鳥取砂丘での撮影

昨年からご依頼頂いている日本青年会議所の機関紙の撮影オファーを受けて鳥取まで行ってきました。
鳥取県庁にて知事との対談風景の後、場所を鳥取砂丘に移して表紙用の撮影を行いました。

鳥取砂丘は修学旅行と、イタリア人との夫婦旅で行って以来三度目だったので、大体の勝手はわかっていましたが、編集者の思い通りの写真を撮る為に知識と技術を駆使したフォトセッションになりました。

果たしてどの写真が採用されているのか・・・今から楽しみです。

鳥取は完全に日帰り出来る場所なので、一人で車を走らせ、車中で色々考え事が出来たのも良かったです。

コロナ禍の前はこういう現場も多かったので、また少しづつ以前の活気が戻ってきつつあるのかなと思いながら、でもまだまだ完全にスッキリした晴天が広がっている感じもなく・・・。

それでも僕は自分を信じて良い写真を撮り続けるだけです。
そんなことを再認識させてくれた砂丘でのひとときでした。

うめちゃんラーメン発売!

2020年の2月に王さんから「次はうめちゃんのラーメン!」とリクエストされていたにも関わらず、コロナ禍で開発が遅れていたうめちゃんラーメンがようやく発売です!

父のラーメンをベースに、僕のエッセンスも少しだけ入れてもらいました。伊達に身体を壊すほど年間100杯近くのラーメンを食べてませんから。

とはいえ、本当に父のラーメンを完全再現してもらい、とてもとても美味しいうめちゃんラーメンが完成しました。感無量です。

保存と流通のことを考慮し、生麺ではなく乾麺を採用しましたが、これが本当に良く出来た麺で、思ったとおりのうめちゃんラーメンという製品になったのではないかと思います。

長嶋さんの餃子と王さんのラーメン、食卓でONがアベックホームランを打つのは芦屋うめちゃんの味だけ!

たくさんの人に食べてもらいたい味です。

久しぶりのロード・新潟〜千葉

昨年末に撮影をご依頼くださった会社の社長様より追加撮影のご依頼を頂きました。
社長様の出張に同行して支社を回って撮影するという仕事です。

支社があるのは新潟県の直江津と千葉県の四街道。それを二日間で撮る仕事です。

初日、朝のサンダーバードで金沢経由で直江津入り。昼食後から日の入りまでミッチリ撮影を行なった後、温泉に浸かって食事会。久しぶりに飲酒したので20時30分に就寝。夜中一回眼がさめるもまたそのまま6時まで。
二日目、朝風呂に入ってから出発。上越妙高という誰もいない駅から新幹線で東京を経由して千葉まで。昨日に続き午前中は完全に移動に費やした感じです。
またしても昼食後に撮影を開始して、この日は2時間程度で撮り切り撤収。
東京駅からのぞみに乗って新大阪で解散。

とにもかくにもこちらの社長さんが本当に良い方で、ロード中は本当にお世話になりっぱなしで、どっちがクライアントかわからない状態。懐の深い心の優しい方です。こういう人の現場は長く続いてほしい、そう思いながら眺めるのぞみの車窓は、いつも見る東海道の景色とは少し違ってみえて、コロナ収束への希望の光が、なんの根拠もないけど見えたような、そんなロードでした。

しかし新潟は寒かったです。久しぶりに身が切れそうな風を受けながら写真を撮りました。

京都会議2022

今年も日本青年会議所さんが毎年開催する「京都会議」を撮って欲しいというご依頼を頂きました。リモート開催で殆ど撮るものが無かった昨年と違って、今年は下鴨神社参拝から新年式典まで4日間フル出場!
それでもオミクロンの感染拡大が広がっており、例年の半分くらいの人数だったようです。それでも6000人は集まって来ており、毎朝抗原検査を実施して感染拡大防止を強化してました。

コロナ禍ということもあり、ホテルが安くなっていたので、毎日往復するよりも泊まった方が良いと思い3泊4日でいつもの宿に泊まったのでした。

初日から大寒がやってきておりまして、二日目の朝は雪が積もって大変だったので泊まったのは正解でした。車だったら行けて無かったのではないかと思います。

一日立ちっぱなし撮りっぱなしでしたけど、もう昨年までの僕とは違いますので、元気ハツラツで仕事を行うことが出来ました。痩せて本当に良かったです。いや、痩せただけではなく運動もしているのも大きいと思います。とにかく疲れない!最高です!

