となりの人間国宝さんを頂きました!

いえ、僕ではなく父と母が・・・。
という訳で本日は父と母の出演を見守ってくださり、ありがとうございました。
梅ちゃん食堂を立ち上げた時から、僕と照本社長の望みは、「料理長と多美子さんの人となりを知った上で食べて欲しい」ということでしたので、今回の番組は、本当に我々の望みどおりのテイストで、放送終了後にお越しくださるお客様が口々に「素敵なご夫婦」と仰ってくださって、父が作り母が支えた味だからこそお買い求めくださったことが、本当にただただ嬉しい、僕にとっても幸せな時間でした。

この番組効果の為に三日くらいで売り切れることを見越して仕入れた分も今日一日で売り切れてしまいました。またネットでのご注文も短時間で信じられない程頂きました。
放送終了後から電話も鳴り止まず、受けれなかった着信履歴が100件を越えておりました。
その最中、少し落ちついた頃に受けれたお電話が当日の家族写真のご予約のお電話で、餃子を売りながらしっかり写真も撮らせて頂き、我が家のイタリア人が一生懸命接客してくれて、何年か経って振り返った時、僕にとっても忘れられない一日になりました。

本当に多くの方に足を運んで頂きました。暑い中、本当にありがとうございました。

たくさん「見たよ」という連絡を頂きましたが、上記のような理由で返信も出来ずで申し訳ありませんでした。

本当に父と母の人柄を見事に出してくれた番組だったと思います。僕自身も見ていて感動しました。
円広志さん、スタッフの方々、スタジオで美味しいと言ってくださった方々、みなさんに感謝しています。

そして、父と母のファンでいてくれる皆さんに心から感謝しています。
ありがとうございます。

明日また入荷しますので、引き続きよろしくお願い致します。

とりあえず、我が家でも今宵は梅ちゃん餃子を食べました。ムチャクチャ美味かったです!

梅ちゃん餃子の嬉しいお話

僕が梅ちゃん食堂で商品展開する際、どうしても成し遂げたいことがあって、それはアーカイブ化した父の味を高校球児に食べてもらいたい!ということで、タレの時も今回の餃子も、そういうアプローチをずっと続けていて、この度横浜高校の選手寮の食事に梅ちゃん餃子を採用頂いて、まずは関東大会初戦前夜に食べます!とのことで、本当にそういう食べ方が一番嬉しくて、とにかく感無量な俺なのです。
なぜに高校球児なのか?ということに関しては今更ここで書かずともですが、本当に神奈川県に行くと父のネームバリューはハンパなくて、父がその人生を捧げた仕事の中で、やっぱり高校野球のお世話ということは本当に特別なことだと思うし、それこそ本当におこがましいんですけど、今現在、この暮らしの中で、何らかの形で父が高校球児達と食を通じて関われること、それを目指してやってきた部分が僕の中では本当に大きいので、今回の第一歩はカズダンスを踊り狂いたいほど嬉しいです。勿論、ここがゴールではありません。他の高校、大学等とも商談が進んでおります。なので、これは本当に一つの通過点として、引き続き頑張っていきたいと思います。
今回、一番嬉しかったのは監督さんから「梅田さんが作った味だから美味しいのは当たり前。それ以上に引き継がれてきた思いを選手達に伝えたい」と仰って頂いたこと、食を預かる寮母さんから「味も当然ですが、何よりも梅田料理長が一食一食に込めた子供達への思いを継承出来たらと思ったのが大きい。いつか料理のことを色々聞いてみたい」と仰って頂いたこと、これがただただ嬉しかったです。歓喜のカズダンス踊ります!
味と共に大事にしてきた部分なので、皆さんも梅ちゃん餃子を食べる時、父のことを思ってくださったら、それ以上の喜びはありません。よろしくお願い致します。

スタジオの方でも皆さんお買い求めにお越しくださって、個人的には写真のお客様が買ってくださるのが本当に嬉しくて、移転前から贔屓にして頂いているお客様が、ご友人に「本当に美味しい餃子なのよ!」と熱弁を奮ってくださり、皆さんでお越しくださったこと、本当に嬉しかったです。
写真の仕事を通じて僕を知ってくださった方がリピートしてくださることもあって、僕不在時に母が対応に出て交流してくださったり、梅ちゃん餃子がたくさんの人の心を一つにしてくれているようで、心があたたまる毎日です。

本当に美味しい餃子です。
是非冷凍庫に常備して頂ければと思います。
よろしくお願い致します。

君たちは素晴らしい!感謝!

