4月1回目のロード終了!

またロードか!と言われそうですが・・・。正直、僕自身も割と大変。各方面から「こっちに引越してきたら?」とまで言われている訳ですが、そうそう生活のベースって変えられませんよね。という訳で、当面はロードが続くと思います。

今回は桑田さん宅でのホームパーティ。巨人軍球団事務所での打ち合わせ。桑田さんのプロジェクトで共に実動部隊として活動する事になってるS田氏との打ち合わせという流れでした。麻生Gのシステム変更に伴う打ち合わせも行う予定だったのですが、急遽撮影が入り早く帰らないといけなくなったので、翌週にしてもらいました。ええ、来週もロードがあるんです・・・。

とはいえ、呼んで頂ける事は本当に幸せな事ですから、カメラとMacを持ってどこへでも行く所存です。

と、サラっと書いてますけど、やっぱり機材持っての移動は大変です。特に今回は撮影が無かったのに撮影に出てからそのままロードだったので余計に重く感じました。トホホ。

関係無いけど、MacBook Airって、新幹線の座席の後ろの網の所にスポっと入るね。

毎回ちゃんと明治神宮に参拝していますが、さすがに今日は混んでました。というか原宿が凄い人だったんですけど、誰かいたのかな・・・。

帰りに八重洲大丸に寄ったんですけど、ねんりん屋の行列が全くなかったのでサっと入り込んだらすぐにまた行列が・・・。もの凄いエアスポットにハマり込めたんでしょうね。ツイてるのか、俺。でも、そんな事でツキを使いたくないや・・・。

4月に入ってから写真NGのエントリーが多いですね・・・。

発売に向かってGO!

という訳で、ようやく本の話が出来るようになりましたのでご報告します。

父が昨年の3月で退職した事は昨日書きましたが、それを機に父の料理人としての生き様の記録的な物が出せないかと思い、フードジャーナリストの向笠先生にご相談したところ、プレゼン資料を作れば出版社を紹介して下さるとのことで、指示に従い動いていると、気がつけばプレジデント社さんから本を出版して頂ける事になっていました。

本当に向笠先生をはじめ、たくさんの方々のお心遣いのおかげだと思っております。本当にありがとうございます。

僕が掲げたコンセプトは、ただただ父の料理を全国のご家庭で再現して欲しい、それだけだったんです。お金が欲しい訳でも名誉が欲しい訳でもなく、ただただ職人としての父の生き様が詰まった料理が、色んな家庭で再現され、「美味しいね」と食べて頂きたい、本当にそれだけなんですよね。きっと、その思いが皆さんに伝わったから出版に辿り着けたのだと思います。皆さん、本当に良い人ばかりで良かったです。

とはいえ、出版社の方は本を作って売るプロですから、どうすれば良い本が出来るのかという事を真剣に考えて下さり、どうすれば本を手に取った人達が父のレシピで料理を作りたくなるのか、そういう事を追求して頂き、結果父の料理を食べてきた人のエピソードを掲載する事になり、その人達というのが、巨人軍の方々だったので、本日巨人軍の球団事務所に本の企画書を持って行き、何の問題も無いとのご判断を頂けたので、ようやく公表出来る運びとなりました。今まで勿体付けて申し訳ありませんでした。フライングして話が潰れたらマズ過ぎますので自粛してきた次第です。

ここ最近、連日のように「レシピ本の撮影」と書いていたのは、この本の撮影だったのです。本当は僕ではない人を選んで下さったも良かったのですが、向笠先生をはじめ、出版社の皆さん、多くの方々から「君のお父さんに対する気持ちが我々を動かしたのだから、最後は君が写真で応えなさい。」と言われ、心を込めてシャッターを切らせて頂きました。

本は6月20日~30日頃に発売になります。またこちらでお知らせ致しますので、是非よろしくお願い致します。

燃える涙

昨年の3月、父が退職しました。その時の経緯や理由はあえてここでは書きませんが、僕の中では、98年にスイスでキング・カズが代表から外された時と同じような、そんなやり切れなさがありました。

