10年10枚(米)を振り返る

真心米のパッケージ写真が10枚揃いました。一年一枚なので10年という月日が経過したことになります。僕のキャリアでは、サンプラスさんのカレンダー(11年)に続く長さです。個人を撮り続けたものになると、これが最長です。

写真を見ながら振り返ると、色んなことを思い出します。その時に僕が見ていた日々の光景まで浮かぶので、写真の力って凄いと思います。是非皆さんもstudio dpで毎年家族写真を撮り続けてください。こうして並べてもらいたいです。

桑田さんから「東日本大震災の被害にあった野球少年の為に米を作るから手伝ってほしい」と言われ、いきなり縁もゆかりも無い地の田んぼに呼び出された2011年5月。その時に撮ったのが2011年の写真です。いまだにこの写真が一番!と言ってくださる方が多いのですが、この写真に関しては「販売品」の為に撮ったものなので、僕も撮り方と向き合い方が違うと思います。そして、稲刈りよりも確実に田植えの方が絵になるんです。
この時にお米を売った収益で津波で金属バットが流されたという石巻の野球少年達の為に金属バットを買ってお渡ししました。その全ての作業を僕が一人で行いました。とても心細かったネット販売を開始した直後、本当に僕がアップしてから15分以内にヤスヤさんと照本さんが発注してくれて、モニタを見ながら泣いたことを思い出します。心強かったです。
余談ですが、この写真を見た菅原文太さんから対談の依頼が入ったことが忘れられません。ご本人からも「あれは良い写真だね」と褒めて頂いたことが僕の密かな誇りです。

ずっと2011年の写真を使うと思っていたら、生産者の方をはじめ関係者各位より「毎年違う写真が良い」と言われ、困った桑田さんと僕が少し悪ノリして撮ったのが2012年の写真です。二人とも今より若かったから出来たんだと思います。今は絶対にしません。
また、この年から販売ではなくお米そのものを寄付する形式に変わったのも、このくだけたパッケージになった大きな要因かもしれません。

2013年は小雨が降っていて、桑田さんも早くゴルフに行きたくて、しっかりと稲刈りの作業を行う前に「これが僕のお米です!」的な写真をササっと撮った感じです。

2014年は昨年に続き「やっつけ感」が出てますね・・・。毎年必ずトラクターを本当に上手に駆っていらして、ご本人も「そこをアピールしよう!」と言って撮った写真です。本当は左上の運転席の写真を全面に使っていたのですが、ご本人の「ちゃんと操ってる所も使って!」というリクエストでこうなりました。多分、そのやり取りも覚えてらっしゃらないと思いますが・・・。

2015年、2016年は「ゴルフウェアではなくちゃんと撮りましょう!」と言って臨んだ二年です。桑田さんが代表をつとめていたNPOのロゴ(僕が作りました)が入ったTシャツを着てもらってちゃんと撮りました。2015年は唯一「カメラ目線」ではないのですが、「現役時代、ボールに話しかけていたように稲に語りかけてください」とリクエストして撮りました。ちょっと嫌そうでした・・・。
2016年は一番やりたかった「稲の中に入ってもらって撮る」ということがようやく出来た一枚です。軽トラの荷台から撮ったのですが、そこから「もう少し中に入ってくださいー」と指示してたら、少しだけ入ってこちらを見上げ「これくらいじゃ許してくれへんのやろな」と苦笑いして深く入ってくれたことが印象に残っています。

2017年は、またしてもゴルフウェアに戻り、この年からお互い「肩の力抜いてサっと撮ろう!」という感じになりました。これは僕が小林旭さんの「赤いトラクター」を歌いながら、「ちょっと足かけてくださいー」等と言いながら撮りました。僕の歌にサビの部分で少しだけ呼応してくれた桑田さんの鼻歌までもが聞こえてくるエエ写真だと思ってます。

2018年は、実はちょっと深い写真で、この地に誘ってくれた方の田んぼの前で撮った一枚なのですが、この年でこの田んぼを閉鎖するので、どうしてもその前で撮ってもらいたいんや!という生産者の方の意向があったり、色んな方の思いが詰まった一枚なんです。それをそう見せずいつも通りに撮った僕を自分で褒めてやりたいと一枚です。すきや連でお付き合いが始まったカメラマンの大先輩から「今年の写真は良いですね!好きです!」と褒めて頂いたことも嬉しくて強く心に残っています。

