良いな、高校野球

縁あって中3の時から4年間、密着して撮らせて頂いた野球少年達の最後の夏が終わりました。一日でも長く彼等の夏が続くことを願いながらシャッターを切っておりましたが、地区予選ベスト16で力尽きました。それでも彼等は立派でした。最初に撮らせて頂いた中3の時から比べると、体も本当に大きく逞しくなり、そしてすっかり大人の顔になりました。
僕が一番胸が熱くなったのは、中3の夏の大会で敗退した試合の途中、誰の目にも明らかな誤審に試合中なのに悔し涙を流したキャプテンが、4年後の高3の夏、誰よりも悔しい思いを抱えている試合中、ずっと「逃げるな!」「負けるな!」と声を出し続けていたことです。
当然のことながら、誤審だろうがなんだろうが、審判が下した結果は覆ることはありません。そのことを引きずる幼なさがあった4年前と違い、それを受け止め仲間を鼓舞する姿、それこそが野球を通じて彼が成長した証であり、「高校野球」で一番大事なことなのではないかと思うのです。

旅館の片隅で生まれ育ったので、子供の頃から春と夏は自分が住んでいる場所に高校球児がいました。お兄さんのようい慕い、憧れの対象でしたが、いつの頃からか、勝利史上主義の旗のもと、僕が知っているお兄さん達はいなくなってしまったような気がします。少なからず野球が大好きだった子供の頃の僕は、そういう経験から野球を卒業したのかもしれません。

勿論、高校球児全てがそういう姿勢な訳ではなく、多くは「部活」として仲間と共に一日でも長く野球がしたいと思って取り組んでいることと思います。

今回、彼等の高校三年間を追って、高校野球本来の魅力に触れることが出来ました。そういう意味で、仕事とはいえ、彼等に心から感謝しています。

試合を撮りに行ってはいても、やはり最後の最後は肉眼で見てしまいました。最後のバッターのK君は中学の時から元気一杯で、高校に入って補欠に回ってりしながら、最後の夏にレギュラーを掴んだ子なので、僕なりに少しならずとも思い入れがあって、内野ゴロを打って一塁に向かって走り、最後はヘッドスライディングでアウトのコールを聞き、ベースに顔をうずめる・・・写真を撮らなければいけない場面ではありましたが、僕は撮れなかったです。それこそが高校野球の魅力なのではないかと思います。

少し斜めから見ていた高校野球に対し、最後の挨拶をスタンドから眺めながら、思わず「良いな、高校野球って」という言葉を呟いていました。

彼等がこの先野球を続けるかどうかわかりませんが、彼等の未来が明るく輝くものであることを願ってやみません。

感動をありがとう。

親友の新店

中学時代からの親友が新店をオープンさせます。
灘五郷のお酒と魅力的な「蕎麦前」が楽しめて、勿論彼が精魂込めて作り続ける蕎麦を堪能出来る素敵なお店です。
コロナ禍による緊急事態宣言中ということもあり、大変残念ながら宣言中はお酒の提供と共に蕎麦前の提供もなく、当面はランチ営業のみとなりますが、5月12日に暖簾がかかります。
お近くにお越しの際は是非お立ち寄りください。ランチがまた魅力的なセットになっています。
そして、緊急事態宣言が終わり、酒類と蕎麦前が楽しめるようになったら、それが本来の姿ですので、是非足をお運び頂きたいです。

彼が自分の店をを出す時、「写真はお前しかいない!」と言って呼んでくれて、以降必ず新店をオープンさせる度に撮らせて頂いてきました。
間近で見て来た僕だからわかることもあります。彼の店作りは、味だけではなく、お客様をあたたくお迎えし、気持ちよく滞在して頂き、笑顔で帰って頂く、その為の「人作り」もしっかりと行っています。なので、撮影は料理だけではなく、スタッフの集合写真も必ず撮らせて頂きます。その時の彼の表情が本当に素敵で素晴らしいのです。自分が信じた味を自分が信じた仲間と共に大切なお客様に提供出来る喜びに満ち溢れています。

毎回書いていますが、本当に声がデカい男です。
コロナ禍で元気無いかな・・・と思っていたら、しっかりデカい声を出していました。
デカい声の人間に悪い人はいないです。
彼は特別声がデカいので特別良い男です。
そんな彼の店です。良い店に決まってます。

「そばで世界を健康に!」
彼のその想いが必ず世界に伝わると信じています。
いつかニューヨークに店を出す時、必ず撮りに行くから!呼ばれなくても行くから!それは俺の夢でもあるので・・・。

