2011/09/14/福島・魂の35球

今から7年前の2011年9月14日、僕は福島にいました。その年に起こった東日本大震災復興関連の試合が福島県営球場で行なわれ、試合に出場する桑田さんが当時理事長をつとめていたNPOのスタッフ兼カメラマンとして帯同させて頂いたのでした。
東京駅で一緒に出場する立浪さんや仁志さんはじめ皆さんと合流し福島入りした後、3つのグループに分かれて市内の中学校で野球教室を行なったのですが、桑田さんが後輩を制して自ら一番危険な地域に赴くことを決められたので、当然僕もそこに同行したのでした。
その地域を走っていても歩いている人が誰一人いなくて、アテンドしてくださっている方の「屋外にいることが出来る時間が一日2時間と決まっている。今日、桑田さんが来てくださるから子供達はその時間をその為にあけて待っているんです」という言葉にうなずく桑田さんの厳しい横顔を今でも思い出します。
放射能の影響の為、土を20センチ削ったというグランドは、とても野球が出来る状態ではなかったけれど、桑田さんはいつもと変わらず、特別なことを一切せずに、本当にいつもと何一つ変わらないメニューをいつも通り真剣にこなしていました。野球教室の最後では、必ず自らのピッチングを披露するのですが、グランドコンディションはとてもピッチングが出来る状態ではなかった為、僕が「怪我したらいけないから今日は・・・」と申し出たんですけど、「あの子達の目を見てみろや。投げない訳にはいかんやろ」と、何度も足を滑らせながら、でもしっかりと何かを伝えるようにアウトローに見事なボールを投げ続けていました。いつもは球数を数えることはないんですけど、なぜかその日は数えていて、今でも僕のiPhoneには「2011/09/14/福島・魂の35球」と残っています。桑田さんに帯同して全国の色んなところに行き色んな所で写真を撮りましたけど、この日の福島が一番記憶に残っていて、僕が撮った桑田さんの写真の中でも、好き嫌いは別としてこの写真に一番思い入れがあります。ちなみに一番好きな写真は真心米一年目のパッケージ写真です。

一昨日に真心米の作業を終えた後、桑田さんと色々話していた際、真心米一年目の話になり、「一年目の2011年は9月14日に福島で野球教室を行なって、その夜に東京に戻って桑田さんの家に泊めてもらって、翌朝羽田から北九州に飛んで稲刈りしてますねぇ~」とiPhoneのスケジュールアプリを見ながら報告すると、「あの時の子供達はもう成人してるんだね」と桑田さんが遠くを見ながらボソっと呟いて、なんかほぼ二人同時に「被災地に勇気を!なんて言いながら我々が勇気をもらったような気がする」というような話をしていて、あの時撮った写真に一番思い入れがあるんですみたいな話をしてたら「それ送ってヨ!」と言われ、送ったついでに備忘録的に書き記してみました。

個人的に2010~2013年は色々あって色んなことを覚えてないんですけど、振り返って自分が残してきた写真を見るとたくさんたくさん貴重な経験をさせて頂いていたことが鮮明に甦るので、そうやって何かを残す仕事をしてて本当に良かったと思います。

自分だけではなく、皆さんの思い出も残せることが幸せなことだと感謝しています。

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