燃える涙

昨年の3月、父が退職しました。その時の経緯や理由はあえてここでは書きませんが、僕の中では、98年にスイスでキング・カズが代表から外された時と同じような、そんなやり切れなさがありました。

僕は職人である父と商売人である母の子供として、その両方のエッセンスを頂き育ってきたと思っています。故に今、職人としての仕事だけではなく商売人としての仕事も頂けているのだと思います。職人としてだけ(要するにカメラマンとしてだけ)では、39歳での独立はキツかったのかなと思いますし、便利屋だと思われようと、何でもこなしてお客様に喜んで頂ける事が一番の幸せだと思えるのは、やはり商売人の家庭で育った性なのかもしれません。

話が逸れてしまいましたが、職人である父にとって、引退とは自分の思ったような味が出せなくなった時だと思います。そんな職人にとってまだ燃えるものがあるのにフライパンを取られてしまうのは、本当に辛く哀しい事だったと思います。この一年、彼はそういう思いと闘って生きてきたのではないかと思います。

そんな中、お世話になっている桑田さんから、以前より「お父さんに家で料理をしてもらいたい」と申し出があり、本日ついにそれが実現しました。現役を貫ける事の幸せを知っている桑田さんだからこそ、こういう申し出をしてくれたのだと思います。どこかで区切りをつけなければならない、でもその場所が無い、だったら自分が提供したい、そういうお気持ちからの申し出でした。本当に心から感謝致します。

さて、桑田さんのお宅ではじまったホームパーティー。父が料理を作り母と姉とカミさんがサーヴし僕が写真を撮った3時間半。一年ぶりに人様の為にフライパンをふって料理を作り、皆さんに本当に喜んでもらった幸せな時間でした。

すべてが終わった後、父は「桑田さんのおかげで料理人としての誇りを取り戻す事が出来た」と涙を流していました。その涙は、仕事を全うした者だからこそ流せる、本物の燃える涙だったと思います。

自分が納得した物を作り、それを人様に喜んで頂ける、それが全てだと思える仕事が出来る、僕も燃える涙を流し続け生きていきたい、心からそう思えた春の夜でした。

桑田さん、本当にありがとうございました。

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