デカい声の良い男、後藤くんの新しいお店をよろしくお願い申し上げます。
美味しい料理と素晴らしスタッフが皆さんをお待ちしております。
美味しければお店で一声かけてあげてください。
きっとその言葉が聞きたくて、彼等は日々一生懸命取り組んでいますので。

阪急三宮駅のEKIZO神戸三宮にオープン
「スタンド JAPA SOBA HANAKO」
〒650-0001
神戸市中央区加納町4丁目2-1
tel/078-322-0875
※5月31日までは土日休業 平日11:00 〜16:00 酒類の提供無しです

感謝の12周年

studio dpは本日12周年を迎えることができました。
支えてくださる皆様のおかげと感謝しております。
本当にありがとうございます。

2014年から始めた「毎年撮り続ける家族写真」を継続してくださるお客様をはじめ、ずいぶん長く撮り続けさせて頂いている方も多く、毎年5月1日はそういう写真を眺めながら自分が歩いてきた道を振り返っています。

ここ数年は餃子やカレーのお客様とのふれあいも始まって、実際に多くの方々と直接お話しさせて頂く機会も増え、たくさんの笑顔に包まれるありがたい日々です。

12年経って「竹園の人」から「写真屋さん」と呼ばれるようになり、最近はそれに「餃子屋さん」が増えました。
「俺はカメラマンや!」とツッパることもなく、皆さんの呼ぶ声に笑顔で答えれるようになったのは、父と母の優しさに包まれ、イタリア人と笑顔で暮らす日々があるからだと思っています。

13年目のstudio dpは、今までと変わることなく、この街の暮らしの中の笑顔を撮り続けることと、盟友・照本さんが支えてくれる父の味をもっともっと多くの人にお届け出来るよう、しっかりと頑張っていきたいと思っています。

「餃子やカレーを売ってる写真スタジオがあっても良いじゃないか」

今後ともよろしくお願い致します。

京都会議

日本青年会議所毎年行う「京都会議」を撮って欲しいというご依頼を受けましたので、金曜日から三日間、国立京都国際会館で撮影を行いました。
依頼を受けた時は緊急事態宣言前だったので、木曜日に予定されていた伊勢神宮参拝も日帰りで撮りに行く予定でしたが、宣言後に当然中止となり、京都会議自体のスケジュールも大幅に変更になりました。

通年であれば、ハンパない人数が集まって会館内が満員電車のようになるらしいのですが、今年は初のリモート開催ということで、当然のことながら閑散としておりました。
困るのが、撮れる絵が毎日ほぼほぼ同じで、それで誌面を作らなければならないこと。
でも、実はそれは逆に「今年初めて撮れる絵」ということなので連日過去の資料にはない絵を撮るアプローチが出来たので、終わってみればとても楽しい現場でした。

で、勉強不足も甚だしいのですが、JCの方々の年齢制限を知らなくてですねぇ(前職でJCの宴会のサービスについていたにも関わらず)、今回初めて40歳で卒業ということを知った訳です。
ということはですよ、皆さん三十代という事になる訳ですよね・・・いや、ちょっと大人過ぎやしませんか?
考え方がしっかりしていて、立派なことを仰るから余計にそう見えるのかもしれませんが、発言されたりしている姿や言動から、僕とそんなに歳が違わないんだろうなぁなんて思っていた訳です。いや、実際50を過ぎて尚この体たらくの僕からすると、僕よりも年上なんだろうなぁなんて思ってしまった訳です。

いやいや、全員三十代(二十代後半含む)ですか!
俺が三十代の頃はもっとやさぐれてましたよ。いや、今とあんまり変わってないかも・・・。

そう考えると、本当に凄いですね。その活動にのめり込む心情は全く理解出来ませんが、その情熱、行動力は敬服するばかり。皆さん本当に素晴らしい!

