今年もありがとう!天使達!

いつも書いている大好きな現場である保育園の撮影は、やはり一年という期間で一つの区切りが訪れる訳ですが、年長さんはこの3月で卒園していくので、この季節は別れに向かってのファイナルカウントダウン!

そんな中、3月1日にお別れ遠足に帯同撮影してきました。お別れ遠足は年長さん(ふじ組さん)だけのイベントで、いつも以上に密接に彼等とふれあう訳ですが、一昨年の夏に蜂の巣にされた僕の魂の束を無垢な心で救ってくれたのが、昨年のふじ組さん(通称・俺のふじ組)だとするならば、今年のふじ組さんは、二年目の付き合いで、春先からずっとフランクに仲良く付き合ってくれた、僕にとっては、本当に“仲良し”の関係で一年過ごせた天使達でした。

昨年は心のダムが決壊しまくって大変でしたけど、今年はフランクな関係である分、そりゃもう離れるのは辛いんですけど、笑顔で送ってあげれそうな気がしています。一人一人の顔が昨年とは違う視点で見れてる事に自分自身で驚いています。勿論、そうなれたのは、昨年の俺のふじ組さんとの別れを経験したからであることが全てな訳ですが。

今年のふじ組さんは、ずっと僕のことを「カメラマン」ではなく「梅田さん」と呼んでくれていて、いつも「一緒に給食食べて行って」だとか「ふじ組の教室に来て」だとか、本当に優しい言葉をたくさんかけてくれました。

昨年も思ったことなんですけど、きっと「梅田さん」のことはいつか忘れてしまうんだと思います。けれど、僕と彼等の間には、たくさんの写真が残っていて、その写真一枚一枚には、僕の彼等に対する気持ちが残せているので、僕はそれだけで満足です。本当はもっと写真を売る事を考えるべきなのかもしれないけど、この現場ではそういうことを思うことが出来ず、写真を残すことで子供達の人生に少しでも携われる事が、何よりの幸せだと感じています。

そして今日、ひな祭りの撮影に行って来ました。一年を通じて最後のイベントです。昨年のこの日、なんともいえない気持ちで撮影に臨んだのに対し、今年は割と冷静に撮影が出来たのではないかと思っています。

一番下の子供達から順番に集合写真を撮るんですけど、一年が始まる4月に比べ、みんなと僕との間に小さいかもしれないけど、信頼関係みたいなものが出来ていて、何も言わなくてもちゃんとカメラを向いてくれて、そしてとても自然な表情で写ってくれるんです。それは年が上がっていくごとにそう感じて、最後のふじ組さんを撮る時は、もう言葉なんていらなくて、本当に自然に良い顔を見せてくれるんですよね。その一枚を撮った時、僕の一年間が間違いではなかったことが証明されているようで、本当に嬉しく、そして誇らしい瞬間だったりします。

本音を言えば、「僕は君達の事を忘れないから君達も僕の事を忘れないで」と言いたいところですが、それは贅沢な話で、写真が残るだけで充分です。

写真が残るといえば、卒園アルバム用の集合写真を撮る際、一緒に入らせてもらいました。可愛い子供達の横に革ジャンのオッサンが写ってるのもどうかと思いますが、僕の一年間の集大成であり宝物です。毎年こうしてみんなと写真が撮れるよう、心でふれあえれば良いなと思っています。

来月、みんなは青い帽子がランドセルに変わります。新しい扉を開けて広い世界に出ていくみんなの未来が明るいものになることを祈っています。いつまでもその笑顔とその元気を忘れないでください。本当にありがとう。

ヴァレンタインデー 〜すき焼きとチョコレート〜

今年のヴァレンタインデーは、すきや連の例会で松坂牛といえばの和田金さんに行って来ました。本当はアミーチの指導者講習会が宮崎であったので、そちらに行く事になってたんですけど、今年から会長のマネージャーに就任したN氏と色々協議した結果、牛の待つ松坂に行ける事になりました。ありがとうございます。
すき焼き屋でも無いのになぜか皆勤賞を続けているので、それは出来るだけ続けたいと思っていたので良かったです。

今回も大変勉強になる会で、でも本当はやっぱり美味しいすき焼きが目的で、非常に有意義なひとときでした。いつも優しくしてくださる皆さんには本当に心から感謝しています。ヴァレンタインにすき焼きなんて、なかなか粋なはからいですね、住吉さん!

