我が心のグアム合宿

毎年1月の終わりになると思い出すのが、2014年の1月末に行われたグラム合宿。
このブログでも書いてきた、2010年から始まった桑田真澄さんの「指導者講習会」を本にまとめる為に行われた合宿でした。一週間ホテルに缶詰になって、ずっとディスカッションして骨組みを作る日々。僕は指導者講習会の第一回目から事務局、カメラマンとして参加して、全ての講義を見聞きしてきたので、桑田さんから内容の確認をされ、「あの時はこう仰ってました」と答えたり、「あの時にこういう事があってこういう意見になりました」的なことを答える役目と、本に掲載する写真の撮影の為に帯同させて頂いたのでした。

今でも思い出す、あの異常な程の暑さだった2010年の夏、第一回の指導者講習会、その第一声が「コーチの語源とは」でした。コーチとは一体どのような役目を行うべきであるか、指導者講習会はそこから始りました。合宿から一年経過した翌春出版された書籍「常識を疑え」の冒頭でもそのことが書かれています。

今、桑田さんはその語源を体現すべく、球春を迎えようとしています。新しい旅を心から満喫して頂けることをただただ願っております。そして、自身が追求した指導者としての理念で、一人でも多くの選手と並走し、最適なゴールに導いて頂きたいです。
今年のNPBは違う意味で楽しみです。

グアム合宿の思い出はたくさんあるのですが、たくさんたくさん、本当にたくさんの話をしました。このチームの絆は永遠だと思っています。

毎年1月の終わりになると、僕はやっぱりグアム合宿を思い出します。

おめでとうございます

桑田真澄さんが巨人軍の投手チーフコーチ補佐に就任されました。ユニフォームを脱がれた後の活動を微力ながらお手伝いさせて頂いてきて、その一つ一つが僕の財産になりました。
この10年以上の年月、桑田さんは一言も「巨人のユニフォームが着たい!」ということを口にしませんでした。もっといえば、「こうなりたい」という事を口にすることはありませんでした。いつも僕に「自分がなりたい姿を頭に思い描いて、そこに向かって努力すれば、必ず良い結果が訪れる」と仰っていました。きっとその通りになったのだと思います。

僕は生まれてからずっとサービス業のど真ん中で育ちましたので、野球選手をはじめ、お越しになられる方々の職業について聞くということがご法度であると教え育てられました。なので、あまり興味がわかなくなったのかもしれませんが、桑田さんに対しても聞かれたら答えますが、こちらから野球の話をしたことはありませんし、聞いたこともありません。そういう部分を評価して頂いて、信頼して側において頂いていたのではないかと思っています。

そういう訳で、この10年以上も「球界に戻りたいですか?」だの「戻るとしたらやっぱり巨人ですか?」等と聞くことは一切無かったです。
でも、「早く球界に戻りたい、そして戻るとしたらきっと巨人のユニフォームを着たいんだろうな」ということは隣にいて凄く伝わっていました。
なので、僕も微力ながら「そうなると良いな、そういう結果が訪れてほしいな」と願っておりました。

ニュースで知る前にお知らせ頂いた際も、とにもかくにも「良かったです!本当に良かったです!」という言葉が出てきました。本当に良かったと思っています。

一緒に色んな場所に行って色んな景色を見てきましたけど、ずっとずっと心の中で「早くユニフォームを着て球界に戻るべき人」だっと思っていました。
だからやっぱり「本当に良かった」と言いたいです。

一つだけ寂しい事があるとするならば、恐らく今年から真心米は出来ないということです。丁度10年続けたので、良い区切りになりましたけど、毎年当たり前のようにある事が無くなるのは、やはり寂しいです。
「僕だけでも秋になったら現地に行こうと思います」と桑田さんに伝えたいと思います。