2019年は全く印象がないです。ネタもなく2017年の時のように赤いトラクターを歌っていたら、桑田さんが何も言わずスっとトラクターに移動して、このポーズを取ってくれたので、サっと撮って終わり、そんな感じです。2017年からは本当にそういうキャッチボールを楽しむように撮ってます。真剣勝負だったのは2011年だけですが、多分、我々の距離感が投手と打者からバッテリーの距離感に変わったのは2015年くらいからなのかもしれません。

2020年は、何度も書いてきましたが、根本的に稲が無かった為、トラクターでの稲刈りは出来ないと言われていたので、刈った稲を手にというイメージで現場に入って、それを伝えながら田んぼに行って、阿吽の呼吸で撮った一枚です。少し前に書きましたが、本当は生産者の橋本さんとの2ショットをパッケージにしたかったんですけど、そういう訳にもいかず・・・でも思った通りの一枚が撮れて良かったです。優しく柔らかい笑顔になりました。

さぁ、来年はどんな写真を撮りましょうか・・・。PLのユニフォームとか着て欲しいんですけど、頼んだら絶対に笑いながら「嫌だよ」って言うんだろうな。

来年は縦構図の年。久しぶりに田植えが撮りたいですね。

10年目の真心米に思う

毎年のことながら、自分で発送した真心米が自分に届く秋の日。今年は10年という月日が感じられるような、優しく柔らかい笑顔が撮れたのではないかと思います。
特別なことをせず、笑いながらキャッチボールするように撮った写真です。それが良いと思う10年目のパッケージ写真になりました。

いつもは日帰りするのですが、今年はGo To トラベルだかでホテルが安くなるので前泊しました。このキャンペーンでこのパターンを使うのはすでに3回目で、そんな使い方でエエんか?と思わないでもないですけど、使えるものは使わせて頂こうということで、「真心米を発送するだけ」というミッションに対して、「旅要素」の方が確実に多い時間を費やしました。

生まれてから39年間、JR芦屋駅の北側から出ることもなく「迎えること」を生業としてきましたが、39歳で独立してからは、桑田さんを筆頭に多くの方から呼んで頂き、気がつけば47都道府県全ての地に足を踏み入れておりました。
それは仕事とはいえ、自分で行程が組める自由業ですから、例えば2時間の撮影の為に3泊4日の行程を組むことが出来るので、仕事現場にいる時間以外は「旅」になります。

昨日も毎年恒例のサンプラスさんのカレンダー撮影で松山に行きました。道中サービスエリアで食べたコロッケをインスタに上げたりしていたので、帰宅すると我が家のイタリア人が「楽しそうだったね」と笑顔で迎えてくれました。道中で砥部焼のお店に寄って夫婦茶碗を買ったりしていたので、「本当に楽しんでるのね」と、自分の事のように喜んでくれたのがとても嬉しかったです。

実は、僕は意外と色んな所を観光しています。昨日も帰り道にあった椿神社なる所にも寄りましたし、気になったらUターンしてでも寄って帰ります。クルマで行く時ほどではないにしろ、電車の車窓から見えた気になるところは、帰りに途中下車して立ち寄って、そのままその町で泊まることもあります。

そんな旅で出会った風景を僕はSNSにもアップしませんしブログにも載せません。家族にも言わないことがあります。写真だけ僕のiPhoneとMacに入っています。
旅の思い出って、自分だけの宝物で、人と共有することじゃないと思っています。僕がその風景を見て、楽しいことも悲しいことも色んな思いを僕の心にだけ閉じ込めて、人生のアルバムを作って生きているので、そのアルバムは誰にも理解出来ない僕だけのものなんです。それを見せるのって無粋じゃないですか。

独立してすぐに、このパッケージ写真の方に呼ばれ、「何も心配しなくて良い。俺がついてる」と僕の目を見て仰ってくださって、以降本当に多くの仕事を与えてくださいました。そして、その場所は全国津々浦々に渡っていました。「何月何日何時にここへ来てほしい」というメールが入って、それに従ってその場所へ行き、一緒に仕事をして一緒に食事をして解散。その前もその後も自由なので色んな旅をさせて頂きました。人が簡単に見ることが出来ない景色を見せて頂きました。色んな思い出を作らせて頂きました。そして、それはまだまだ続くんだということを、このパッケージの写真を見つめながら感じています。