松坂へは鶴橋から近鉄特急に乗りました。近鉄は一番馴染みの無い電車だったんですけど、二年前から色々ご縁がありまして、その流れで小学生の頃、賢島に行った時以来の近鉄特急に違和感はありませんでした。でも、後の席のオバチャン集団が凄まじく、僕のiPodから流れるディストーションサウンドを切り裂くような轟音ミーティングを行ってらっしゃいました。いや、でもなかなか会話が面白かったので、途中から楽しませてもらいました。降りる時、絶対顔を見てやろうと思って、本当は前から降りた方が近かったんですけど、あえて集団の横を通り、その際にさり気なく会釈までさせて頂きましたよ。もう本当に“そのまんま”な人達でホっとしました。

到着後、皆さんとお会いして和田金牧場の見学バスツアー。工場長さんの慣れたトークに消毒待ちの時間も楽しませて頂きました。すべてにおいて王者の風格でしたね。素晴らしいです。亡くなった祖父がよく「和田金さんに行って食べて来い」と言ってた意味が分かりました。おじいちゃん、色々ごめんなさい。美味しかったです。

すき焼きを食べた後、松坂で一泊しようと思ってたんですけど、翌日に打ち合わせがあったので日帰り。東京から来られた方も日帰りする方がいらっしゃって、そういう方々の為にいつもの例会よりも一時間早く始まり一時間早く終わるという、まさに事務局の住吉さんのなせる技で、それで僕も楽に日帰り出来ました。ありがとうございました。

近鉄特急に揺られていると連絡があったのでそのままチョコレートを頂きました。泣かせるメッセージ付きで嬉しかったです。ありがとう。

毎年我が家の冷蔵庫には不二家のハートチョコレートが何も言わずとも5枚は必ず入っていたんですけど、今年は先日一緒に買った小枝が入ってて、ハートチョコレートももう食う事ねぇなぁなんて思ってたんですよね。加えて、組織に属して仕事をしている訳でもないので、義理チョコも貰うことがなくなっていたんです。

でも今年は今村チーフの嫁ちゃんに始まり、なんだかんだと義理チョコを頂きまして、本当にありがたかったです。やっぱり嬉しいですよね。すきや連のイベントでもチョコレートが当たりましたし、皆さんのおかげで暖かい気持ちになれました。ありがとうございました。

そして翌日! 家から直接打ち合わせに行って、午後に事務所に戻ると・・・なんと!大好きな現場である保育園から荷物が届いているではありませんか! 袋には「2月14日到着指定」と書かれていて、そりゃもう鈍感な僕でもわかる訳で、もう開封前から泣きそうになっていたんですけど、開封してビックリ! 子供達が作ってくれたカードが入っていて、もう心のダムは決壊です。作ってくれた子供達も、先生方の配慮も、その全てが心に染みて、人生で一番のヴァレンタインデーになりました。本当にありがとうございました。

夜、今年頂いた二つのメッセージを見つめながら、今の自分が立ってる場所は全然悪くないなぁなんて思いながら飲んでて、やっぱり少し泣いてしまいました。幸せ過ぎて死んでも良いとすら思ったんですけど、死んだら皆と幸せになることが出来ないですから、人生の糧にさせてもらおうと思っています。

メッセージ付きのチョコレートなんて、いつ以来なんだろうか・・・。チョコよりもやっぱりそっちの方が嬉しいですよね。手書きのメッセージと手作りのメッセージ、今の僕にはこれ以上の宝物はありません。

でもあんまりオッサンを泣かせないで頂きたい!

あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願い致します

今年も昨年同様、財布交換の儀式を行いました(財布を変える理由はコチラ)。

そして、今年の初夢は殺される夢ではなく、意外な人が出てくる意外な夢でした。起きた時、ちょっと笑っちゃうような、そんな夢でした。いえ、良い夢では無かったんですけど、なんとなく自分らしい夢だったかな、と。そんな感じです。

さて今年の財布ですが、ちゃんと年末に京都で買いました。毎年京都で買っているんですが、今年は一人で買いにいかなアカンなぁ~なんて思っていたんですけど、財布交換の儀式を知って付き合ってくれる人がいたので一緒に行って来ました。ありがとうございました。