相変わらずJCの方々の年齢不詳具合にクラクラしながら、ガチで3日間も議決だ総会だ初心表明だ!とエネルギッシュに活動するその姿に少なからず元気を頂いて京都を後にしました。

ちなみにホテルから会場まで地下鉄で通い、毎日ホテルに戻ったら仕事して自重で筋トレして大浴場につかって買っておいたサンドイッチを食べて寝るという生活だったのですが、最終日に我が家のイタリア人が来てくれまして、ホテルの近所で食事をしたのも良い思い出になりました。

来年もご依頼頂けるかわかりませんが、ご依頼頂いても困らないように体調キープにつとめたいと思います!

真心米ロールアウト!

今年も真心米の出荷に行ってきました。いつもと同じ中津駅まで生産者の橋本さんが迎えに来てくださったのですが、変わり果てた僕の姿に呆然とされまして「帽子とメガネが無かったら誰かわからん」と笑われました。毎年丸々しい男が駅から出て来てたんだろうな・・・。

例年、収穫と出荷の二回に渡って訪れるこの地に、今年は出荷の一回切りというのが寂しい限りですが、それでも僕にとっては本当の親戚のおじさんよりもよっぽど本当の親戚のおじさんのような存在ですから、そういう人に会いに田舎に帰省する気分で特急ソニックに揺られてきました。

粛々と出荷作業を行った後、橋本さんのお宅にお邪魔してシミジミと今までのことを話しました。11年という月日は短いようで長く、長いようで短い日々ですが、その期間で築き続けた我々の絆の尊さに少しだけ泣いてきました。

いつものように「また来年!それまで元気で!」と言って別れる中津駅の切なさはハンパなく、ホームで風に吹かれ胸がギュっと締め付けられるのもいつも通り。

来年どうなるかわからないけど、真心米がなくなっても秋に橋本さんに会いに行こう、毎年そう思いながら小倉駅からのぞみに乗り込んでいます。

翌日自分宛に送った真心米が届き、すぐに食べましたが、やっぱり本当に美味しかったです。

11年目の真心米

今年は桑田さんがユニフォームを着たこともあり真心米は無いと思っていました。昨年、丁度10年という節目だったので、コーチ就任のお話を伺った際、「あぁ丁度10年出来て良かったなぁ」と思ったりもしました。

が!しかし!桑田さんの米作りのきっかけを作られたM先生、そして生産者の橋本さんの強い希望もあり、今年も継続することになったのです。
とはいえ、「継続することに意義がある!」という趣旨なので、必要最低限の量で寄付を行うことになりました。

毎年、親戚のおじさんの田舎に共に帰省する従兄弟のような関係で写真を撮り続けてきましたが、今年は当然のことながらシーズン中ですのでそこに行く訳にもいかず、またコロナの関係で桑田さんも外出出来ないこともあり、僕が宿舎である竹園に行ってセットを組んで撮らせて頂きました。
35年前に初めて会った場所で、お互いがこういう立ち位置になって、それなのに関係性は普遍的で、いつもと同じ写真を撮っていることに感慨深いものがありました。