11年目の真心米に向けて、また新しい旅が始まっています。餃子とカレーを売っていても、僕の根底にはちゃんと写真があることを、毎年この人に証て頂いていることが、何よりの恩返しなのかなと思って生きています。

2020年「絆の会」中止

事務局とカメラマンを兼任して携わらせて頂いている、プロ野球昭和42年会「絆の会」の2020年の野球教室がコロナの影響で中止になりました。
ギリギリまで粘りましたが、事務局としてこれ以上話を進めることが出来ず、桑田さんと相談して中止という結論に達しました。本当に残念です。

主催者の方が責任を負うと仰ってくださったのですが、参加した子供達に危険が及ぶ可能性がまだまだ低い訳ではない現状、そして会員が全国各地から集まるという状況、Go to トラベルとは全く違うということ、色んなことを考えた時、僕の中で「開催」という選択は出来ませんでした。

「出ない」「出さない」ということを前提に出来ない以上、無理だということです。

今年は僕が携わらせて頂くようになって丁度10年目でした。10年の間、本当に色々なことがあって、何度も「今年で最後」と思い取り組んできましたが、いつの頃からか、皆さんから「お前しかいない!頼む!」と仰って頂くようになり、出来る限りは継続の為に力を尽くそう!と誓い今日に至っております。

プロ野球の世界に入れる人は本当に限られていて、昭和42年生まれの人でプロ野球選手になった方は100人にも満たない厳しい世界です。
その厳しい世界に身を置いた方々が、「野球界への恩返し」という名目で、一年に一回、手弁当で野球教室を開催するのが、「絆の会」です。
僕は出来れば、毎年「故郷に錦を」ではないですけど、会員の方の故郷で開催出来れば良いなと思い事務局として取り組んでいます。会員の方の地元で開催すると、その人の為にその地の人たちが一丸となってバックアップしてくださる、文字通り「オラが街の英雄」の為に一肌も二肌も脱いでくれて、それがひいては、その街の野球少年少女の為に繋がっていく、それがこの会の素晴らしいところだと僕は毎年密かに帰路で感動の涙を流しているのです。

そうやって毎年続いていたことが途切れるというのは、本当に辛く切ないことではありますが、本当に「仕方がない」という言葉しか出て来ません。僕はこの言葉が好きではないですけど、本当に「仕方がない」です。

今年の年末は皆さんに会う楽しみが無くなってしまいましたが、また来年必ず会えると信じて、そしてまた来年子供たちの元気な姿が見れることをただただ願うばかりです。

Still Alive/09/2020

スタジオでの撮影は戻りませんが、企業様からのご依頼の出張撮影は少しずつ戻ってきました。今月も何度か出張撮影に出ましたが、訪れた先でも少しずつ元に戻りつつあるような、そんな雰囲気がありました。もう良い加減元に戻っても良いのではないかと思うのですが・・・。

そうしてペースが戻ってくると、芦屋うめちゃんの味の定休日に出張撮影を入れるので、自分の休みが一切無くなることになる訳で、独立当初の10年前くらいならまだしも、五十路に入った僕にとっては、なかなかフィジカルにもメンタルにも響きます。

新幹線の車窓から流れる景色を見つめながら、色々考えていかないとなぁ・・・と思っておりました。コロナが一つのターンイングポイントになると思えるほど、色んなことで自分の仕事を取り巻く環境が変わっていってます。

餃子やカレーを売ることとスタジオ業務の二足のわらじをなんとか履こうとしてきましたが、それはそれで本当に難しく、このコロナでスタジオ業務が激減した今だからこそ、少し注力する方向性をしっかり考えていかないといけないのではないかと思っています。

振り返ってみると、「あの時ああだからこう考えた」と思うような、そんな重要な2020年9月だったような気がします。
ええ、気のせいかもしれませんが・・・。

2018年にご依頼頂いた某中学野球部のドキュント撮影の延長で、彼らが高校生になってからも追っています。今年の夏はコロナの関係で練習や試合を一切撮る事が出来なかったのですが、今月ようやく練習試合の一部の撮影が解禁され、久しぶりにグランドに行って来ました。
見上げた空が完全に秋空で、今年は夏空を見上げる事なく終わったということを感じる9月の終わりでした。