初のリモート開催となるエポックな京都会議を撮らせて頂きありがとうございました。

10年10枚(米)を振り返る

真心米のパッケージ写真が10枚揃いました。一年一枚なので10年という月日が経過したことになります。僕のキャリアでは、サンプラスさんのカレンダー(11年)に続く長さです。個人を撮り続けたものになると、これが最長です。

写真を見ながら振り返ると、色んなことを思い出します。その時に僕が見ていた日々の光景まで浮かぶので、写真の力って凄いと思います。是非皆さんもstudio dpで毎年家族写真を撮り続けてください。こうして並べてもらいたいです。

桑田さんから「東日本大震災の被害にあった野球少年の為に米を作るから手伝ってほしい」と言われ、いきなり縁もゆかりも無い地の田んぼに呼び出された2011年5月。その時に撮ったのが2011年の写真です。いまだにこの写真が一番!と言ってくださる方が多いのですが、この写真に関しては「販売品」の為に撮ったものなので、僕も撮り方と向き合い方が違うと思います。そして、稲刈りよりも確実に田植えの方が絵になるんです。
この時にお米を売った収益で津波で金属バットが流されたという石巻の野球少年達の為に金属バットを買ってお渡ししました。その全ての作業を僕が一人で行いました。とても心細かったネット販売を開始した直後、本当に僕がアップしてから15分以内にヤスヤさんと照本さんが発注してくれて、モニタを見ながら泣いたことを思い出します。心強かったです。
余談ですが、この写真を見た菅原文太さんから対談の依頼が入ったことが忘れられません。ご本人からも「あれは良い写真だね」と褒めて頂いたことが僕の密かな誇りです。

ずっと2011年の写真を使うと思っていたら、生産者の方をはじめ関係者各位より「毎年違う写真が良い」と言われ、困った桑田さんと僕が少し悪ノリして撮ったのが2012年の写真です。二人とも今より若かったから出来たんだと思います。今は絶対にしません。
また、この年から販売ではなくお米そのものを寄付する形式に変わったのも、このくだけたパッケージになった大きな要因かもしれません。

2013年は小雨が降っていて、桑田さんも早くゴルフに行きたくて、しっかりと稲刈りの作業を行う前に「これが僕のお米です!」的な写真をササっと撮った感じです。

2014年は昨年に続き「やっつけ感」が出てますね・・・。毎年必ずトラクターを本当に上手に駆っていらして、ご本人も「そこをアピールしよう!」と言って撮った写真です。本当は左上の運転席の写真を全面に使っていたのですが、ご本人の「ちゃんと操ってる所も使って!」というリクエストでこうなりました。多分、そのやり取りも覚えてらっしゃらないと思いますが・・・。

2015年、2016年は「ゴルフウェアではなくちゃんと撮りましょう!」と言って臨んだ二年です。桑田さんが代表をつとめていたNPOのロゴ(僕が作りました)が入ったTシャツを着てもらってちゃんと撮りました。2015年は唯一「カメラ目線」ではないのですが、「現役時代、ボールに話しかけていたように稲に語りかけてください」とリクエストして撮りました。ちょっと嫌そうでした・・・。
2016年は一番やりたかった「稲の中に入ってもらって撮る」ということがようやく出来た一枚です。軽トラの荷台から撮ったのですが、そこから「もう少し中に入ってくださいー」と指示してたら、少しだけ入ってこちらを見上げ「これくらいじゃ許してくれへんのやろな」と苦笑いして深く入ってくれたことが印象に残っています。

2017年は、またしてもゴルフウェアに戻り、この年からお互い「肩の力抜いてサっと撮ろう!」という感じになりました。これは僕が小林旭さんの「赤いトラクター」を歌いながら、「ちょっと足かけてくださいー」等と言いながら撮りました。僕の歌にサビの部分で少しだけ呼応してくれた桑田さんの鼻歌までもが聞こえてくるエエ写真だと思ってます。

2018年は、実はちょっと深い写真で、この地に誘ってくれた方の田んぼの前で撮った一枚なのですが、この年でこの田んぼを閉鎖するので、どうしてもその前で撮ってもらいたいんや!という生産者の方の意向があったり、色んな方の思いが詰まった一枚なんです。それをそう見せずいつも通りに撮った僕を自分で褒めてやりたいと一枚です。すきや連でお付き合いが始まったカメラマンの大先輩から「今年の写真は良いですね!好きです!」と褒めて頂いたことも嬉しくて強く心に残っています。

2019年は全く印象がないです。ネタもなく2017年の時のように赤いトラクターを歌っていたら、桑田さんが何も言わずスっとトラクターに移動して、このポーズを取ってくれたので、サっと撮って終わり、そんな感じです。2017年からは本当にそういうキャッチボールを楽しむように撮ってます。真剣勝負だったのは2011年だけですが、多分、我々の距離感が投手と打者からバッテリーの距離感に変わったのは2015年くらいからなのかもしれません。