昨年の真心米の際、なんか本当に予感的なものがあって、このブログにも総括的なこと書いていることに運命のようなものを感じずにはいられません。

とにかく、二度目の現場、心ゆくまで楽しんでください。おめでとうございます。

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

まだまだ先が見えないコロナ禍の真っ只中ですが、自分を信じ、自分らしく生きていきたいと思います。

家族全員元気で新年を迎えました。
それが一番だと思っております。

毎年元旦は恒例のご家族が家族写真を撮りに来てくださいます。
今年もまた、「一年に一枚撮り続ける写真」をたくさん撮らせて頂きたいと思っています。

この街角でこの街の幸せを見つめ続け、そして撮り続ける、それが僕のライフワーク。
今年もよろしくお願い致します。

2020年の師走に思う

今週一杯で今年のスタジオ業務も仕事納めとなりそうです。
色んなことがあった一年ですが、最後はしっかりと笑顔でフィニッシュ出来そうです。

8月一杯くらいまでコロナ禍の影響で本当に大変でした。家族会議で「11月一杯をメドにスタジオ業務を一時休業して12月から餃子とカレーに注力しようかと思う」と言って腹をくくったのですが、我が家のイタリア人から「どんな時代でもどんな事があってもあなたの写真を求めてくれる人は必ずいる!だからそんなこと言うべきではない!」と、ビシっと言われまして・・・とはいえ、全く先が見えなくて・・・でも彼女の「今は世の中が混乱しているだけ!もうすぐ、もうすぐ必ず多くの人があなたに撮られに来る!」という言葉を信じて、その言葉を一筋の光だと思い、その光射す方向に歩き出したら、なんと!9月の終わりくらいからムチャクチャ忙しくなりまして、彼女が言ったとおり、本当にたくさんの方々が僕に撮られてくださいました。
それはそれは本当に想像を絶する数のご依頼を頂いたのでした。

新しくお越しくださるお客様はグーグルマップで検索される方が多いようで、「レビューが餃子の話ばかりだったので少し不安だったけど、良い写真撮ってもらえて本当に良かった!」と仰ってくださいます。

「そんな写真スタジオがあっても良いじゃないか」

肩肘張って突っ張ることなく、自然体でそう言えるようになりました。
たくさんの人に僕のシャッターを救って頂いたおかげと感謝しております。
救って頂いたこのシャッターを必ず繋いでいきます!
僕に撮られてくださる皆さん!本当にありがとうございます!

家族全員元気です!
梅田、頑張ります!

10年10枚(米)を振り返る

真心米のパッケージ写真が10枚揃いました。一年一枚なので10年という月日が経過したことになります。僕のキャリアでは、サンプラスさんのカレンダー(11年)に続く長さです。個人を撮り続けたものになると、これが最長です。

写真を見ながら振り返ると、色んなことを思い出します。その時に僕が見ていた日々の光景まで浮かぶので、写真の力って凄いと思います。是非皆さんもstudio dpで毎年家族写真を撮り続けてください。こうして並べてもらいたいです。

桑田さんから「東日本大震災の被害にあった野球少年の為に米を作るから手伝ってほしい」と言われ、いきなり縁もゆかりも無い地の田んぼに呼び出された2011年5月。その時に撮ったのが2011年の写真です。いまだにこの写真が一番!と言ってくださる方が多いのですが、この写真に関しては「販売品」の為に撮ったものなので、僕も撮り方と向き合い方が違うと思います。そして、稲刈りよりも確実に田植えの方が絵になるんです。
この時にお米を売った収益で津波で金属バットが流されたという石巻の野球少年達の為に金属バットを買ってお渡ししました。その全ての作業を僕が一人で行いました。とても心細かったネット販売を開始した直後、本当に僕がアップしてから15分以内にヤスヤさんと照本さんが発注してくれて、モニタを見ながら泣いたことを思い出します。心強かったです。
余談ですが、この写真を見た菅原文太さんから対談の依頼が入ったことが忘れられません。ご本人からも「あれは良い写真だね」と褒めて頂いたことが僕の密かな誇りです。