10年という時を撮る

真心米の生産者の橋本さんは、僕にとって実際の親戚の叔父さんよりも親戚の叔父さんのような存在です。
この人の男気が無ければ真心米は成り立たない訳で、初めて会った10年前、真心米のプロジェクトを引き受けてくれる人を探していた際、「ワシで良ければ」の一言で僕を救ってくれたことを昨日のことのように思い出します。

何度も通った初年度に始まり、2年目以降は9月にパッケージ撮影を兼ねた稲刈り、11月に発送作業と年に2回通って来ました。
いつも書いてますけど、橋本さんが待つその地に行くという事は、僕にとって(きっと桑田さんにとっても)親戚の叔父さんの田舎に行くような感覚で、9月にワクワクしながら眺める特急ソニックの車窓の眺めと11月の帰りに吐きそうな程に切ない車窓の眺めのコントラストは、10年経っても全く何一つ変わることなく、僕の人生にたくさんのものを与えてくれました。
4年目くらいからは駅で別れる際、なぜかお互い涙ぐんでしまって・・・ホームで風に吹かれながら、本当に色んな思いを重ねてきました。

実は今年の10年目の真心米のパッケージ写真は、桑田さんと橋本さんの2ショット写真で!と密かに決めていて、僕が思った通りの写真が撮れて、これでいきます!と言ったところ、橋本さんから「皆、桑田さんのパッケージを楽しみにしちょるからワシが写っとったらガッカリさせてしまう!写真だけありがたく貰っておくわ」と照れたように笑って、それがとてもカッコ良くて、少し泣いてしまいました。

10年目の桑田さんと橋本さん、二人のこんな笑顔を撮る事が出来て僕はとても幸せです。同じ10年という時間を共にしてきた僕にしか撮れない笑顔だという自負もあります。

今年のパッケージで10枚の写真が並ぶ事になります。NPOを通じてお米の活動をしていた頃は、それなりに気を使って、真剣勝負のバッテリーのような呼吸で撮って来ましたけど、ここ4〜5年は肩の力が抜けて、リラックスしてキャッチボールしてるような、そんな感覚で撮っています。

ちゃんと僕の写真が向かっている方向にある一枚。大好きな写真が増えました。

Still Alive/08/2020/

少しだけ落ち着いた今月。テレワークが続きながらも美味しいものを作ってくれていたカミさんの為に京都に行って来ました。
外食は、「いつも美味しいものを作ってくれる人の為にするもの」だと思っていますし、外で食べることが外食ではないと思っています。「美味しいものを食べる為に足を運ぶ」ことが、外食の概念だと思って生きております。
また、店を選ぶ基準は「店主が作っていること」です。他店舗展開は論外として、オーナーシェフが作らずホールで喋ってる店はどれだけ美味しくても行かないです。
そんな勝手なこだわりを掲げるので行くお店は限られるのですが、結果的に本当に心から楽しめるお店に巡り合えるので、こだわりは大事だと感じています。
そんなお店にカミさんと二人で行ってきた訳ですが、やはりまだ街自体が元に戻った感じが一切無く、どことなく悲しく切ない思いも残りました。早く前のようになってほしいと願うばかりです。

仕事の方もやはり難しいです。なかなか元に戻らないです。このままだったらどうしよう?と思いながら、でもいつか雲が晴れることを信じて、コツコツしっかりと日々取り組むだけだと思っています。

暑い暑い毎日を過ごした今月。来月もまた残暑が厳しそうですが、夕空に秋を感じられるようになったので、良い風を求めて頑張っていきたいと思います。

ロード2020夏

先日、中学時代からの大切な友人から一本の電話が入りました。
「麻布十番に新店をオープンするから写真を撮りに来てくれないか?」
「コロナで大変な時だから無理に受けなくても良いけど、出来ればやっぱりお前に撮ってもらいたい」
そう言われて断る理由は何一つないじゃないですか。
仕事の依頼という部分でも当然ありがたく、そういう意味でも断る理由はないのですが、彼が神戸に一番最初の自分のお店を出した時に「写真はお前しかいない!」と言ってくれて、以降、新しいお店を出す度、何かある度に「お前の写真!」と言ってくれる以上、僕に断る理由はありません。