2020年は、何度も書いてきましたが、根本的に稲が無かった為、トラクターでの稲刈りは出来ないと言われていたので、刈った稲を手にというイメージで現場に入って、それを伝えながら田んぼに行って、阿吽の呼吸で撮った一枚です。少し前に書きましたが、本当は生産者の橋本さんとの2ショットをパッケージにしたかったんですけど、そういう訳にもいかず・・・でも思った通りの一枚が撮れて良かったです。優しく柔らかい笑顔になりました。

さぁ、来年はどんな写真を撮りましょうか・・・。PLのユニフォームとか着て欲しいんですけど、頼んだら絶対に笑いながら「嫌だよ」って言うんだろうな。

来年は縦構図の年。久しぶりに田植えが撮りたいですね。

10年目の真心米に思う

毎年のことながら、自分で発送した真心米が自分に届く秋の日。今年は10年という月日が感じられるような、優しく柔らかい笑顔が撮れたのではないかと思います。
特別なことをせず、笑いながらキャッチボールするように撮った写真です。それが良いと思う10年目のパッケージ写真になりました。

いつもは日帰りするのですが、今年はGo To トラベルだかでホテルが安くなるので前泊しました。このキャンペーンでこのパターンを使うのはすでに3回目で、そんな使い方でエエんか?と思わないでもないですけど、使えるものは使わせて頂こうということで、「真心米を発送するだけ」というミッションに対して、「旅要素」の方が確実に多い時間を費やしました。

生まれてから39年間、JR芦屋駅の北側から出ることもなく「迎えること」を生業としてきましたが、39歳で独立してからは、桑田さんを筆頭に多くの方から呼んで頂き、気がつけば47都道府県全ての地に足を踏み入れておりました。
それは仕事とはいえ、自分で行程が組める自由業ですから、例えば2時間の撮影の為に3泊4日の行程を組むことが出来るので、仕事現場にいる時間以外は「旅」になります。

昨日も毎年恒例のサンプラスさんのカレンダー撮影で松山に行きました。道中サービスエリアで食べたコロッケをインスタに上げたりしていたので、帰宅すると我が家のイタリア人が「楽しそうだったね」と笑顔で迎えてくれました。道中で砥部焼のお店に寄って夫婦茶碗を買ったりしていたので、「本当に楽しんでるのね」と、自分の事のように喜んでくれたのがとても嬉しかったです。

実は、僕は意外と色んな所を観光しています。昨日も帰り道にあった椿神社なる所にも寄りましたし、気になったらUターンしてでも寄って帰ります。クルマで行く時ほどではないにしろ、電車の車窓から見えた気になるところは、帰りに途中下車して立ち寄って、そのままその町で泊まることもあります。

そんな旅で出会った風景を僕はSNSにもアップしませんしブログにも載せません。家族にも言わないことがあります。写真だけ僕のiPhoneとMacに入っています。
旅の思い出って、自分だけの宝物で、人と共有することじゃないと思っています。僕がその風景を見て、楽しいことも悲しいことも色んな思いを僕の心にだけ閉じ込めて、人生のアルバムを作って生きているので、そのアルバムは誰にも理解出来ない僕だけのものなんです。それを見せるのって無粋じゃないですか。

独立してすぐに、このパッケージ写真の方に呼ばれ、「何も心配しなくて良い。俺がついてる」と僕の目を見て仰ってくださって、以降本当に多くの仕事を与えてくださいました。そして、その場所は全国津々浦々に渡っていました。「何月何日何時にここへ来てほしい」というメールが入って、それに従ってその場所へ行き、一緒に仕事をして一緒に食事をして解散。その前もその後も自由なので色んな旅をさせて頂きました。人が簡単に見ることが出来ない景色を見せて頂きました。色んな思い出を作らせて頂きました。そして、それはまだまだ続くんだということを、このパッケージの写真を見つめながら感じています。

11年目の真心米に向けて、また新しい旅が始まっています。餃子とカレーを売っていても、僕の根底にはちゃんと写真があることを、毎年この人に証て頂いていることが、何よりの恩返しなのかなと思って生きています。

2020年「絆の会」中止

事務局とカメラマンを兼任して携わらせて頂いている、プロ野球昭和42年会「絆の会」の2020年の野球教室がコロナの影響で中止になりました。
ギリギリまで粘りましたが、事務局としてこれ以上話を進めることが出来ず、桑田さんと相談して中止という結論に達しました。本当に残念です。

主催者の方が責任を負うと仰ってくださったのですが、参加した子供達に危険が及ぶ可能性がまだまだ低い訳ではない現状、そして会員が全国各地から集まるという状況、Go to トラベルとは全く違うということ、色んなことを考えた時、僕の中で「開催」という選択は出来ませんでした。