色んなことを思う11年目の真心米。僕だけ出荷の為にいつものようにソニックに揺られ約束の場所に向かいます。

良いな、高校野球

縁あって中3の時から4年間、密着して撮らせて頂いた野球少年達の最後の夏が終わりました。一日でも長く彼等の夏が続くことを願いながらシャッターを切っておりましたが、地区予選ベスト16で力尽きました。それでも彼等は立派でした。最初に撮らせて頂いた中3の時から比べると、体も本当に大きく逞しくなり、そしてすっかり大人の顔になりました。
僕が一番胸が熱くなったのは、中3の夏の大会で敗退した試合の途中、誰の目にも明らかな誤審に試合中なのに悔し涙を流したキャプテンが、4年後の高3の夏、誰よりも悔しい思いを抱えている試合中、ずっと「逃げるな!」「負けるな!」と声を出し続けていたことです。
当然のことながら、誤審だろうがなんだろうが、審判が下した結果は覆ることはありません。そのことを引きずる幼なさがあった4年前と違い、それを受け止め仲間を鼓舞する姿、それこそが野球を通じて彼が成長した証であり、「高校野球」で一番大事なことなのではないかと思うのです。

旅館の片隅で生まれ育ったので、子供の頃から春と夏は自分が住んでいる場所に高校球児がいました。お兄さんのようい慕い、憧れの対象でしたが、いつの頃からか、勝利史上主義の旗のもと、僕が知っているお兄さん達はいなくなってしまったような気がします。少なからず野球が大好きだった子供の頃の僕は、そういう経験から野球を卒業したのかもしれません。

勿論、高校球児全てがそういう姿勢な訳ではなく、多くは「部活」として仲間と共に一日でも長く野球がしたいと思って取り組んでいることと思います。

今回、彼等の高校三年間を追って、高校野球本来の魅力に触れることが出来ました。そういう意味で、仕事とはいえ、彼等に心から感謝しています。

試合を撮りに行ってはいても、やはり最後の最後は肉眼で見てしまいました。最後のバッターのK君は中学の時から元気一杯で、高校に入って補欠に回ってりしながら、最後の夏にレギュラーを掴んだ子なので、僕なりに少しならずとも思い入れがあって、内野ゴロを打って一塁に向かって走り、最後はヘッドスライディングでアウトのコールを聞き、ベースに顔をうずめる・・・写真を撮らなければいけない場面ではありましたが、僕は撮れなかったです。それこそが高校野球の魅力なのではないかと思います。

少し斜めから見ていた高校野球に対し、最後の挨拶をスタンドから眺めながら、思わず「良いな、高校野球って」という言葉を呟いていました。

彼等がこの先野球を続けるかどうかわかりませんが、彼等の未来が明るく輝くものであることを願ってやみません。

感動をありがとう。

親友の新店

中学時代からの親友が新店をオープンさせます。
灘五郷のお酒と魅力的な「蕎麦前」が楽しめて、勿論彼が精魂込めて作り続ける蕎麦を堪能出来る素敵なお店です。
コロナ禍による緊急事態宣言中ということもあり、大変残念ながら宣言中はお酒の提供と共に蕎麦前の提供もなく、当面はランチ営業のみとなりますが、5月12日に暖簾がかかります。
お近くにお越しの際は是非お立ち寄りください。ランチがまた魅力的なセットになっています。
そして、緊急事態宣言が終わり、酒類と蕎麦前が楽しめるようになったら、それが本来の姿ですので、是非足をお運び頂きたいです。

彼が自分の店をを出す時、「写真はお前しかいない!」と言って呼んでくれて、以降必ず新店をオープンさせる度に撮らせて頂いてきました。
間近で見て来た僕だからわかることもあります。彼の店作りは、味だけではなく、お客様をあたたくお迎えし、気持ちよく滞在して頂き、笑顔で帰って頂く、その為の「人作り」もしっかりと行っています。なので、撮影は料理だけではなく、スタッフの集合写真も必ず撮らせて頂きます。その時の彼の表情が本当に素敵で素晴らしいのです。自分が信じた味を自分が信じた仲間と共に大切なお客様に提供出来る喜びに満ち溢れています。

毎回書いていますが、本当に声がデカい男です。
コロナ禍で元気無いかな・・・と思っていたら、しっかりデカい声を出していました。
デカい声の人間に悪い人はいないです。
彼は特別声がデカいので特別良い男です。
そんな彼の店です。良い店に決まってます。