なぜに年末の京都なのか?と言った場合、2005年から毎年仕事納めを終えた12月26日に京都で一泊して、27日に京都から出社して仕事始めを行うということを休みの無いサービス業における自分の区切りとしていたのですが(当時は正月休みがない仕事だったので)、その際にどこにも売り切れて売っていない物が必ず京都で見つかるということが続いたので(本当に日本国内で品薄が続いた物が奇跡的に入手出来た)、買物に関しては縁起が良いと僕が勝手に思ってて、それがあるから毎年財布を新調するのは京都でと決めた訳です。

ええ、いつも書いてますけど、そういう理由がないと動かない面倒くさい男です、僕は・・・。

で、今年バージョンの財布に関して。毎年自分の中でコンセプトがあって、それに沿った物を河原町のデパート内にあるブランドショップを巡って探すんですけど、昨年は色々クサクサしてて、パンチの効いた物が欲しい!と思ってて、自分の中で“ロックスター”というコンセプトがあって、そういうキラキラした自分が10代後半から20代前半の頃に追っていた部分を取り戻したくて、そういう財布を探していて、Diorで見つけて心を鷲掴みにされ即ゲットしました。

今年は自分自身を取り戻すことが出来たので、更にもう一歩踏み込んでいきたい!という気持ちがあり、自分の中で少しハードな物という思いがあって、特にスカルというのは、今年の夏くらいから自分自身が一つのポイントにしていた物だったので、一番最初に入ったプラダでこれを見つけた時に、“やっぱり年末の京都!”と思いました。

一応、昨年のことがあったのでDiorにも足を運びましたが、そこに昨年のようなマジックはなく、プラダに戻ってファーストインパクトでこれを選びました。

僕の中には常に海賊になりたいという思いがあって、それはワンピースのそれでもないし、ジョニーディップのそれでもなく、子供の頃に読んだ絵本だったり映画だったりします。そこには「七つの海を制覇する!」という海賊のコンセプトがあって、今の自分の心に一番フィットする言葉だったりするので、夏くらいからカバンや身の回りにスカルを増やしていたところ、ベストな財布と出会える事が出来ました。

元日の朝、新しい財布に入れ替えている時、心の中で「ヨーソロー」とかけ声をかけ、スティーヴ・ジョブスがMacintoshを開発する時、そのチームの部屋にドクロ旗を掲げたエピソードを思い出し、「俺のそれはそれとちょっと違うけど、でもちょっとそんな感じ」と呟きながら、最後に大事な人からもらった大事な写真を小銭入れの部分にお守りと共に入れました。

小銭入れといえば、これまた年末の京都で見つけた、たまたま「dp」と刺繍された物を愛用してきたんですが、それも今年は変えました。チョイスしたのはティファニーの物です。ハードな外側に対し、開けるとティファニーブルーというところが気に入りました。そういう部分も大事にしないとアカンと思ってますので・・・。

とまぁ、読んでいる人には本当にどうでも良いこだわりなんでしょうけど、こだわりが無くなったら終わりなので、毎日使う物だから余計にそういうこだわりは大事なんじゃないかなぁなんて思ってます。

さぁ、年も明けたし財布も変えました。今年も一年頑張ります!

※僕は一年に一回年末の京都でしかブランド店に入りません

 

真心を届けることが出来ました!

今年、僕が行った仕事の中で、割と長いスパンだったのが真心米プロジェクトでした。5月に田植えに行ってから8月に視察、9月は稲刈りと打ち合わせの2回、10月と11月に出荷作業と、計6回北九州の地を踏みました。その都度、優しくして下さった現地の皆さんのことを忘れることは出来ません。本当にありがとうございました。

11月半ばに最終出荷を終え、ホっと一息ついていたのですが、今回のプロジェクトの本来の目的である、収益で野球道具を購入し、お米と共に被災地に送る作業が残っており、会長と共にクリスマス時期に合わせて調整してたのですが、会長と旧知の間柄でいらっしゃる清水隆一コーチングカレッジ株式会社の清水代表のご協力のもと、清水先生が12月10日と11日に陸前高田市と久慈市で行う野球教室を通じてお届けさせて頂くことが出来ました。清水先生、本当にありがとうございました。

僕自身、真心米のお申し込みから出荷までの作業において、窓口を一人で担当していた経緯と、やはりご購入頂いた皆さんの真心とお金をお預かりした責任から、会長が多忙な場合は、僕自身が一人ででも届けなければいけないと思っていたのですが、丁度宮崎でのアミーチ主催の野球教室と日程が重なってしまい、11日の朝に宮崎を発ち、なんとか久慈市の野球教室にだけでも駆けつけたいと清水先生とお話させて頂いたのですが、被災地の交通事情等で現実的に不可能であることで断念、清水先生の「梅田さんの気持ちは理解出来る。ここは僕に託して欲しい。」という暖かいお言葉に甘えさせて頂くことにしました。