ずっと2011年の写真を使うと思っていたら、生産者の方をはじめ関係者各位より「毎年違う写真が良い」と言われ、困った桑田さんと僕が少し悪ノリして撮ったのが2012年の写真です。二人とも今より若かったから出来たんだと思います。今は絶対にしません。
また、この年から販売ではなくお米そのものを寄付する形式に変わったのも、このくだけたパッケージになった大きな要因かもしれません。

2013年は小雨が降っていて、桑田さんも早くゴルフに行きたくて、しっかりと稲刈りの作業を行う前に「これが僕のお米です!」的な写真をササっと撮った感じです。

2014年は昨年に続き「やっつけ感」が出てますね・・・。毎年必ずトラクターを本当に上手に駆っていらして、ご本人も「そこをアピールしよう!」と言って撮った写真です。本当は左上の運転席の写真を全面に使っていたのですが、ご本人の「ちゃんと操ってる所も使って!」というリクエストでこうなりました。多分、そのやり取りも覚えてらっしゃらないと思いますが・・・。

2015年、2016年は「ゴルフウェアではなくちゃんと撮りましょう!」と言って臨んだ二年です。桑田さんが代表をつとめていたNPOのロゴ(僕が作りました)が入ったTシャツを着てもらってちゃんと撮りました。2015年は唯一「カメラ目線」ではないのですが、「現役時代、ボールに話しかけていたように稲に語りかけてください」とリクエストして撮りました。ちょっと嫌そうでした・・・。
2016年は一番やりたかった「稲の中に入ってもらって撮る」ということがようやく出来た一枚です。軽トラの荷台から撮ったのですが、そこから「もう少し中に入ってくださいー」と指示してたら、少しだけ入ってこちらを見上げ「これくらいじゃ許してくれへんのやろな」と苦笑いして深く入ってくれたことが印象に残っています。

2017年は、またしてもゴルフウェアに戻り、この年からお互い「肩の力抜いてサっと撮ろう!」という感じになりました。これは僕が小林旭さんの「赤いトラクター」を歌いながら、「ちょっと足かけてくださいー」等と言いながら撮りました。僕の歌にサビの部分で少しだけ呼応してくれた桑田さんの鼻歌までもが聞こえてくるエエ写真だと思ってます。

2018年は、実はちょっと深い写真で、この地に誘ってくれた方の田んぼの前で撮った一枚なのですが、この年でこの田んぼを閉鎖するので、どうしてもその前で撮ってもらいたいんや!という生産者の方の意向があったり、色んな方の思いが詰まった一枚なんです。それをそう見せずいつも通りに撮った僕を自分で褒めてやりたいと一枚です。すきや連でお付き合いが始まったカメラマンの大先輩から「今年の写真は良いですね!好きです!」と褒めて頂いたことも嬉しくて強く心に残っています。

2019年は全く印象がないです。ネタもなく2017年の時のように赤いトラクターを歌っていたら、桑田さんが何も言わずスっとトラクターに移動して、このポーズを取ってくれたので、サっと撮って終わり、そんな感じです。2017年からは本当にそういうキャッチボールを楽しむように撮ってます。真剣勝負だったのは2011年だけですが、多分、我々の距離感が投手と打者からバッテリーの距離感に変わったのは2015年くらいからなのかもしれません。

2020年は、何度も書いてきましたが、根本的に稲が無かった為、トラクターでの稲刈りは出来ないと言われていたので、刈った稲を手にというイメージで現場に入って、それを伝えながら田んぼに行って、阿吽の呼吸で撮った一枚です。少し前に書きましたが、本当は生産者の橋本さんとの2ショットをパッケージにしたかったんですけど、そういう訳にもいかず・・・でも思った通りの一枚が撮れて良かったです。優しく柔らかい笑顔になりました。

