人の手によって成されるのは、それはそれで辛いものです。

いや、だからそういう発言も身の程知らずではあると思うんですが・・・。

昨夜、プロフェッショナル~仕事の流儀~という番組で、三浦カズ選手が「この歳になると惜しいではダメ。決めないと・・・」という言葉を呟いていて、もの凄く胸に響きました。

僕の場合、たかだか独立して一年も経ってない訳ですが、キャリアはもう充分にあるはずで、年齢的な事を考えても、惜しいではダメなところに来ています。身の程知らずであろうとなかろうと、決めるべきところはしっかり決める、そうする為にどうすれば良いのか、それを日々考えて生きていく、僕にとっての二人の賢者が、そう教えてくれたような気がします。

長い一日

という訳で、今日は本当に長い一日でした。4時に起きて準備して5時に家を出て京都へ。お世話になっている桑田さんより京都から四国まで送って欲しいと依頼されたので行って来ました。本当にお世話になっているのでこれくらい当然です。車中、色々話せますし、それは本当に有意義な時間ですから。

前の仕事の時もこういう事はしょっちゅうあったので、さほど苦にはなりません。某大物監督さんを岡山マスカット球場から大阪のロイヤルホテルまで送らせて頂いた事もありますしね。

桑田さんの場合、現在進行形で色々仕事もさせて頂いているので、その辺の打ち合せも兼ねて今回は本当に2時間半、アっという間に過ぎました。

写真は桑田さんを降ろした後、さぬきのサービスエリアで撮りました。真ん中の小島の向こうは小豆島です。数年前、小豆島の島宿「真里」という所に泊まった事があるのですが、とても良い宿でした。もう一回行きたいですね・・・。

さて、11時30分には事務所に戻ってこれたので、そこからまかないを頂いた後、すぐに作業開始。

15時からは今日一発目の撮影。市内のレストランのメニュー用の撮影です。勿論、メニューのレイアウトもさせて頂いているので、撮った後はその作業に突入。今現在、他にも色々平行して作業が進行しているので、頭の中をクリアにさせて臨んでいます。特に今日のように撮影が絡む事に関しては、撮ったイメージをそのままレイアウトに生かせるよう、出来るだけその勢いのまま作業に突入するよう心掛けています。

で、その作業の途中に義兄サンが現れ、二発目の撮影へ。大阪のスーパーマーケットの竣工写真。竣工写真といってもすでに完成している物件につき、営業が終わった後の撮影となりますので、22時という遅めのスタート。なぜにそうなったのかは諸処の事情があると思いますが、詳しく知りません。僕は頂いた仕事をこなすのみ!ですから。

義兄サンにも手伝ってもらって、図面に書かれた指示通り30分程度でサクサクと撮り終え、自宅に戻ったのが日付が変わる頃。

長い一日でしたが、さほど長く感じられなかったのは、充実している証拠なんでしょうね。ありがたい事です。

関係ありませんが、撮影までの時間調整に義兄サンがラーメンを奢ってくれたんですが、強烈な店の強烈なラーメンでした。いや、本当に強烈でした・・・。

隣駅の実態を見た!

今日は麻生ジャイアンツのSマネージャーと打ち合わせ。午前中にホテルの部屋で作業を行った後、いつもの明治神宮に参拝に行ってホテルに戻り、温泉に入ってから出かけました。

麻生ジャイアンツというだけあって、皆さん川崎市麻生区周辺に住んでらっしゃるので、僕も仕事をさせて頂くようになって、よくこの街に来るようになりました。いつもは小田急の新百合ケ丘という駅で降りる事が多いのですが、今回はS氏行き付けという隣駅の百合丘駅前の串坊主というお店へ。

いやぁ、新百合ケ丘の駅が巨大なマンモスタウンにふさわしいにぎやかな駅なのに比べ、百合丘の駅はどこか懐かしい、そんな昭和の匂いのする駅でした。いや、僕はこういう雰囲気大好きですけどね。

でまぁ、上記画像にあるような商店が並ぶ風景も胸にグっと来る訳で、その中にあるお店で2時間半程楽しい打ち合わせを行わせて頂きました。Sさん、ありがとうございました。

いや、勿論ちゃんと打ち合わせも行いましたよ。ご心配無く。大半は楽しい一時でしたが・・・。

で、いつもの新百合ケ丘に移動し、桑田さん宅で別件の打ち合わせをする予定だったのですが、渋滞に巻き込まれたとの事で流会。そのままUターンしてホテルへ。

麻生ジャイアンツの父兄の皆さんの暖かい気持ちに触れ、良い仕事でお返ししたい!と気持ちを引き締めた夜でした。