不覚・・・

ずいぶんと間が空いてしまいました。Twitterで呟いているのでご存知のことと思いますが、それなりに元気にやっております。Twitterが無かった頃、ブログの更新が滞ると、よく「大丈夫か?」というメールを貰いました。今は良い時代ですね。

さて、我ながら情けない話ですが、4月1日の早朝に発熱しました。結果、仕事でお世話になっている保育園の入園式の撮影に行けませんでした。仕事自体は今村チーフがしっかりこなしてくれたので、大きな問題はありませんでしたが、自分自身本当にショックでした。

3月下旬から軽い風邪の症状があったものの月末には割と完治に近い状態だったので、かなり安心していた中でのいきなりの発熱でした。高熱が出たのも久しぶりだし、何よりも自己管理だけはしっかり行なってきたつもりだったので、仕事を休んだことが一番ショックでした。

やっぱり歳なのかなぁ・・・なんて思いながらも、そんなこと言ってる場合でもなく、とにかく健康が一番大切だということを改めて痛感した次第です。

昨年の今頃も書きましたが、新しい一年を迎える子供達を撮るのは自分自身の気持ちも引き締まるので、大事にしたいことの一つだったのですが、本当に情けない結果になってしまいました。申し訳ありません。

サラリーマン時代から、病気で仕事を休む事が一番恥ずかしいことだと胸に刻んでやってきたので、今回の一件は本当に情けないです。「病いは気から」と言いますが、自分自身の心に隙が出来た時、こういう結果になるんだと思います。本当に不覚です・・・。

ちなみに熱は二日で下がり4月3日から通常通り業務を再開しております。もっと早く書きたかったのですが、なんとなく今日になってしまいました。遅過ぎですね。すみません。

 

今年も道は続いている

という訳で久々にロードに行って来ました。僕にとってもライフワーク的な仕事になりそうな桑田真澄さんアミーチ・デル・クオーレの仕事で今回のロードが始まりました。

松戸総合運動公園での現地集合だったんですけど、それがどこなのか分かるはずもなく、いつもながら初めていく場所へのロードはなかなか旅の醍醐味を味わえるので楽しかったです。常磐線の車窓からの風景をもっと楽しんでいたかったのが心残りですね。

さて、現場では野球教室の模様を淡々と撮影。今回は野球教室に参加する子供達の中で卒団する子達の記念写真が必要とのことで呼ばれたので、その辺の撮影もバッチリ済ませておきました。

野球教室終了後は、打ち上げに参加して、そこから桑田さんの家に移動。そこで泊めてもらいました。人を泊める所で生まれ育ったので、泊める事には慣れているのですが、泊まる事に一切なれておらず、そりゃもう不安だったんですけど、家の人は皆優しいですし、家って人柄が出ますから、もう本当に心底リラックスさせて頂きました。ありがとうございました。

寝る前にワインを飲みながら今後について色々と話が出来たのも大きかったです。今年は僕も色々考えてたことがあり、そのプランを聞いてもらいつつ、なんとなく行く道の先に光が見えてきたような気がして、今年もやはり続いていく道をしっかりと進んでいくだけだと思いました。

翌朝、桑田さんと共に麻生ジャイアンツのグランドに行き、練習を見てから新一年生(8期生)のプロフィール写真を撮りました。これも今回のロードの仕事だったんですけど、無事に済んで良かったです。チーム関係者の方々とも色々話せましたし、なんといってもこのグランドは僕にとって心の故郷ですから、凄く気持ちが安らぎました。

昼過ぎにグランドを出た後は自由が丘に移動。馴染みのそば屋で相棒との打ち合せです。昨年もこうして春頃まで相棒とこのそば屋で打ち合せを重ね、夏からの指導者講習会がスタートした経緯があるので、今年も同じように今年予定されている活動への打ち合せをしっかりと行ないました。