僕は職人である父と商売人である母の子供として、その両方のエッセンスを頂き育ってきたと思っています。故に今、職人としての仕事だけではなく商売人としての仕事も頂けているのだと思います。職人としてだけ(要するにカメラマンとしてだけ)では、39歳での独立はキツかったのかなと思いますし、便利屋だと思われようと、何でもこなしてお客様に喜んで頂ける事が一番の幸せだと思えるのは、やはり商売人の家庭で育った性なのかもしれません。

話が逸れてしまいましたが、職人である父にとって、引退とは自分の思ったような味が出せなくなった時だと思います。そんな職人にとってまだ燃えるものがあるのにフライパンを取られてしまうのは、本当に辛く哀しい事だったと思います。この一年、彼はそういう思いと闘って生きてきたのではないかと思います。

そんな中、お世話になっている桑田さんから、以前より「お父さんに家で料理をしてもらいたい」と申し出があり、本日ついにそれが実現しました。現役を貫ける事の幸せを知っている桑田さんだからこそ、こういう申し出をしてくれたのだと思います。どこかで区切りをつけなければならない、でもその場所が無い、だったら自分が提供したい、そういうお気持ちからの申し出でした。本当に心から感謝致します。

さて、桑田さんのお宅ではじまったホームパーティー。父が料理を作り母と姉とカミさんがサーヴし僕が写真を撮った3時間半。一年ぶりに人様の為にフライパンをふって料理を作り、皆さんに本当に喜んでもらった幸せな時間でした。

すべてが終わった後、父は「桑田さんのおかげで料理人としての誇りを取り戻す事が出来た」と涙を流していました。その涙は、仕事を全うした者だからこそ流せる、本物の燃える涙だったと思います。

自分が納得した物を作り、それを人様に喜んで頂ける、それが全てだと思える仕事が出来る、僕も燃える涙を流し続け生きていきたい、心からそう思えた春の夜でした。

桑田さん、本当にありがとうございました。

新しい一年

昨年独立した際、とあるご縁で知り合った保育園の理事長様に挨拶状を送ったら、「今期はもう別の所と契約をしてしまったけど来期は是非」と仰って頂き、独立後で不安だったのでもの凄く嬉しく、その言葉だけで充分と思っていたら、本当にご契約頂き、本日最初の仕事として入園式を撮らせて頂きました。本当にありがとうございます。

僕は一年をどこで区切るかなんて特別決めている訳ではなく、一応正月で区切るようにはしているのですが、こうして年間契約の新規の仕事が始まった時は、なんというか、僕にとっても新しい一年が始まったような感じがします。

更に、今日の仕事は子供達にとっての新しい一年の始まりに立ち会い、それを記録する事だったので、余計にそう感じました。ファンダーを覗きながら、無垢な子供達の笑顔に“おめでとう”の言葉と共にシャッターを切らせて頂きました。

子供達と共に始まった僕の新しい一年。色んな行事で子供達とふれあっていく事に喜びを感じ、来年の今頃、また新しい一年の始まりを同じ気持ちで始められるよう、心を込めて取り組んでいきたいと思います。

Still Alive/03/2010

先月からの流れで怒濤のラッシュが続く中、今月は出張も多く、気がつけば3回のロードがありました。いつも書いてますけど、僕はカメラとMacを持って呼ばれればどこへでも行きますが、さすがに体力的にキツかったですね。いや、本当にありがたいことですが・・・。

それにしても今月も色んな物を撮らせて頂きました。いつもの料理やエプロン、人物にはじまりアクセサリーから竣工写真まで。♪小さな物から大きな物まで~♪というCMソングがずっと頭の中で鳴り響いていた、そんな感じの毎日でした。

撮るのが好きでこの仕事をしているので、本当に楽しい毎日ですが、僕の場合、色んな事を看板に掲げているので、撮るだけではなく考えたり作ったり、色んな仕事をご依頼頂けます。実はそれを頭の中で整理するのが一番大変な仕事なのかもしれません。まぁ、その辺はA型なので得意な訳ですが・・・。

今月も無事に“まだ生きてる”と呟ける事に幸せを感じ、とにかく今月一番胸に響いた言葉「この歳になると惜しいじゃだめ。決めないと。」を今一度自分に言い聞かせ、明日からまた頑張っていきたいと思います。

明日のために打つべし!