そして、清水先生を通じ、お届けさせて頂いた陸前高田市と久慈市の中学校の皆さんから素敵な写真が届きました。それはアミーチのページの方で掲載していますので、是非ご覧頂ければと思います(コチラ)。

子供達の手には、「真心米を買ってくれたみなさんありがとうございます」という言葉が・・・。写真を見た時、やはり胸に熱いものがこみあげてきましたし、皆さんからお預かりした真心を届けることが出来たことに対しての安堵感に包まれました。

僕自身、阪神大震災を経験し、全国の方々からの救援物資を頂いたり、たくさんの真心を頂きました。野球をしている少年達にとって、今回届けさせて頂いた野球道具の存在がどういうものなのか、多少なりとも理解出来るつもりです。

陸前高田市の方々から頂いたメッセージにも久慈市の方々から頂いたメッセージにも、「いただいた真心を自分達のパワーに変える!」という力強い言葉が書かれていました。本当に嬉しかったです。ありがとうございました。

僕自身、真心米のお申し込みに際し、やり取りさせて頂いたご購入者の方々からの言葉をたくさん拝見させて頂きました。備考欄や別途メールにて「桑田さんの活動に共感し、自分達に出来ることがしたい!子供達に野球道具を送ってあげてください!」という言葉をたくさん書いてくださっていました。また、「素敵なプロジェクトに自分も参加出来て嬉しい!」という声も多かったです。中には「パッケージの写真が素晴らしい!」という言葉も多く、これは個人的に凄く嬉しかったです。

そうした皆さんとのやり取りがあったからこそ、僕自身の中でこの真心を届けることの責任の重さを痛感しましたし、なんとか自分の手で!という思いにつながったのでした。

今回、陸前高田市にも久慈市も行くことが出来ず、自分の手で真心を届けることは出来ませんでしたが、清水先生を通じて皆さんの真心を届けることが出来たことで、ご購入頂いた皆さんへの責任は果たせたかなと思っています。

大変な日々でしたけど、本当に素敵なプロジェクトでした。僕自身の中にもこれからも続いていくキャリアという道の上で、今回のパッケージ写真は大きな存在になりました。一枚のパッケージ写真にこれだけたくさんの方々の思いが込められたのですから、これ以上の幸せはありません。ありがとうございました。

 

感謝の道

今年も麻生ジャイアンツさんの卒団式&クリスマス会に出席させて頂きました。今年で三年目ですが、今年卒団する6期生の皆さんは、僕が独立してすぐ、麻生ジャイアンツさんの仕事を会長よりご依頼頂き、一番最初に撮らせて頂いた子供達だったので、僕自身も色々思うところがありました。更に、昨年までは広報担当の方を中心に一部の方々とふれあうことが多かったのですが、今年は夏合宿で皆さんといつも以上に親しくさせて頂いた事もあり、いつも以上にハートに響くひとときでした。皆さん、本当にありがとうございました。

卒団式のハイライトである子供達がお母さん方に感謝の気持ちを述べるシーンでは、本当にいつも感動しっぱなしで、子供もいなけりゃソロ活動を開始したばかりのオッサンの心のダムの決壊を止めることなんて出来るはずもなく、もうボロボロでした。

そして、夏合宿で僕が撮った写真を使用していた頂いた7期生の広報担当のNさんは、さり気なく僕が写真を撮ってる写真をスライドショーの中に入れて下さり、自分自身もその一員になれたような気がして、とても嬉しかったです。ありがとうございました。

更に「ブログ読んでますよ〜」と声をかけてくださったり、「(右側にバナーで貼ってる父の)本を買いましたよ〜」と仰って頂いたり、本当にありがたい言葉をたくさんかけて頂きました。ありがとうございました。

2009年の5月に独立したのですが、独立を決意した3月に丁度会長が来られていて、その際に自分の決意を聞いて頂き、「独立したらとりあえず来て欲しい」と言われていたので、5月12日に代官山のイタリア料理のお店に挨拶に伺い、その際に人払いをされ、「何も心配しなくて良い。俺がついてるから」という暖かいお言葉を頂きました。その一言が何の準備もせず40前で独立した僕の心にどれだけ勇気をくれたことか・・・。