さぁ、来年はどんな写真を撮りましょうか・・・。PLのユニフォームとか着て欲しいんですけど、頼んだら絶対に笑いながら「嫌だよ」って言うんだろうな。

来年は縦構図の年。久しぶりに田植えが撮りたいですね。

10年目の真心米に思う

毎年のことながら、自分で発送した真心米が自分に届く秋の日。今年は10年という月日が感じられるような、優しく柔らかい笑顔が撮れたのではないかと思います。
特別なことをせず、笑いながらキャッチボールするように撮った写真です。それが良いと思う10年目のパッケージ写真になりました。

いつもは日帰りするのですが、今年はGo To トラベルだかでホテルが安くなるので前泊しました。このキャンペーンでこのパターンを使うのはすでに3回目で、そんな使い方でエエんか?と思わないでもないですけど、使えるものは使わせて頂こうということで、「真心米を発送するだけ」というミッションに対して、「旅要素」の方が確実に多い時間を費やしました。

生まれてから39年間、JR芦屋駅の北側から出ることもなく「迎えること」を生業としてきましたが、39歳で独立してからは、桑田さんを筆頭に多くの方から呼んで頂き、気がつけば47都道府県全ての地に足を踏み入れておりました。
それは仕事とはいえ、自分で行程が組める自由業ですから、例えば2時間の撮影の為に3泊4日の行程を組むことが出来るので、仕事現場にいる時間以外は「旅」になります。

昨日も毎年恒例のサンプラスさんのカレンダー撮影で松山に行きました。道中サービスエリアで食べたコロッケをインスタに上げたりしていたので、帰宅すると我が家のイタリア人が「楽しそうだったね」と笑顔で迎えてくれました。道中で砥部焼のお店に寄って夫婦茶碗を買ったりしていたので、「本当に楽しんでるのね」と、自分の事のように喜んでくれたのがとても嬉しかったです。

実は、僕は意外と色んな所を観光しています。昨日も帰り道にあった椿神社なる所にも寄りましたし、気になったらUターンしてでも寄って帰ります。クルマで行く時ほどではないにしろ、電車の車窓から見えた気になるところは、帰りに途中下車して立ち寄って、そのままその町で泊まることもあります。

そんな旅で出会った風景を僕はSNSにもアップしませんしブログにも載せません。家族にも言わないことがあります。写真だけ僕のiPhoneとMacに入っています。
旅の思い出って、自分だけの宝物で、人と共有することじゃないと思っています。僕がその風景を見て、楽しいことも悲しいことも色んな思いを僕の心にだけ閉じ込めて、人生のアルバムを作って生きているので、そのアルバムは誰にも理解出来ない僕だけのものなんです。それを見せるのって無粋じゃないですか。

独立してすぐに、このパッケージ写真の方に呼ばれ、「何も心配しなくて良い。俺がついてる」と僕の目を見て仰ってくださって、以降本当に多くの仕事を与えてくださいました。そして、その場所は全国津々浦々に渡っていました。「何月何日何時にここへ来てほしい」というメールが入って、それに従ってその場所へ行き、一緒に仕事をして一緒に食事をして解散。その前もその後も自由なので色んな旅をさせて頂きました。人が簡単に見ることが出来ない景色を見せて頂きました。色んな思い出を作らせて頂きました。そして、それはまだまだ続くんだということを、このパッケージの写真を見つめながら感じています。

11年目の真心米に向けて、また新しい旅が始まっています。餃子とカレーを売っていても、僕の根底にはちゃんと写真があることを、毎年この人に証て頂いていることが、何よりの恩返しなのかなと思って生きています。

2020年「絆の会」中止

事務局とカメラマンを兼任して携わらせて頂いている、プロ野球昭和42年会「絆の会」の2020年の野球教室がコロナの影響で中止になりました。
ギリギリまで粘りましたが、事務局としてこれ以上話を進めることが出来ず、桑田さんと相談して中止という結論に達しました。本当に残念です。

主催者の方が責任を負うと仰ってくださったのですが、参加した子供達に危険が及ぶ可能性がまだまだ低い訳ではない現状、そして会員が全国各地から集まるという状況、Go to トラベルとは全く違うということ、色んなことを考えた時、僕の中で「開催」という選択は出来ませんでした。