というフレーズがここ最近の僕の頭の中に渦巻いています。まさに怒濤の日々を生きている訳ですが、何も考えずに明日のために打つべし!打つべし!打つべし!の精神で頑張っております。まぁ、打つべしというよりは撮るべし!なのかもしれませんが・・・。

とにかくここ数日は本当に撮りっ放しの毎日。毎日なんだかんだと色んな物を撮らせて頂いている訳ですが、28日から30日の三日間は、出版予定の本の撮影が続きました。本に関しては4月2日以降に全貌をお知らせする事が出来ます。もう少しお待ち下さい。

で、自社スタジオでセットを組みつつ、鍋の撮影は竹園さんにご協力頂き、せっせとセットを運んで撮ってきました。久しぶりにグリッドスポットを湯気に当てて臨場感を出してみましたが、なかなか良い感じに仕上がったのではないかと思っております。まだRAWデータですので拡大表示でご覧頂ける感じではありません。というか、本が出たら是非手にとって頂ければと思います。

やっぱり単行本の撮影となると、ちょっといつもと違うテンションになりますね。印刷という部分でも気を使いますし、出版社の意向的な部分でも気を使います。任せてもらってはいるんですが、本全体のトーンを損なわないか?等、やってる間は色んな事を考え、その中で自分のベストを出し尽くした感じです。合計40種類の料理に数百カット。これからセレクトして一気に現像です。撮影は全部で6日間に及んだんですけど、トーンを統一する為、データは一気に同じ日に!と思ってます。破綻の無いデータが上がってきてますので、ここからが僕の本領を発揮するところです。集中して頑張りたいと思います。

でまぁ、その料理撮影だけに集中出来れば良かったんでしょうけど、嬉しい事に他の撮影依頼も多く、更に同時期にお世話になってる人のご子息とその友達が遊びに来て、もう超が付く程のスクランブル状態で、嬉しい悲鳴と本気の悲鳴を交互に上げる日々が続いております。

とりあえず、本日子供達が無事に帰って行きましたので、たまっていたレイアウト作業や仕事で依頼されているwebの更新作業を一気に済ませ、なんとか怒濤の今週の真ん中までやってきた、そんな感じです。

とにかく、そんな状態ですので、何も考えず、明日のために打つべし!を実践していきたいと思っております。

でも、いつまでもこういう日が続いて欲しいですね。そうなるように頑張ります。

3月3回目のロード終了!

という訳でそういう事です。今回は1泊2日と短かったですが・・・。

それでも内容自体は濃かったです。打ち合わせメインだったんですけど、昨日の昼にフードジャーナリストの向笠先生、夜に4月から本格始動する桑田さんのプロジェクトに関して事務局としてタッグを組むS田氏、そして今日の午後にブログを納品させてもらったちんやさんの住吉さんと会談。こちらは納品後のアフターケア的な感じで、殆どが談笑でしたが・・・。

いやぁ、やっぱり一番大きいのは桑田さんのプロジェクトでしょうか。時間もあまり無いですし、一気に作り込んでいかないといけない部分が多く、さすがに打ち合わせ後に久しぶりに頭を抱えました。それでも当然やらなきゃいけないですし、当たり前ですがやりきるつもりなので、まず頭の中を整理し、それをまとめる作業から着手。

結果、帰りの新幹線も新大阪に着くまでずっと作業でした。久しぶりにN700系のポテンシャルをフルに使わせてもらった感じですね。僕のMacBook Airもかなり熱くなってます。お疲れさん。

さぁ、なんとか今月も終わりに向けて先が見えてきました。それは勿論、来月から新しく始まる事の兆しが見えた事になる訳で、僕にとっての終わりなき旅はまだまだ続きそうです。本当にありがたいですね。とにかく頑張ります。

エンコの話

少し前に浅草「ちんや」さんの住吉さんから浅草がその昔エンコと呼ばれていた事を聞き、その際いつか住吉さんが自身のブログで語ってくれるでしょうと記したのを覚えている方も多いかと思います。そうです。書いて下さいました。

ずばり、タイトルは「エンコ」です。どうぞご一読下さい。

いやいや、U社長とか書かれると辛いですね。社長じゃないですから・・・。生涯一現役でいきたいと思ってるんです。

まぁ、そんな事はどうでも良い。とにかく、住吉さんにブログを納品させて頂いたのが先週の日曜日。それからもの凄い勢いで書いてアップして下さってます。それがまた面白い。皆さんも是非ブックマークして下さい。

浅草ちんや六代目のすき焼きフルな日々

僕のクライアントさんは皆さん本当に気持ちの良い方が多いです。皆さんのおかげで本当に楽しく仕事させてもらってます。感謝感謝です。

是非続けて頂きたい!