その言葉の後、会長が仰って下さったのが、「麻生ジャイアンツの仕事を手伝って欲しい」という言葉でした。それ以来、皆さんのお役に立てるよう、自分なりに一生懸命取り組んできたつもりです。

しかしながら、そうは言っても、実はいつも僕が皆さんに救って頂くことが多く、本当に反省することばかりです。

昨年の夏、皆さんにご迷惑をおかけする形でスタートを切ったNPOの仕事に関しても、いつも練習場で行う講習会に対し、優しい気持ちでお手伝い頂いたり、個人的に色々あり荒んでいた僕の心を優しく優しく救ってくださいました。

あの時期、皆さんの笑顔や何気ない一言、そして選手である子供達の野球に対する熱い思い、そういう部分に触れることが出来たのは、僕にとっては運命だったような気がしてなりません。それぐらい僕の人生の中で本当に大きな大きな出来事でした。

いつもいつも子供達を優しく見守るお父さんやお母さんの眼差し。何度も駅まで送って頂いた車中で、僕が「毎週大変ですね」と声をかけると、皆さんが異口同音に「子供達と一緒にいれるのは中学の三年間だけだからこの時間は本当に大切なんです!」と、子供達への思いを語ってらっしゃって、胸が熱くなったのを思い出します。

子供達もその思いに応えるべく、一生懸命野球に取り組み、親子の絆が深まっていくのを目の当たりにし、本当に本当に感動しました。

何度も通ったグランドで、いつだって明るく笑顔で接してくださった皆さんのこと、本当に忘れません。6期生の皆さんは、卒団してもまだまだこれから道は続いていく訳で、色んなことがあると思いますが、あのグランドでお父さんやお母さんに見守られて過ごした日々を思い出し、頑張って欲しいと心から思います。

そして今回も僕が勝手に「俺の寝床」と決めている部屋に泊めて下さった会長とご家族の皆さんに感謝しています。最初の頃から「泊まっていけ」と仰ってくださっていたのですが、ご迷惑をおかけしたくないので、いつも都内まで移動しておりました。昨年はハードな日々が続いていたので、毎回日帰りしていましたが、会長より「一人は寂しいやろ」と言って頂き、今年からその言葉に甘えさせて頂くことにしました。

毎回、夜にホームバーで飲みながら色んな話をさせて頂くのですが、今回も僕のことを気遣ってくださり、僕自身のことを色々聞いてくださいました。僕がソロ活動を開始してから呼んで頂くことが多くなったことについて、少しでも気分転換になればという意図があったこと、いつも“dpは一人で大丈夫なんやろか?”と気にかけてくださっていること、「dpが冷たい身体で発見されることを考えると胸が痛くなるので、頑張ってでも恋して良い人見つけろ!」と仰ってくださったこと、一つ一つが胸に響きました。ベロンベロンに酔ってましたが・・・。

翌日の帰りの車中、気になっていたので今年N700系に何回乗ったのか調べてみました(昨年も最後のロードで同じことをしました)。結果、48回も乗っていました。呼んで頂けることは本当に幸せで、その回数分皆さんのお役に立てるよう頑張ってきましたが、実際はどうだったのか・・・。また呼んでもらえているということは、少しでもお役に立てているのかなと思ったりもするんですが・・・。

これで今年のロードは終了です。来年も同じペースでロードがあるかどうかわかりませんし、自分自身で仕事のペース配分を考えた時、もう少し考えた方が良いのかなと思ったりしないでもありません。ただ、僕のようなしがない脱藩浪人でも人様のお役に立てるのであれば、呼ばれればどこへでも行く所存です。

感謝の道が途切れることなく続いていること、それ以上の財産はありません。本当にありがとうございます。

 

大人の社会科見学

今月最後のロードに行って来ました。真心米の収支報告とお世話になっているすきや連の例会出席です。すきや連の例会は群馬開催ということで、丁度収支報告を行わなければならない為、22日に収支報告を行いそのまま東京に宿泊し、23日に東京から群馬に行って東京に戻って宿泊、24日に帰るという行程を組みました。

11月22日、もはや通い慣れた道を淡々と東へ。新神戸に車を停めてN700系に乗り込む訳ですが、改装工事中で不便な新大阪から乗り込むよりも、やっぱり呑気な新神戸が僕は好きです。人がたくさんいるところを殆ど見たことないですし。