「出ない」「出さない」ということを前提に出来ない以上、無理だということです。

今年は僕が携わらせて頂くようになって丁度10年目でした。10年の間、本当に色々なことがあって、何度も「今年で最後」と思い取り組んできましたが、いつの頃からか、皆さんから「お前しかいない!頼む!」と仰って頂くようになり、出来る限りは継続の為に力を尽くそう!と誓い今日に至っております。

プロ野球の世界に入れる人は本当に限られていて、昭和42年生まれの人でプロ野球選手になった方は100人にも満たない厳しい世界です。
その厳しい世界に身を置いた方々が、「野球界への恩返し」という名目で、一年に一回、手弁当で野球教室を開催するのが、「絆の会」です。
僕は出来れば、毎年「故郷に錦を」ではないですけど、会員の方の故郷で開催出来れば良いなと思い事務局として取り組んでいます。会員の方の地元で開催すると、その人の為にその地の人たちが一丸となってバックアップしてくださる、文字通り「オラが街の英雄」の為に一肌も二肌も脱いでくれて、それがひいては、その街の野球少年少女の為に繋がっていく、それがこの会の素晴らしいところだと僕は毎年密かに帰路で感動の涙を流しているのです。

そうやって毎年続いていたことが途切れるというのは、本当に辛く切ないことではありますが、本当に「仕方がない」という言葉しか出て来ません。僕はこの言葉が好きではないですけど、本当に「仕方がない」です。

今年の年末は皆さんに会う楽しみが無くなってしまいましたが、また来年必ず会えると信じて、そしてまた来年子供たちの元気な姿が見れることをただただ願うばかりです。

10年という時を撮る

真心米の生産者の橋本さんは、僕にとって実際の親戚の叔父さんよりも親戚の叔父さんのような存在です。
この人の男気が無ければ真心米は成り立たない訳で、初めて会った10年前、真心米のプロジェクトを引き受けてくれる人を探していた際、「ワシで良ければ」の一言で僕を救ってくれたことを昨日のことのように思い出します。

何度も通った初年度に始まり、2年目以降は9月にパッケージ撮影を兼ねた稲刈り、11月に発送作業と年に2回通って来ました。
いつも書いてますけど、橋本さんが待つその地に行くという事は、僕にとって(きっと桑田さんにとっても)親戚の叔父さんの田舎に行くような感覚で、9月にワクワクしながら眺める特急ソニックの車窓の眺めと11月の帰りに吐きそうな程に切ない車窓の眺めのコントラストは、10年経っても全く何一つ変わることなく、僕の人生にたくさんのものを与えてくれました。
4年目くらいからは駅で別れる際、なぜかお互い涙ぐんでしまって・・・ホームで風に吹かれながら、本当に色んな思いを重ねてきました。

実は今年の10年目の真心米のパッケージ写真は、桑田さんと橋本さんの2ショット写真で!と密かに決めていて、僕が思った通りの写真が撮れて、これでいきます!と言ったところ、橋本さんから「皆、桑田さんのパッケージを楽しみにしちょるからワシが写っとったらガッカリさせてしまう!写真だけありがたく貰っておくわ」と照れたように笑って、それがとてもカッコ良くて、少し泣いてしまいました。

10年目の桑田さんと橋本さん、二人のこんな笑顔を撮る事が出来て僕はとても幸せです。同じ10年という時間を共にしてきた僕にしか撮れない笑顔だという自負もあります。

今年のパッケージで10枚の写真が並ぶ事になります。NPOを通じてお米の活動をしていた頃は、それなりに気を使って、真剣勝負のバッテリーのような呼吸で撮って来ましたけど、ここ4〜5年は肩の力が抜けて、リラックスしてキャッチボールしてるような、そんな感覚で撮っています。