「出ない」「出さない」ということを前提に出来ない以上、無理だということです。

今年は僕が携わらせて頂くようになって丁度10年目でした。10年の間、本当に色々なことがあって、何度も「今年で最後」と思い取り組んできましたが、いつの頃からか、皆さんから「お前しかいない!頼む!」と仰って頂くようになり、出来る限りは継続の為に力を尽くそう!と誓い今日に至っております。

プロ野球の世界に入れる人は本当に限られていて、昭和42年生まれの人でプロ野球選手になった方は100人にも満たない厳しい世界です。
その厳しい世界に身を置いた方々が、「野球界への恩返し」という名目で、一年に一回、手弁当で野球教室を開催するのが、「絆の会」です。
僕は出来れば、毎年「故郷に錦を」ではないですけど、会員の方の故郷で開催出来れば良いなと思い事務局として取り組んでいます。会員の方の地元で開催すると、その人の為にその地の人たちが一丸となってバックアップしてくださる、文字通り「オラが街の英雄」の為に一肌も二肌も脱いでくれて、それがひいては、その街の野球少年少女の為に繋がっていく、それがこの会の素晴らしいところだと僕は毎年密かに帰路で感動の涙を流しているのです。

そうやって毎年続いていたことが途切れるというのは、本当に辛く切ないことではありますが、本当に「仕方がない」という言葉しか出て来ません。僕はこの言葉が好きではないですけど、本当に「仕方がない」です。

今年の年末は皆さんに会う楽しみが無くなってしまいましたが、また来年必ず会えると信じて、そしてまた来年子供たちの元気な姿が見れることをただただ願うばかりです。

10年という時を撮る

真心米の生産者の橋本さんは、僕にとって実際の親戚の叔父さんよりも親戚の叔父さんのような存在です。
この人の男気が無ければ真心米は成り立たない訳で、初めて会った10年前、真心米のプロジェクトを引き受けてくれる人を探していた際、「ワシで良ければ」の一言で僕を救ってくれたことを昨日のことのように思い出します。

何度も通った初年度に始まり、2年目以降は9月にパッケージ撮影を兼ねた稲刈り、11月に発送作業と年に2回通って来ました。
いつも書いてますけど、橋本さんが待つその地に行くという事は、僕にとって(きっと桑田さんにとっても)親戚の叔父さんの田舎に行くような感覚で、9月にワクワクしながら眺める特急ソニックの車窓の眺めと11月の帰りに吐きそうな程に切ない車窓の眺めのコントラストは、10年経っても全く何一つ変わることなく、僕の人生にたくさんのものを与えてくれました。
4年目くらいからは駅で別れる際、なぜかお互い涙ぐんでしまって・・・ホームで風に吹かれながら、本当に色んな思いを重ねてきました。

実は今年の10年目の真心米のパッケージ写真は、桑田さんと橋本さんの2ショット写真で!と密かに決めていて、僕が思った通りの写真が撮れて、これでいきます!と言ったところ、橋本さんから「皆、桑田さんのパッケージを楽しみにしちょるからワシが写っとったらガッカリさせてしまう!写真だけありがたく貰っておくわ」と照れたように笑って、それがとてもカッコ良くて、少し泣いてしまいました。

10年目の桑田さんと橋本さん、二人のこんな笑顔を撮る事が出来て僕はとても幸せです。同じ10年という時間を共にしてきた僕にしか撮れない笑顔だという自負もあります。

今年のパッケージで10枚の写真が並ぶ事になります。NPOを通じてお米の活動をしていた頃は、それなりに気を使って、真剣勝負のバッテリーのような呼吸で撮って来ましたけど、ここ4〜5年は肩の力が抜けて、リラックスしてキャッチボールしてるような、そんな感覚で撮っています。

ちゃんと僕の写真が向かっている方向にある一枚。大好きな写真が増えました。

ロード2020夏

先日、中学時代からの大切な友人から一本の電話が入りました。
「麻布十番に新店をオープンするから写真を撮りに来てくれないか?」
「コロナで大変な時だから無理に受けなくても良いけど、出来ればやっぱりお前に撮ってもらいたい」
そう言われて断る理由は何一つないじゃないですか。
仕事の依頼という部分でも当然ありがたく、そういう意味でも断る理由はないのですが、彼が神戸に一番最初の自分のお店を出した時に「写真はお前しかいない!」と言ってくれて、以降、新しいお店を出す度、何かある度に「お前の写真!」と言ってくれる以上、僕に断る理由はありません。