今年に入ってから某中学の野球部のドキュメントを撮る仕事をご依頼頂き、春前の練習から春の大会、そして夏の大会まで追って来て、夏の大会が終わった後、少し間が開きましたが、本日最終撮影となるインタビューを撮りに行って来ました。久しぶりに会う彼等に少し胸にグっと来るものを感じながら、モニター越しに彼等の話を聞いて、その都度涙を流すアラフィフです。監督である先生のインタビューはほぼ号泣に近い形で泣いてしまいました。先生も話しながら泣いてましたし、なんか心の奥がツーンとなる、なんともいえない時間でした。

何度も通ったこのグランドに来るのも後一回、卒部式の撮影で、それも来年の2月頃とのこと。とりあえず一区切りついた秋の日でした。

野球が素晴らしいとかスポーツが素晴らしいとか、そんなこと以上に子供たちの眼差しと心が本当に素晴らしい。眩しいくらいの彼等に出会えたことが本当に幸せなことです。

ありがとう。
オッサンは君たちにたくさん救ってもらいました。
本当にありがとう。

撮った写真の行く道

大坂なおみさんのファンでもないのに東レパンパシフィックテニスのパンフレットが送られてきた。中を見ると僕が撮った写真がクレジット入りで掲載されていた。ありがたいことと感謝しております。

何度か書いたかもしれないですけど、自分が撮った写真を納めた後、大体は聞いているとはいえ、実際にどこでどういう風に使われているか実は知らないことも多いんです。それが誌面やウェブや街角、色んなところで再会する機会があったりして、それが一番嬉しいことだったりします。おお!俺の写真が頑張ってるなと子供を見る親目線でニヤついてしまいます。

そういう商業写真の喜びと共に家族写真を撮る喜びもあって、これからの時期は年賀状用に撮りにお越しになる方が多く、毎年たくさんの年賀状に僕が撮った写真が使われるようです。
なので、大晦日の夜に布団に入ってから、僕の写真が色んな所に飛んで行ってるんだなぁなんてシミジミ思うと、とてもとても幸せな気持ちで眠りに落ちて、気持ちの良い新年を迎えることが出来るのです。

僕は本当に幸せな仕事をしています。撮られてくださる方がいて成り立ちます。ただただ感謝です。ありがとうございます。

懐かしい顔と嬉しい再会

ハナ勘さんからの助っ人要請で伊勢幼稚園の運動会の撮影に行ったら白石君がいました。彼は僕が小学校6年生の時に1年生、掃除を教えに行ってたクラスの子で、掃除を教えた10年後に僕の職場のアルバイト募集にやってきて、僕が面接して「あの時のクラスの子か!」と運命の再会をして、その時に実は僕の母と彼のお父さんが同級生だということを知って、阪神大震災まで一緒に働いて、その20年後に家族写真を撮りに来てくれて、そして今日、親子競技に参加する彼を撮ってることがとても感慨深かったです。
立派なお父さんになった白石君に幸あれ!

人様の人生に少なからず携わることが出来る、そんな幸せな仕事を僕はしています。

感謝

親友を撮る秋の日

親友の武田君から息子トラちゃんが地車を曳くから撮って欲しいとご依頼頂きました。友人の家族の記録や節目の写真を撮らせてもらえるのは写真家冥利に尽きるというか、今の僕の一番の幸せです。本当にありがとう。
トラちゃんを撮りつつも、色んな事があったであろう彼の今の幸せそうな顔を見て、ついつい彼の写真もたくさん撮っていました。毎度毎度思うことなのですが、出来ることならこういう時に亡くなった彼のお母さんを一緒に撮らせて頂きたかった。彼が僕の両親に思いを持ってくれているように、僕ももう二人とも亡くなられたけれど彼の両親に思いを持っています。そういう関係だと思ってますので。