ちゃんと僕の写真が向かっている方向にある一枚。大好きな写真が増えました。

僕がここにいる意味

「コロナで結婚式が中止になったのですが写真だけでも撮りたい」
3月の終わり頃にそう言ってご来店くださった若いご夫婦。
何度も何度も「リスクも高く大変な時期ですけど受けてくださいますか?」と聞いてくださいました。
不要不急の外出は自粛するように要請されていますが、入籍や写真撮影のチャンスが今日しかないとのことで、賛否はあると思いますが、二人にとってそれが不要不急ではないという判断であるならば、僕に断る理由はありません。

という訳で、今日はそういう写真を撮らせて頂きました。お二人が所望されたヨドコウ迎賓館、そして芦屋川沿の桜の前、最後はstudio dpで、たくさんの写真を撮らせて頂きました。
結婚式自体が中止になったとのことだったので、ヨドコウ迎賓館の長い廊下で指輪の儀式を行なってもらったり、たくさんの場面を残せたのではないかと思います。

桜の前で写真を撮っていると、近くの家の窓から「おめでとう!」と大きな声で祝福の言葉が飛んできました。少し照れながら大きな声で「ありがとうございます」と答える二人の笑顔が本当に素晴らしく、今日の日は二人にとって大切な瞬間で、今の日本では非難されることなのかもしれないけれど、「辛い春の日」に彼等なりの一本の筋を通すことで「幸せな春の日」にしたことは、僕は素晴らしいことだと思います。

帰り際に新婦のお母様から手紙を頂きました。
「この様な状況にも関わらず、二人の願いを叶えて頂きありがとうございます」と書かれていました。
願いを叶えるなんて、そんな大した人間ではないんですけど、いつも人様の人生に携われることが僕の仕事の一番の幸せだと思って生きているので、とても嬉しいお言葉でした。
なんか、本当に色んな涙が流れて困ります。二人にこんな思いをさせたコロナに対する憤りの涙も流れます。でも、やっぱり人とのふれあいの中で流れるあたたかい涙を一番多く流したいです。

「振り返った時に思い出になる一日にしましょう」
そう言って撮り始めました。そうなってくれることを願っています。

余談ですが、手紙をくれたお母様が、昨年のとなり人間国宝さんを見てくださっていて、「あの写真屋さんだったら受けてくれると思うから行っておいで!」と二人をstudio dpへと誘ってくださったようです。

暖簾もかかり、大きな窓にも「うめちゃんの味」の文字がありますが、ちゃんと誇りを持って「studio dp」の看板も掲げておりますので、今後ともよろしくお願い致します。

梅ちゃんの味が大学に!

神戸の某大学の学食で梅ちゃんフェアーを開催して頂きました。先日の女子大に続いて二回目!
今日は父と母と照本さんと4人で食べに行ってきました!料理はインスタに上げましたが、キーマカレー温玉乗せとオリジナルの味噌タレを付けた梅ちゃん餃子の2種!ムチャクチャ美味かったです!

フェアーはまだまだ続くのですが、今回の一連のフェアーをてがけてくださっているのが、梅ちゃんの隣に写っている前田チーフという綺麗な女性。実は、武田君のご友人で、僕のインスタのファンでいてくださって、そこに上げてる父の料理が製品化されている情報を見て、自分の職場で使いたい!と申し出てくださったのでした!

良いご縁を繋いで頂きヨシユキに感謝!ありがとう!

「学生さんに美味しい料理を食べてもらいたい!」という強い気持ちは、父の「選手さんに美味しい料理を食べてもらいたい」という気持ちと同じ訳で、世代は違えど心根が同じ料理人の橋渡しを照本さんが商品化してくれた味が担ってくれたという、ただただ本当にそれが素晴らしいことで、僕と母は何もせずただただ感動していたのでした!

作ってくださった食堂の皆さん、食べてくださった学生の皆さん、本当にありがとうございました。

梅ちゃんの味はこれからもたくさんの人に「美味しい」を提供していきます!