その後、場所を変えて色々お互いの近況報告的なことをざっくばらんに話し合ったんですけど、昨年の指導者講習会の際、皆がグランドで実地を行なっている間、そうやって教室で話していたことを思い出し懐かしかったです。もう僕の中では本当に関田氏は相棒ですね。ありがたいです。

夕方に浅草のちんやさんに移動。震災後、ツイッターで色々呟いている住吉さんを表敬訪問。消費せよニッポン!の合い言葉通り一人ですき焼きを食べてきました。どんな時代も美味しい料理と提供する人の笑顔は人の心を豊かにします。ちんやさんのすき焼きでニッポンを救って欲しいと願っています。住吉さんは連日呟きブログも毎日更新されています。あなたの元気な姿が浅草に光を呼ぶと信じています。おっと、当日の僕のことも書いて下さっていたんですね。ありがとうございます。

すき焼きを食べた後、浅草線で大門に戻っていつものホテルにチェックイン。普段から外国のお客さんが多いこのホテル、さすがに閑散としていました。隣の東京タワーの灯りも消えていましたし、いつもと違う佇まいに切ない思いを噛み締めましたが、働いている人達はいつも通りで、やはり最後は人の心だよなぁ~と暖かい気持ちで眠る事が出来ました。

翌日はちょっと相談ごとがあったのと、新編集部にもお邪魔したかったので、プレジデント社へ。いつもの温泉に浸かってからチェックアウト、永田町へ向かいました。昨年父の本を出版した際に本当にお世話になったKさんと共にランチ。色々話せて良かったです。相談ごとに関しては夏頃に向けて色々動いていけたらと思っているのですが、やはりなかなか難しそうですね。僕も志だけでどこまで動けるか分かりませんし・・・。

と、こんな感じで今回のロードも無事に終了。ロードに出ると移動中に普段の仕事場を離れて色々考えることが出来るので頭の中がクリアーになります。昨年、色々あった中で通った道ではありましたが、今ではもうすっかり気持ちは全然前に進んでいて、昨年繋がった道が、今年もありがたい事に繋がっていて、その事にとにかく感謝の気持ちで一杯だし、昨年夏からのあのロードが無駄にならないよう、ここから先は志を更にしっかり持って進んでいかないといけないと痛感しました。

きっとこの先の道は険しいものになると思いますが、道が続く以上ただ進んでいくだけです。振り返った時、まっすぐな道が残るよう、今期も頑張っていきたいと思います。

 

地震・・・

3月11日(金)に三陸沖を震源とする東日本巨大地震により亡くなられました方々のご冥福をお祈りすると同時に被災された皆様、そのご家族の方々には心よりお見舞い申し上げます。

自然の猛威の前に人は本当に無力で、ただそこに立ち尽くす事しか出来ないという事を、僕も16年前に経験しました。その記憶がよみがえる度、被災地の皆さんのことを思い胸が苦しくなります。

地震が起った後、その数時間前まで普通に出来たことが出来なくなり、生活自体が変わらざるをえなかったり、昨日まで共に語り合った人と会話はおろかもう二度と会う事が出来なくなったり、一体自分の周りで何が起っているのかすら分からなかったことが、今でも心に刻み込まれています。

個人的に僕の判断で救えた命があったのではないか?ということがあり、それは今でも悔いとなって残っているのですが、自分自身に何が出来るか?といえば、一生懸命生きるしかないんですよね。別れざるをえなかった人達の事を忘れず一生懸命生きることしか出来ないんです。阪神大震災以降、僕はそう思って生きています。どんなことが起っても後悔しないように生きていく、それが生きている者に出来ることですから。

復興への道程は遠く険しいものだと思います。でも、人の力って凄いです。僕はそれを信じたい。

 

暖かいひととき

今日は2008年10月の第一回目開催からなぜか皆勤賞で参加させて頂いている「すきや連」の例会でした。初めての関西進出ということで、京都の老舗「三嶋亭」さんでの開催でした。個人的に伺った事があるお店ですが、すきや連で伺うとまた趣が違いましたね。背筋がピンと伸びるというか・・・。