毎回、僕は彼の家族写真や息子さんとの写真を撮る際、数枚ですが必ずスペースを作って撮っています。僕の中ではそこに彼のお母さんに一緒に入ってもらって撮っています。僕はそういう写真を撮っていて、それが僕の仕事だと思っています。

皆さんも後悔する前に大切な人との写真は撮っておいた方が良いと思います。僕はこの仕事をしていて「撮っておけば良かった」と言われるのが一番辛いです。僕の所じゃなくても良いです(出来れば僕に撮られて頂きたいですが)。何かキッカケを作って写真を残して欲しいです。よろしくお願い致します。

2017年元旦より新しい場所で始動します

本日工事の契約が済みましたので、ようやく皆さんにお知らせ出来るようになりました。永瀬建設さんにお世話になり、年内一杯で実家を改装することになりました。1階の道路に面した場所がスタジオになります。移転の理由やきっかけは色々あるんですけど、僕以外の個人的なこともありますので、全てをここに記すことは出来ないのですが、7月に一つのきっかけがありまして、その際に僕個人の思いとして「10年後くらいに実家に戻って改装して“梅田写真館”として死ぬまでそこで写真を撮りたいと思っている」ということを家族の前で話したところ、「じゃぁ今戻ってくれば良いじゃないか」ということになり、気がつくとトントン拍子に話が進んでおりました。今回移転するにあたって屋号を梅田写真館にするかどうかはまだ決めかねてます。まだそこには少し早いのかなと思ったり・・・もう良いのかなと思ったり・・・少し悩んで決めたいと思います。大事なところなので。

2009年に前の職場でやっていたことをそのまま持ち出す形で独立して実家の2階で5年、そして将来を見据えて写真館という形態を自分のものにする為にここへ来て2年半。ここへ来なければわからなかったことはたくさんありますし、ここで街の人の笑顔を撮り続けることで、自分自身が本当に撮り続けたいものは何かというものを改めて心に刻めたと思います。ただまぁ、この場所で一生写真を撮り続けるイメージは最初から無かったので、少し早いですけど、次に進んでも良いのかなという思いが強いです。それくらいここでの日々と仕事が僕に与えてくれたものは大きかったです。それをもって次の場所では恐らく人生の最後まで自分の写真を撮り続けていくことになると思います。移転日等、また正式なご案内をさせて頂きたいと思っております。今後とも変わらずよろしくお願い致します。

そして最後の最後に大事なお知らせです。
実家に戻りますが「まかないはありません」

水道橋写真コンクール写真展開催!

明日からの水道橋写真コンクール写真展の設営を。相棒が仕事に行って不在だったので一人で黙々と。お金をかけずにスタジオの中にあるもので設営したいと思っていて、ハナヤ勘兵衛の桑田社長に相談したところ、良いアイデアをくださいました。心から感謝しております。桑田社長がいなければ明日の幕は上がらなかったかもしれません。本当にありがとうございました。

という訳で、今日から毎日告知させて頂きますが、明日からの10月14~16日の三日間、studio dpで「芦屋水道橋写真コンクール写真展」が開催されます。同コンクールに応募された作品を展示しております。ご来場頂いた方のコンクール対象作品への投票もお待ちしております。馴染みのある水道橋が、さまざまな切り撮られ方をしていて、とても魅力的な44枚の作品が揃いました。僕が撮った「僕にとっての水道橋」作品集も展示しております。是非見に来てください。
期間中、出張撮影で出ていることもありますので、写真も見たいけど僕にも会いたい!という方は、お越し頂く前にご一報頂けるとありがたいです。お手数をおかけしますが、よろしくお願い致します。

「芦屋水道橋写真コンクール写真展」
10月14日(金)15日(土)16(日)
10:00~18:00

studio dp
芦屋市親王塚町10-1

真心米2016

今年も真心米の収穫が無事に終わりました。そしてパッケージ写真の撮影も無事に終わりました。今年で6年目。パッケージは6作目となります。いまだに「初年度のパッケージが一番!」と言われますが、あの年は東日本大震災の復興支援で販売することが決まっていたので唯一「田植え」の時に撮ったものなのです。二年目以降は「稲刈り」の時に撮っているので、趣きは変わるかもしれません。とはいえ、毎年パッケージの写真を楽しみにされている人がたくさんいらっしゃって、中にはそのパッケージを額に入れて飾ってくださっている人がいると聞いて燃えない訳がありません。今年はちょっと農家の方にご協力頂いて軽トラの荷台から撮りました。ある程度自分の頭の中にイメージを構築してきて、思ったとおりの写真が撮れました。ホっと一息でFB用の写真を撮ってると知らぬ間に背後にいらっしゃったようです。タオルで口元を覆っていたので「あやしい」と言われましたが、コンバインを駆って稲刈りするのを撮る際、ものすごいカスが舞うんですよ。意外と大変なんです。