個人的に、色んな情報が流れる中、自分自身が納得出来ない以上、「ロードに出る」という気にはなれず、「愛車」とまで呼んだN700系、それもSの走りを堪能してぇなぁなんて気持ちにもなれなかったし、東京に住む従兄で大親友のヤスヤさんに「仕事でそっち行くから飲もうや!」と声をかけるも「会社で飲み会禁止されてんねん・・・」と断られたり、やっぱりまだまだ「ロードに出る」という気持ちになれない中での今回の依頼でした。
なので山手線や地下鉄にも乗らずタクシー移動を選んだり、前泊も後泊もせず、現場以外に行かず日帰りという、いつもと違うロードになりました。

後藤君からの依頼でなければ断っていたかもしれません。
僕には「頼む」と言われて断れない人が数人いますが、彼もまたそういう一人です。
独立してがむしゃらに進む道の途中、彼が僕に「お前の写真じゃないとアカンねん!」と言ってくれたその言葉は、空から射す一筋の光でした。
あの大きい声でスベリ気味のコメントを飛ばしながら、でも心の奥深いところで相手を思いやる、そんな優しい男です。

色々あると思いますが、ずっと撮ってきた俺が太鼓判を押します。

「良い顔してるよ」

心配要りません。新しいお店も流行る。間違いない。
デカい声の人間に悪い人はいないです。
彼は特別声がデカいので特別良い男です。
そんな男が作る蕎麦です。美味しいに決まってます。

いつかきっとニューヨークに蕎麦屋を出すと信じてます。
蕎麦で世界を健康に!その思いで突っ走ってください。
その時もちゃんと撮りに行きます。

そんな彼の新店
「JAPA SOBA HANAKO」
東京都港区麻布十番2丁目8番16号
ISIビル101
tel : 03-3451-0875

2020年8月13日オープンです!
よろしくお願い致します!

Still Alive/07/2020/

今月は少し落ち着いたような気がします。5月末の自粛解除から写真のお客様が戻ってきてくれて、逆に餃子のお客さんが落ち着きました。今月は値上げも行ったので尚落ち着いた印象です。少しずつではありますが、両立のバランスも上手く取れ始めているような気がします。
写真の方は会社関係の撮影が戻ると万全なのですが・・・こればっかりはもう少し時間がかかりそうです。

世間ではGoToキャンペーンだなんだと言ってますけど、なんか全くそういう気分になれないです。出かけなくて良いのであれば出かけず済ませたい。そう思います。仕事で出なきゃいけないこともありますので、普段は余計に出ずに済ませたいです。

6月初旬に就活の写真を撮りに来てくれた子が「内定貰いました!良い写真を撮ってくれたおかげです!」と言いに来てくれました。それだけでも充分嬉しいことなのですが、撮影に来てくれた時に「これを食べて頑張って!」と言って餃子を渡したのですが、「餃子に元気を頂きました!そしてとても美味しかった!」と言って買いに来てくれたのでした。
僕が撮った写真と照本さんが提供してくれる父の味が、こうして人様の人生に携われることが出来て、それは本当に嬉しいことで、ここでこうやって仕事をしていることが間違ってはいない!と証明してもらったようで、心の奥底から温まりました。

いよいよ夏本番!今年は梅雨が長かったですけど、来月は暑くなりそうです。

Still Alive/06/2020/

今年に入って順調なスタートを切っていたのですが、3月からコロナ禍で少し停滞気味になり、4月と5月はスタジオの方は全くダメだったのですが、うめちゃんの味の方は順調で、店番しながら時間があったので色々整理していて、この放置していたブログを見つけました。

 2010年から2013年は僕の中では割と「空白の期間」で、周囲の人は「一生懸命笑顔で頑張っていた」と言ってくださるのですが、僕自身は殆ど記憶がなくて、その頃の心情なりを綴っていたこのブログに蓋をしていたことからも、もしかしたら自分自身で一旦横に置いておかないと先に進めないという判断をしたのかもしれません。今となってはもうわかりませんが・・・。