もはやすき焼き屋でもないしがない脱藩浪人ではあるのですが、なんせ皆勤賞ですから、“常連組”と呼ばれる席に座る栄誉を頂き、ただただ恐縮でした。

向笠千恵子先生をはじめ、新橋の「今朝」さん、横浜の牛鍋「荒井屋」さん、そして僕の大先輩であるスタジオ My-Roomの川井さんと共に三嶋亭特有の八角形の鍋をつつかせて頂きました。

いつもいつも思うのですが、本当に皆さん優しくしてくださり、とてもとても暖かいひとときを共に過ごさせて頂き、本当に嬉しく思っています。

せっかく出来たご縁ですし、今後も皆勤賞を継続出来ればと思っております。何かお役に立てる事があれば良いのですが・・・。

すき焼き鍋を皆でつつくと心が一つになるというか、やっぱり良いものですね。こういう日本独自の文化は大事にしていきたいと思います。

そしてすき焼き屋さんが集まる中、同業の大先輩である川井さんの存在は本当に頼りになります。いつかお酒を飲みながら写真の話をさせて頂ければ・・・なんて思っています。

まだまだ寒い3月初旬ですが、そこだけは確実に暖かかったです。

 

ありがとう天使達!

今日から3月。環境の変化も含めて新たなスタートを切りました。そんな今日、仕事で昨年の4月からお世話になっている保育園の年長さん(ふじ組さん)の“お別れ遠足”の撮影に行って来ました。個人的に色々あった昨年、荒み切ったオッサンの心を何度も何度も救ってくれた僕の青い鳥の天使達の中でも、一番仲が良かったふじ組さんとのお別れ遠足ですから、そりゃもう僕の心のダムは決壊寸前・・・なんとも切ない現場でした。

思えば、本当にこのクラスの子供達には優しくしてもらって、感謝の気持ちで一杯です。厳しい現実に直面した夏、それを受け止めて走り抜けた秋、虚しさと切なさを噛み締めた冬、色んな場面で本当にタイミング良くこの現場が巡ってきて、そしてその都度ギリギリの所で踏ん張ってきた僕の手を優しく引っ張ってくれ、優しく僕の背中を押してくれました。

昨年の5月に“お散歩遠足”に帯同した時、正直今のような気持ちになるとは思ってなかったんですけど、やっぱり子供達の無垢な心って凄いですね。今では目を閉じると一人一人の顔が自然と思い浮かびます。

今日も一緒にバスに乗って行かせて頂いたんですが、バスの中から本当に優しくしてくれて、お弁当の時間にデザートやおやつを分けてくれて、帰りのバスの中では一段と盛り上がってくれて、本当に本当に幸せな現場でした。

きっと数年経ったら僕のことなんてきっと忘れてしまうんだと思いますけど、それで全然構わないんです。僕の名前だって知らない、一年間、ずっとウルトラマンを呼ぶように“カメラマン”と呼んでくれてたから、僕の名前はカメラマンで構わないんです。

でも、彼等が大きくなって保育園に通っていた時の写真を見返した時、それが僕が撮った写真であるという事が、僕にとっては何よりの幸せだし、僕が彼等から愛してもらった事に対する、僕が出来るただ一つの事なんですよね。

カメラマンという仕事をしていて、撮った写真が作品として残ること、クライアントさんの売上に貢献すること、色んな達成感がありますが、こうして人様の人生に関わらせて頂ける喜びもまた、大きな大きなモチベーションとなります。

それを与えて下さった園長先生に心から感謝しています。そして、子供達と同じように優しくして下さる園の先生方にも心から感謝しています。皆さんの事が本当に大好きです。本当に素晴らしい現場だと思ってます。

青い鳥の天使達、本当にありがとう。君達の優しさは一生忘れません。僕のことは忘れてくれても良いけど、時々で良いので僕が撮った写真をこの先何年も見返してくれると嬉しいです。

 

この道が続く限り

2月も半分が過ぎたというのに今月初めてのブログです。サボっている訳でもなく書くことがない訳でもなく、気がつけばこういう状態という感じです。もう少しちゃんと書きたい気持ちはあるのですが・・・。