「そばで世界を健康に!」
彼のその想いが必ず世界に伝わると信じています。
いつかニューヨークに店を出す時、必ず撮りに行くから!呼ばれなくても行くから!それは俺の夢でもあるので・・・。

デカい声の良い男、後藤くんの新しいお店をよろしくお願い申し上げます。
美味しい料理と素晴らしスタッフが皆さんをお待ちしております。
美味しければお店で一声かけてあげてください。
きっとその言葉が聞きたくて、彼等は日々一生懸命取り組んでいますので。

阪急三宮駅のEKIZO神戸三宮にオープン
「スタンド JAPA SOBA HANAKO」
〒650-0001
神戸市中央区加納町4丁目2-1
tel/078-322-0875
※5月31日までは土日休業 平日11:00 〜16:00 酒類の提供無しです

感謝の12周年

studio dpは本日12周年を迎えることができました。
支えてくださる皆様のおかげと感謝しております。
本当にありがとうございます。

2014年から始めた「毎年撮り続ける家族写真」を継続してくださるお客様をはじめ、ずいぶん長く撮り続けさせて頂いている方も多く、毎年5月1日はそういう写真を眺めながら自分が歩いてきた道を振り返っています。

ここ数年は餃子やカレーのお客様とのふれあいも始まって、実際に多くの方々と直接お話しさせて頂く機会も増え、たくさんの笑顔に包まれるありがたい日々です。

12年経って「竹園の人」から「写真屋さん」と呼ばれるようになり、最近はそれに「餃子屋さん」が増えました。
「俺はカメラマンや!」とツッパることもなく、皆さんの呼ぶ声に笑顔で答えれるようになったのは、父と母の優しさに包まれ、イタリア人と笑顔で暮らす日々があるからだと思っています。

13年目のstudio dpは、今までと変わることなく、この街の暮らしの中の笑顔を撮り続けることと、盟友・照本さんが支えてくれる父の味をもっともっと多くの人にお届け出来るよう、しっかりと頑張っていきたいと思っています。

「餃子やカレーを売ってる写真スタジオがあっても良いじゃないか」

今後ともよろしくお願い致します。

京都会議

日本青年会議所毎年行う「京都会議」を撮って欲しいというご依頼を受けましたので、金曜日から三日間、国立京都国際会館で撮影を行いました。
依頼を受けた時は緊急事態宣言前だったので、木曜日に予定されていた伊勢神宮参拝も日帰りで撮りに行く予定でしたが、宣言後に当然中止となり、京都会議自体のスケジュールも大幅に変更になりました。

通年であれば、ハンパない人数が集まって会館内が満員電車のようになるらしいのですが、今年は初のリモート開催ということで、当然のことながら閑散としておりました。
困るのが、撮れる絵が毎日ほぼほぼ同じで、それで誌面を作らなければならないこと。
でも、実はそれは逆に「今年初めて撮れる絵」ということなので連日過去の資料にはない絵を撮るアプローチが出来たので、終わってみればとても楽しい現場でした。

で、勉強不足も甚だしいのですが、JCの方々の年齢制限を知らなくてですねぇ(前職でJCの宴会のサービスについていたにも関わらず)、今回初めて40歳で卒業ということを知った訳です。
ということはですよ、皆さん三十代という事になる訳ですよね・・・いや、ちょっと大人過ぎやしませんか?
考え方がしっかりしていて、立派なことを仰るから余計にそう見えるのかもしれませんが、発言されたりしている姿や言動から、僕とそんなに歳が違わないんだろうなぁなんて思っていた訳です。いや、実際50を過ぎて尚この体たらくの僕からすると、僕よりも年上なんだろうなぁなんて思ってしまった訳です。

いやいや、全員三十代(二十代後半含む)ですか!
俺が三十代の頃はもっとやさぐれてましたよ。いや、今とあんまり変わってないかも・・・。

そう考えると、本当に凄いですね。その活動にのめり込む心情は全く理解出来ませんが、その情熱、行動力は敬服するばかり。皆さん本当に素晴らしい!

初のリモート開催となるエポックな京都会議を撮らせて頂きありがとうございました。