後、Facebookの方で日々を綴っていたので、そちらに移行していったのかもしれません。それももう今となってはわかりません。

このブログに蓋をした後、2014年からの3年間、店舗付き住宅に引っ越して路面で写真スタジオを展開しました。写真以外の仕事が多くなってきて、少し迷走しはじめていたので、改めて自分は写真で生きていく!という意思表示をしたい!という思いと、独立した時から、「街の暮らしを写す写真館」というのが目標だったので、独立から5年でその目標に舵を切ったことになります。

そこで3年間、色々なことがあって、失敗だったと言う人もいました。確かに商業的には成功とはいえなかったけど、この仕事を続けていく上で、これ以上ない成果を得ることが出来たので、僕の中では成功だと思っています。

その成果を持って、我が家のイタリア人ことカミさんと共に優しい父と母と共に暮らす為に実家に戻りました。その軒先にスタジオを作ってもらって、そこでずっと写真を撮っていく!と決めました。

その暮らしが始まった頃、盟友である照本さんが父と母の為に父の味のアーカイブを商品化する会社を作ってくれて、その商品をスタジオで売る事業も始まりました。

2013年9月で途絶えたこのブログを再開することにしたのは、封印したい過去を振り返ることが出来るようになったことと、SNSではなく、ブログで日々を綴りたいという思いが生じたことが大きいです。

今月で僕も50歳になりました。50年生きてきて、僕は自分が不幸だと思ったことはありません。人からはら不幸に見える事もあったかもしれませんが、僕は常に幸せです。

多くの人に支え愛され僕の人生は続いています。また少しずつその思いを綴っていければと思います。SNSもブログも人の為にするもではなく、自分の為にするものだと思っているので、恐らく今後も未来の自分に向けて書いていくと思います。

※Facebookで綴ってきたものの中で良いものがあれば移植していきたいと思います。

僕がここにいる意味

「コロナで結婚式が中止になったのですが写真だけでも撮りたい」
3月の終わり頃にそう言ってご来店くださった若いご夫婦。
何度も何度も「リスクも高く大変な時期ですけど受けてくださいますか?」と聞いてくださいました。
不要不急の外出は自粛するように要請されていますが、入籍や写真撮影のチャンスが今日しかないとのことで、賛否はあると思いますが、二人にとってそれが不要不急ではないという判断であるならば、僕に断る理由はありません。

という訳で、今日はそういう写真を撮らせて頂きました。お二人が所望されたヨドコウ迎賓館、そして芦屋川沿の桜の前、最後はstudio dpで、たくさんの写真を撮らせて頂きました。
結婚式自体が中止になったとのことだったので、ヨドコウ迎賓館の長い廊下で指輪の儀式を行なってもらったり、たくさんの場面を残せたのではないかと思います。

桜の前で写真を撮っていると、近くの家の窓から「おめでとう!」と大きな声で祝福の言葉が飛んできました。少し照れながら大きな声で「ありがとうございます」と答える二人の笑顔が本当に素晴らしく、今日の日は二人にとって大切な瞬間で、今の日本では非難されることなのかもしれないけれど、「辛い春の日」に彼等なりの一本の筋を通すことで「幸せな春の日」にしたことは、僕は素晴らしいことだと思います。

帰り際に新婦のお母様から手紙を頂きました。
「この様な状況にも関わらず、二人の願いを叶えて頂きありがとうございます」と書かれていました。
願いを叶えるなんて、そんな大した人間ではないんですけど、いつも人様の人生に携われることが僕の仕事の一番の幸せだと思って生きているので、とても嬉しいお言葉でした。
なんか、本当に色んな涙が流れて困ります。二人にこんな思いをさせたコロナに対する憤りの涙も流れます。でも、やっぱり人とのふれあいの中で流れるあたたかい涙を一番多く流したいです。

「振り返った時に思い出になる一日にしましょう」
そう言って撮り始めました。そうなってくれることを願っています。

余談ですが、手紙をくれたお母様が、昨年のとなり人間国宝さんを見てくださっていて、「あの写真屋さんだったら受けてくれると思うから行っておいで!」と二人をstudio dpへと誘ってくださったようです。

暖簾もかかり、大きな窓にも「うめちゃんの味」の文字がありますが、ちゃんと誇りを持って「studio dp」の看板も掲げておりますので、今後ともよろしくお願い致します。