いつものように新横浜で降りて大嫌いな横浜線に乗り換える訳ですが、季節はすっかり秋を通り越した感じですね。昨年の同じ時期を思い出し、なんとなく色々思うところもありましたが、そんな感傷に浸っているヒマ等ある訳もなく、町田で小田急に乗り換えて最寄り駅まで移動し、サクサクと収支報告を行い、請求書や領収書を提出してきました。長く続いた真心米の作業もこれで本当に一段落。後は被災地へのお米の発送と収益で購入した野球道具を送る作業のみ。でも、これが一番重要な作業なので、もう一踏ん張りですね。

昼下がりには作業も無事に終わりましたので、そのまま都内へ。いつもの定宿へ移動。温泉に入ってゆっくりした後、夜は打ち合わせを兼ねた会食。程々に飲んで有意義な時間を過ごすことが出来ました。

翌朝、ブラブラと浜松町まで歩いて山手線に乗って東京駅まで行き、そこで上越新幹線に乗り込んで高崎まで。Twitterで「東北新幹線に乗って」と呟いたら高崎で待ってる方に「どこに行くんだ?」とご心配をおかけしたようですが、僕の中で“緑の新幹線”は全て東北新幹線という認識でした。申し訳ございません。麻生ジャイアンツの宇都宮合宿の際に乗ったのと、9月の福島行きの際に乗ったのは東北新幹線で良いんですよね。緑の新幹線も奥が深い・・・。

いつもと違う新幹線に若干テンションが上がったので、上記の写真を撮っておきました。なんて、ただ喫煙場所がホームの端にあったので、戻る時に丁度良い感じで並んでたので撮っただけです。でも、やっぱり新幹線って良いですよね。E5系はやてのグランクラスに乗りたい今日この頃。そっち方面の仕事があれば是非よろしくお願い致します。

高崎駅の改札を出ると皆さんすでに揃ってらっしゃって、そのままバスに乗って大人の社会科見学へ出発。この歳になるとバスに乗るだけでテンションが上がります。同日、僕が大好きな現場である保育園の皆さんもバスで職員旅行に行かれていたようで、お誘い頂いたのですが、前からこちらに出席すると決めていたので、泣きながらお断りさせて頂きました。でも、バスの中で空を眺めながら、同じ時間帯にどこかの道をバスに揺られている皆さんのことをちゃんと思っておりましたのでご安心を。

バスで隣の席になった佐々木さん(こちらの方です)もとても優しく面白い方で、色んな話をさせて頂き、楽しい時間を過ごすことが出来ました。ありがとうございました。

大人の社会科見学は生産者さん達の熱い思いがビシビシと伝わってきて感動しました。僕自身、今年は米作りを体験し、生産者の方々と交流を深めさせて頂きましたので、凄く皆さんの熱い思いが伝わってきたような気がします。生産者の方々にとって、作っているものはまさに子供と同じですから、その眼差しは強く優しく暖かく、それを感じて胸に熱いものがこみ上げてきました。いや、本当に感動しました。

夜は美味しいすき焼きを頂き、楽しいひと時を過ごさせて頂きました。東京に戻る新幹線の時間の都合で、最後まで皆さんと時間を共に出来なかったのは残念です。また機会があれば是非よろしくお願い致します。

東京に戻る新幹線の中で、車掌から街の灯りを眺めながら色んなことを考えていました。いつも行く先々でたくさんの方々が優しく暖かくしてくださり、僕はとても幸せです。

宿に戻った後、湯船に浸かってからマッサージを受け、グッスリ寝ました。いつも頼んでいるマッサージの人にお願いしたのですが、「前々回より前回、前回より今回とどんどんヒドくなってる。」と言われたのですが、だから君を呼んでるんじゃないか!と胸の中で呟き、痛みに耐え、そのまま眠りにつきました。

翌朝はゆっくりしたかったのですが、戻ってしなければいけない仕事がある為、昼前に事務所に戻り、まかないを食べて午後から黙々と作業を行い11月最後のロードが無事に終わりました。

皆さん、ありがとうございました。

おめでとうございます!

