僕の好きなおじさんの遺影

今日亡くなった叔父さんの写真について。叔父さんとしてよりも、本当は同じ職場の偉いさんという立ち位置でしたけど、あんまりそういう感じがしない人でした。きっと周りは迷惑したでしょうし、嫌な思いもたくさんしたと思うんですけど、本人は最高にハッピーな人生だったのではないでしょうか。そして、そういう好き勝手生きた人生のわりに、人から嫌われることのない人だったと思います。それがあなたの人徳だったのかもしれません。
僕は、竹園という所には三つのターニングポイントがあると思っていて、一つは初代の奥さんが早くに亡くなってしまったこと。二つは長男さんではなくて次男さんが継ぐべきだったということ。三つは阪神大震災。この三つのターニングポイントで別の方向に行っていれば、恐らく全く別の未来があったんだろうなと思います。きっと、初代の奥さんが生きていれば、二代目には次男さんを任命していたと思います。そう考えると、三兄弟の一角が崩れた今、本当に時代の終焉を感じずにはいられません。
僕が竹園に在籍している間、ほぼ毎晩レストランきくで顔を合わせていたし、晩年はそれこそフランクに色んな話をしました。誰よりもレストランきくを愛し、この世の中で一番たくさんきく弁当を食べたのは、きっと自分の母親の名前のついたレストランでありメニューだったからなのではないかと思います。そんなあなたが愛したレストランきくもきく弁当も、もうこの世にはありません。だからやはり時代の終焉を感じずにはいられないです。

今回、ご子息から遺影を提供してほしいと依頼されました。毎晩レストランきくで会っていたので、僕はたくさん写真を撮っていたのです。複数枚候補写真を選んだのですが、その中で僕が一番好きな写真を満場一致でご家族の皆さんが選んでくれたことを、僕は写真を撮ることを生業にする者として、とても誇らしく思っています。そしてお姉さん、弟さん、妹さんも彼らしい表情の素晴らしい写真と言ってくださったようです。近しい人が思わず声をかけたくなる写真、その写真からその人の声が聞こえてきそうな写真、その写真の中にその人が生きている写真、僕はそういう写真が撮りたくて毎日シャッターを押しています。叔父と甥というよりも、友達のように色んな話をしてくれて、たくさんの思い出をくれた人の人生の終わりに、自分が撮りたい!と思っていた写真を側に置いてもらえることは、自分の進んでいる道が間違いではないということを示してもらったような気がして、とてもとても嬉しいです。

一枚でも多くそういう写真を残せるよう、もう一つの僕の目でたくさんの真実を見て、そして写していきたいと思っています。心残りはスタジオで写真が撮れなかった事ですが、いつか空で会ったら、もっともっと深い写真を撮らせて頂きます。その時まで待っててください。
生前最後にお会いした時、「俺が言うのもなんやけど家族は大事にせなあかんで」という一言、忘れません。ホンマにあなたが言うのはどうか?という一言でしたけど、色んなことがあったあなただからこそ言える一言なのかもしれないですね。

たくさんの思い出をありがとうございました。

R.I.P. 専務

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