さて、本日は長らく携わっていた現場での最後の撮影でした。これが最後になると知らされたのが一昨日。3月から色々撮り方を変えていこうと思っており、頭の中で構想を練っていたのですが、来月以降新しい方が撮られるということもあり、急遽オーソドックスないつも通りの撮り方で最後の撮影を締めてきました。特に感慨深いものがある訳でもなく、色んな意味で自分の中に区切りがついた感じです。寂しさよりも安堵感の方が大きいです。

なぜ最後になるかの理由を聞かされた訳ではないのですが、プロでこの仕事をやっている以上、わざわざ聞く必要も無いですし、そこはあまり大きいことではなく、ただただその事実を自分自身でしっかり受け止め、決して自分自身に納得することなく、何が欠けていたのか、今後何が必要なのかを自分自身で理解して前を向くしかないと思っています。

去年から僕の周りでは本当に色んな事がありますが、たくさんの方から気持ちを頂戴し、たくさんの方から愛され、僕は本当に幸せ者だと思っています。

お金も大事ですが、もっと大事なものがあることを皆さんから教えてもらいました。

何があろうと僕の目の前には道が続いていて、この両腕がある限り、誰にも縛られることなくその道を歩いていけますから、一生懸命進んでいくだけだと思っています。今後ともよろしくお願い致します。

優しい時間を頂いております

昨夜は年四回の定例「四人会」でした。四人会についてはコチラをどうぞ。

今回は年長でリーダーの長谷川さんが幹事。冬の幹事はハードルが高いんですけど、そこはさすがリーダーです。今回は山を三つ越えて猪を食べに連れて行って下さいました。初めての猪鍋でしたが、鴨と豚の中間のような味わいで、味噌の出汁と最高のマッチングでムチャ美味かったです。

山を三つ越えると人里離れた感じの場所になるんですが、そこにポツンと現れる茅葺き屋根のお店。きっと誰も他にお客さんなんていないんだろうなぁなんて思っていた訳ですが(失礼)、大型バスが数台、乗用車が駐車場にほぼ一杯、そして店内は満席・・・。すげぇ、なんでこんな所に(失礼)人がたくさんいるの?なんて思っていた訳ですが、この辺じゃかなり有名なお店だったようです。ちなみにコチラのお店です。

美味しい食事を気の合う仲間と囲むというのは、それはそれは優しい時間な訳で、今回も皆さんから本当に優しくして頂き、僕は本当に幸せものだと思っております。皆さん、本当にありがとうございます。猪には悪いですけど、心身ともにホッコリさせて頂きました。

で、今年からはこの「四人会」とは別に、サンプラスの照本専務といいちこ先輩という、僕にとって同い歳なのになぜか先輩という二人とトリオを結成し(会の名称はまだ決めておりません)、定期的に食事会を行う事になり、その例会が先週ありました。

こちらも美味しい食事を気の合う仲間と囲むという、それはそれは優しい時間でした。長年付き合ってきた友だからこそ!の心の会話にまたしても救って頂きました。先輩!ありがとう!だからって俺のことを後輩とは思わないでくれ!

いやぁ、本当に皆さんから優しい時間を頂いて、寒い冬に心の芯から暖めてもらってます。人の縁に感謝ですね。

祓いたまへ清めたまへ

今年初めてのロードに行って来ました。前回12月18日のアミーチ1期生の最終日、グランドの階段の上で「当分このグランドに来る事もないぜよ!」と晴れ晴れしく宣言したところ、年明けに麻生G8期生への説明会があり、それに合わせて諸々の作業がある為、結局同じペースで来なければならないことが判明、その日が来たので行って来ました。いや、呼んで頂けるのはありがたいことです。この先は少なくとも一ヶ月くらいはあくと思います。というかあいて欲しい・・・。あのグランド、1月と2月はマジで寒いからな・・・。