いつもお世話になっているフードジャーナリストの向笠千恵子先生の著書「食の街道を行く」が、「食のアカデミー賞」と呼ばれる「グルマン世界料理本大賞」のグランプリを受賞、そのパーティーが東京會舘で行われ、ありがたいことに招待状を頂きましたので、お祝いの言葉を胸に行って参りました。

向笠先生とは、僕が前の職場に勤めていた際、取材の電話を受けて以来のご縁で、すきや連の活動以外でも何かと可愛がって頂き、昨年の父の本の出版のきっかけを作って下さった恩人です。

パーティーには大勢の方々が出席され、先生の人柄と受賞の大きさを物語っていました。料理も先生らしい素晴らしいもので、受賞された「食の街道を行く」の内容に沿った料理が出され、皆さんの壇上でのお話もとても勉強になり、とても充実した時間を過ごさせて頂きました。ありがとうございました。

先生、本当におめでとうございます。

「食の街道を行く」は素晴らしい御本です。未読の方は是非手に取って頂きたいと思います。

 

心を植える

今日は桑田真澄さんアミーチ・デル・クオーレの仕事で福岡県の豊前市に行ってきました。震災以降、色々考えていた桑田さんが、自分に出来ることの一環として、自身の手で田植えを行い、秋に収穫したお米を被災地に送りたいということで、その撮影に行かせて頂きました。撮った写真はお米のパッケージに使用することになり、そのパッケージデザインも手掛けることになっております。今回はすべてアミーチとしての活動です。

さて、いつもと同じ時間に新神戸に行ったんですけど、東に向かういつものホームと違う西に向かうホームに違和感を覚えつつも、やはり知らない街に行くことへのワクワク感は止められませんでした。子供の頃、テレビから流れる♪知らない街に行ってみたい~♪というマイナー調の曲に恐怖感すら覚えていましたが、今ではその気持ちが凄くわかる年齢になってしまった自分に少しだけ戸惑ったり・・・そんな朝でした。

小倉で降りた後は、そのまま日豊線に乗り換えて宇島という駅を目指します。ソニックというムチャクチャカッコイイ名前の特急がある事を知らなかったので、呑気に鈍行に揺られていきました。一時間近く乗ってましたけど、車窓からの眺めが大好きなので全然退屈しませんでしたね。やっぱ電車の旅は良いですね。この辺は銀河鉄道999世代ですから。

駅で降りて現場に向かうとすでに桑田さんが到着されていて、すぐさま撮影開始。ここからは仕事なので割とシビアに。先日の保育園のお散歩遠足で日焼けしまくったので、昨年の夏にアミーチの仕事の際に京王多摩センター駅で購入した“サンキラー”というそのままズバリな名前の日焼け止めを塗り、メッキリ頭が薄くなってしまったので地肌が焼けるようになった為、頭にタオルを装着(帽子は撮りにくい。やっぱりタオルを巻くのが一番!)、万全の体制で田んぼに入ることなく望遠レンズでビシっと撮ってきました。

ラベルに使う写真も撮らないといけないので、そこはサングラスを外してもらわなければいけないのですが、僕が田んぼに入るのを拒否った為、イチイチ桑田さんに歩み寄って頂くという、まさに恐れを知らぬスタンスで撮ってました。すみませんでした。

約2時間近くサクサクと撮影した後は、地元の婦人会の皆さんの手による昼食。取れ立ての筍の煮物とか本気で美味しかったです! ご馳走様でした!

撮影後は桑田さんの宿舎に移動し、温泉に入れて頂き、当然のごとく風呂上がりに生ビールをグビっと飲ませて頂きました。これぞ醍醐味! この一杯の為に生きてる! そんな感じの一瞬。幸せでした。

その後は相棒の関田君と共に今後について色々協議、最終的に次回のアミーチの活動時に桑田さんを交えて色々詰めていこう!という流れになって解散。

二人で(今度はちゃんと)ソニックに乗り込み、空港に向かう為に関田君が途中下車した後は、小倉経由で新神戸まで戻ってきました。

車中、やはり色々考えていたのですが、頭の中に常に黙々と田植えを行なう桑田さんの姿があって、心を込めて植えて、それが実って人の手に届くことの尊さをその姿勢で示してくださったことに、ただただ感動しておりました。

今の自分に出来ることを精一杯行なう。僕の知ってる賢者は、皆さん同じことを示してくださいます。僕も今の自分に出来ることを精一杯行なうだけ、そう再認識させて頂いた今回のロードでした。

 