以前、ここで列車の旅が好きだという事を書いたと思いますが、列車の旅の醍醐味の一つが駅弁。東京駅では八重洲大丸の地下で購入しますが、基本的に駅で売ってる駅弁らしい駅弁が大好きです。

僕の場合、1988年頃から仕事でもプライベートでも頻繁に新幹線に乗る機会が増えたのですが、丁度その頃に新大阪駅で発売開始されたのが、駅弁の老舗である水了軒さんの「御堂筋弁当」というお弁当。これがドンズバで僕の好みにジャストフィト、以降新幹線に乗る度に必ず購入。自分が乗らない時も家族にお土産として購入してきてもらう程お気に入りだったのですが・・・。

なんと! 竹園時代、本気で出張が多くなってきた2008年の春に販売終了! 「俺はこの先何を食べればエエんや・・・」と絶望のどん底に落とされた訳ですが・・・。

そんな僕のようなファンが多くいたのか、はたまた御堂筋弁当用に作った器が余っていたのか分かりませんが、昨年秋に突如季節限定モノとして形態が復活、嬉しい悲鳴をあげております!

当然の事ながら、秋も冬もちゃんと購入しましたし、今回は「春の花膳」という春バージョンを購入しました。

御堂筋弁当時代と違い、季節限定モノ故に、色んな趣向がこらしてあるところが、実は僕にとってはマイナス要素。やっぱり駅弁は駅弁らしく、もう少し王道をいって頂きたい、それが願いであります。

とはいえ、さすが老舗です。秋も冬も良かったですが、今回も完成度は高かったです。特に御飯に十六雑穀を使っているところは、雑穀マニアの僕にはたまりませんでした。井桁に仕切られたおかずコーナーは、桑田さんに言わせると「球種を考えてしまう」との事ですが、僕にはただのパラダイスです。

しかし、こうして書いていてもこの形状を見れば、この井桁の中に御堂筋弁当のおかずが頭に浮かびますし、豆御飯とたこ焼き方の練り物が詰まった御飯サイドの胸震わす勇姿も目に浮かぶ訳で・・・。

やっぱりどんな事をしてもオリジナルには勝てない!という事なんでしょう。いつか御堂筋弁当の復活を期待しつつ、それにはまずこのシリーズの成功が無いと始まりませんので、是非続けて頂きたい、そう願う今日この頃です。

頑張らねば!

新幹線に乗る前に書店に立ち寄ると、お世話になっている桑田さんが表紙の本があり、何気にパラパラめくると、自著を発刊される事が掲載されていました。前々から本を出すという話を聞いていて、「表紙は僕に撮らせて下さい!」と身の程知らずな申し出をし、常に苦笑いをされていた訳ですが、さり気なくショックだったのは、その表紙が、まさしく僕だったらこう撮る!と思っていたコンセプトと全く同じだった事です。恐らく、使用しようと思っていた機材、ライティングもほぼ同じだと思います。

勿論、僕が選ばれなかったのは当然の事ではあると思うんですが、自分の頭の中にあるものが自分ではない人の手によって成されるのは、それはそれで辛いものです。

いや、だからそういう発言も身の程知らずではあると思うんですが・・・。

昨夜、プロフェッショナル~仕事の流儀~という番組で、三浦カズ選手が「この歳になると惜しいではダメ。決めないと・・・」という言葉を呟いていて、もの凄く胸に響きました。

僕の場合、たかだか独立して一年も経ってない訳ですが、キャリアはもう充分にあるはずで、年齢的な事を考えても、惜しいではダメなところに来ています。身の程知らずであろうとなかろうと、決めるべきところはしっかり決める、そうする為にどうすれば良いのか、それを日々考えて生きていく、僕にとっての二人の賢者が、そう教えてくれたような気がします。