個人的に、色んな情報が流れる中、自分自身が納得出来ない以上、「ロードに出る」という気にはなれず、「愛車」とまで呼んだN700系、それもSの走りを堪能してぇなぁなんて気持ちにもなれなかったし、東京に住む従兄で大親友のヤスヤさんに「仕事でそっち行くから飲もうや!」と声をかけるも「会社で飲み会禁止されてんねん・・・」と断られたり、やっぱりまだまだ「ロードに出る」という気持ちになれない中での今回の依頼でした。
なので山手線や地下鉄にも乗らずタクシー移動を選んだり、前泊も後泊もせず、現場以外に行かず日帰りという、いつもと違うロードになりました。

後藤君からの依頼でなければ断っていたかもしれません。
僕には「頼む」と言われて断れない人が数人いますが、彼もまたそういう一人です。
独立してがむしゃらに進む道の途中、彼が僕に「お前の写真じゃないとアカンねん!」と言ってくれたその言葉は、空から射す一筋の光でした。
あの大きい声でスベリ気味のコメントを飛ばしながら、でも心の奥深いところで相手を思いやる、そんな優しい男です。

色々あると思いますが、ずっと撮ってきた俺が太鼓判を押します。

「良い顔してるよ」

心配要りません。新しいお店も流行る。間違いない。
デカい声の人間に悪い人はいないです。
彼は特別声がデカいので特別良い男です。
そんな男が作る蕎麦です。美味しいに決まってます。

いつかきっとニューヨークに蕎麦屋を出すと信じてます。
蕎麦で世界を健康に!その思いで突っ走ってください。
その時もちゃんと撮りに行きます。

そんな彼の新店
「JAPA SOBA HANAKO」
東京都港区麻布十番2丁目8番16号
ISIビル101
tel : 03-3451-0875

2020年8月13日オープンです!
よろしくお願い致します!

僕がここにいる意味

「コロナで結婚式が中止になったのですが写真だけでも撮りたい」
3月の終わり頃にそう言ってご来店くださった若いご夫婦。
何度も何度も「リスクも高く大変な時期ですけど受けてくださいますか?」と聞いてくださいました。
不要不急の外出は自粛するように要請されていますが、入籍や写真撮影のチャンスが今日しかないとのことで、賛否はあると思いますが、二人にとってそれが不要不急ではないという判断であるならば、僕に断る理由はありません。

という訳で、今日はそういう写真を撮らせて頂きました。お二人が所望されたヨドコウ迎賓館、そして芦屋川沿の桜の前、最後はstudio dpで、たくさんの写真を撮らせて頂きました。
結婚式自体が中止になったとのことだったので、ヨドコウ迎賓館の長い廊下で指輪の儀式を行なってもらったり、たくさんの場面を残せたのではないかと思います。

桜の前で写真を撮っていると、近くの家の窓から「おめでとう!」と大きな声で祝福の言葉が飛んできました。少し照れながら大きな声で「ありがとうございます」と答える二人の笑顔が本当に素晴らしく、今日の日は二人にとって大切な瞬間で、今の日本では非難されることなのかもしれないけれど、「辛い春の日」に彼等なりの一本の筋を通すことで「幸せな春の日」にしたことは、僕は素晴らしいことだと思います。

帰り際に新婦のお母様から手紙を頂きました。
「この様な状況にも関わらず、二人の願いを叶えて頂きありがとうございます」と書かれていました。
願いを叶えるなんて、そんな大した人間ではないんですけど、いつも人様の人生に携われることが僕の仕事の一番の幸せだと思って生きているので、とても嬉しいお言葉でした。
なんか、本当に色んな涙が流れて困ります。二人にこんな思いをさせたコロナに対する憤りの涙も流れます。でも、やっぱり人とのふれあいの中で流れるあたたかい涙を一番多く流したいです。

「振り返った時に思い出になる一日にしましょう」
そう言って撮り始めました。そうなってくれることを願っています。

余談ですが、手紙をくれたお母様が、昨年のとなり人間国宝さんを見てくださっていて、「あの写真屋さんだったら受けてくれると思うから行っておいで!」と二人をstudio dpへと誘ってくださったようです。

暖簾もかかり、大きな窓にも「うめちゃんの味」の文字がありますが、ちゃんと誇りを持って「studio dp」の看板も掲げておりますので、今後ともよろしくお願い致します。