心が開きました

今日は仕事で行ってる保育園の新人歓迎会に参加させて頂きました。案内を頂いた時、「僕は歓迎される側なのでしょうか?」と問いかけたところ、「歓迎する側に決まってるじゃないですか」と即答されました。曰く「梅田さんはもうウチのファミリーですから」とのこと。いやぁ、ムチャクチャ嬉しいじゃないですか。常日頃、園長先生には「仕事以上のものを頂いてる現場です」と僕の気持ちを伝えていたのですが、園長先生以下、皆さんも同じように考えて頂いていたようで、本当に嬉しかったです。ありがとうございます。

ちなみに当日は午前中に撮影で伺っており、一旦帰ってスタジオで別件の仕事を済ませ、再度今村チーフと共に園に向かいました。

会場は園のホール。全て先生方がセッティングを行い、今年の幹事である3名の先生が進行を行なうという、本当に全てが手作りの素晴らしい会でした。

余興の中でご指名を頂き、カエルの役までやらせて頂き、少しは笑いを取れたので、なんとなくホっとしております。

メインは幹事の先生方が作った問題に計5チームで答えるというクイズ大会。チームは座っているテーブルで分けられていて、皆さんかなり本気で盛り上がってました。

なんか、こういうの本当に久しぶりで、会の間中胸がイッパイでした。丁度昨年の5月から我が家も無期限活動停止の状態に入っており、こういう心が暖かくなる一時がなかなか無かったので・・・。

会場が園のホールで先生方主催という事もあり、手作り感もあいまって、本当に子供の頃に参加した“お楽しみ会”に参加しているような感じで、懐かしい思いと、大人になっても子供の頃と同じように、例えばクイズに熱中したりジャンケンを楽しんだり、そういう一時を過ごせている充実感に心が本当に暖かくなりました。

いつもいつも僕を救ってくださる園長先生を始め園の先生方に心から感謝です。席上でも言いましたが、僕は本当に皆さんのことが大好きです。子供が苦手だった僕が、こんなに子供達と仲良くなれたのは、子供達が僕を愛してくれて、僕の心を開いてくれたからだと思っているのですが、同様に先生方も僕の心を開いてくださったんだなぁと痛感した夜でした。

勿論、帰って少しだけ泣きました。ええ、いつものことです。

 

酒ってやっぱり美味いスね!

という訳で二日連続で飲みに行ってきました。ええ、たまたま連チャンになっただけですが・・・。

一日目は今年から始まった「高校時代の友人三人で年に三回集まる三人会」です。高校時代の友人といっても二人は同い年ですが先輩です。で、僕は卒業してませんし。テヘ。

やっぱり何でも話せる間柄というか、遠慮なく言葉をぶつけ合える存在って大きいですね。いつも一緒にいる友人もいれば、年に数回しか会わないけど、常にお互いのことを考えれる友人もいて、この歳になれば色んな事情があってしょっちゅうなんて会えない事の方が多い訳で、数ヶ月ぶりに会っても違和感ない、そんな友人を親友と呼ぶことを大人になって知りました。そんなかけがえの無い存在である友と飲む酒はやはり美味しく、酒ってつくづく飲む相手だよなぁと思いましたね。

脱藩して色々あった僕ですが、周りで支えてくれるかけがえの無い存在のありがたさをただただ痛感している次第です。

で、翌日はこれまた僕を支えてくれる存在である姉と共に、仕事でお世話になっている保育園の園長先生と飲みに行ってきました。仕事でお世話になっていると言っても、元々は先生も僕も姉も今と別の仕事をしている時に知り合った関係ですので、今の立場云々ではなく楽しいお酒になりました。いや、だから酒ってつくづく飲む相手だよなぁと思いましたね。

先生も昨年一年色々あった僕を本当に支えてくださりました。先生だけあって話を聞いてくれるのが上手く、全部吐き出させた後、さりげなく道を示してくれたりするんですよね。

何よりも僕にとって、仕事以上のかけがえの無い現場を与えてくださった恩人です。交わす杯が不味い訳がありません。いや、本当に美味しかった。

酒が美味かったということばかり書いていますが、やっぱり人の優しさ暖かさが身に沁みた、それに尽きます。若い頃はこういう席ばかり求めて彷徨っていたような気がしますが、大人は適度に間を空けて時間を埋めるようにしみじみ飲む、それが良いんでしょうね。

とにもかくにも人の心に感謝!な春の二夜でした。

飲んでばっかりで写真も撮らずで申し訳ありません。カメラマンのブログなのに・・・。