夜の懇親会で打ち合わせを行うのですが、今年は熊本にも送らせて頂くことになっており、その辺も含めて、発送作業等で例年通りまた11月にここへ戻ってくることになりそうです。

もう生産者の橋本さんとも6年目ですか・・・ホンマに僕の親戚のおじさんみたいな感じですね。そんな北九州の親戚のおじさんに別れを告げ、最終のみずほに乗り込み相棒が待つ新神戸へ。

今回もお世話になりました。ありがとうございました。

僕の好きなおじさんの遺影

今日亡くなった叔父さんの写真について。叔父さんとしてよりも、本当は同じ職場の偉いさんという立ち位置でしたけど、あんまりそういう感じがしない人でした。きっと周りは迷惑したでしょうし、嫌な思いもたくさんしたと思うんですけど、本人は最高にハッピーな人生だったのではないでしょうか。そして、そういう好き勝手生きた人生のわりに、人から嫌われることのない人だったと思います。それがあなたの人徳だったのかもしれません。
僕は、竹園という所には三つのターニングポイントがあると思っていて、一つは初代の奥さんが早くに亡くなってしまったこと。二つは長男さんではなくて次男さんが継ぐべきだったということ。三つは阪神大震災。この三つのターニングポイントで別の方向に行っていれば、恐らく全く別の未来があったんだろうなと思います。きっと、初代の奥さんが生きていれば、二代目には次男さんを任命していたと思います。そう考えると、三兄弟の一角が崩れた今、本当に時代の終焉を感じずにはいられません。
僕が竹園に在籍している間、ほぼ毎晩レストランきくで顔を合わせていたし、晩年はそれこそフランクに色んな話をしました。誰よりもレストランきくを愛し、この世の中で一番たくさんきく弁当を食べたのは、きっと自分の母親の名前のついたレストランでありメニューだったからなのではないかと思います。そんなあなたが愛したレストランきくもきく弁当も、もうこの世にはありません。だからやはり時代の終焉を感じずにはいられないです。

今回、ご子息から遺影を提供してほしいと依頼されました。毎晩レストランきくで会っていたので、僕はたくさん写真を撮っていたのです。複数枚候補写真を選んだのですが、その中で僕が一番好きな写真を満場一致でご家族の皆さんが選んでくれたことを、僕は写真を撮ることを生業にする者として、とても誇らしく思っています。そしてお姉さん、弟さん、妹さんも彼らしい表情の素晴らしい写真と言ってくださったようです。近しい人が思わず声をかけたくなる写真、その写真からその人の声が聞こえてきそうな写真、その写真の中にその人が生きている写真、僕はそういう写真が撮りたくて毎日シャッターを押しています。叔父と甥というよりも、友達のように色んな話をしてくれて、たくさんの思い出をくれた人の人生の終わりに、自分が撮りたい!と思っていた写真を側に置いてもらえることは、自分の進んでいる道が間違いではないということを示してもらったような気がして、とてもとても嬉しいです。

一枚でも多くそういう写真を残せるよう、もう一つの僕の目でたくさんの真実を見て、そして写していきたいと思っています。心残りはスタジオで写真が撮れなかった事ですが、いつか空で会ったら、もっともっと深い写真を撮らせて頂きます。その時まで待っててください。
生前最後にお会いした時、「俺が言うのもなんやけど家族は大事にせなあかんで」という一言、忘れません。ホンマにあなたが言うのはどうか?という一言でしたけど、色んなことがあったあなただからこそ言える一言なのかもしれないですね。

たくさんの思い出をありがとうございました。

R.I.P. 専務