さて、もはや前日入りして泊まったり、当日泊まったりするよりも、断然日帰りの方が楽になったこの半年でしたので、今回も普通に朝5時に家を出る日帰りコースをチョイスしました。全く普通でしたね。いや、場所を考えれば本当は全然普通じゃない訳ですよ。でも全然遠く感じないんですよね。慣れって凄いと思いました。もう淡々と行って淡々と帰ってこれる場所です。明日いきなり来いと言われても普通に「良いスよ」と言って行ける場所になってしまいました。

さすがに寒かったですがそれは何の問題もありません。米原辺りで降雪で徐行するのも想定内です。当たり前のように2本早いのに乗りました。しかしN700系の遅れを取り戻す時に見せる“本気の走り”は相変わらず素晴らしかった。新幹線ってやっぱり凄いスね。

アミーチの活動が一区切りついたのと、いつも多摩センターの駅で相棒・関田氏と待ち合わせていたのが今日は一人だったのとで、なんとなく自分の中のモードも自然とチェンジ。まぁ、アミーチ前まではいつもこんな感じだったよなぁとか、でもアミーチがあったからまた違う感じだよなぁなんて思いながらグランドに到着。すぐに総会をやってる会場に行ってそのまま説明会に参加、その後で打ち合せを行い、後は皆さんに新年の挨拶等。会長は心無しかお疲れモードでした。あまり無理せんとって下さいネと声をかけてグランドを後にしました。

今回は、上記の仕事ともう一つ、明治神宮に財布を新調したことを報告に行く事も目的だったので、そのまま小田急に揺られて行ってきました。少し前に書いたとおり、昨年行なって良かった事は今年もやっておいた方が良いと思ったし、何よりも僕にとって明治神宮は特別な場所なのです。

2009年の4月、各々が新しい旅立ちをする事になった梅田家を昔からお世話になっている著名な方が明治神宮に連れて行ってくれて、そこで特別な祈祷を受けさせて下さったことがあり、その後にこれまたとある方から「あなたの身体に明治神宮の気が宿っている」と言われた事もあって、その著名な方から誘って頂いた事が繋がってるんだなぁと思い、上京する度に足を運ぶようにしてきたのです。

アミーチの時は日帰りだったので、なかなか足を運ぶ事が出来なかったんですけど、東京ドームで実施された時や、別件で上京した際には必ず足を運んで来ました。信心深い訳でもないのですが、つながってる感じがもの凄く自分の中にあるので・・・。

で、今年は大厄の本厄で、昨年の前厄の時にも何もしなかったし、今年もとりたてて何もするつもりは無かったんですけど、前回財布の時に書いた姉が「やっぱり厄祓いだけはしておいた方が良いヨ!」と言っていたので、どこかのタイミングで近くの厄神さんに行こうとは思ってたんですが、丁度明治神宮で祈願祭をやっていたので、もう誘われるように受付を済ませておりました。

やっぱり清々しい気分になりましたね。振り返った時にきっと厄祓いをしておいて良かった!と思えるだろうなぁと思いながら参道を戻っていた訳ですが、きっと昨年も可能な限り足を運んだからこそ、あれだけ最悪なことがあっても、自己が崩壊するようなダメージを受けずに済んだと思うし、その中で新しい自分自身を生み出すことが出来たんだと思ってます。周りの人のおかげでもある訳ですが、そういうなんというか、信心という行為に自分自身が救われた部分もきっとあったんだろうな、と。そう思ったりもしました。

神様ってきっと自分の中にいるものだと思うんですけど、どこかで見てくれてる神様もきっといると思うし、自分自身と向き合う意味でも、気が宿る場所に行くのは良い事なのかもしれませんね。

祓ってもらって清めてもらった良い一日。今年も何が待ってるか分かりませんが、自分自身で乗り切っていくぞ!という気力がみなぎってきました。

今年も頑張ります!

あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願い致します。

さて、皆さんの初夢は如何でしたか? 僕は殺される夢を見ました。ええ、大晦日の夜も見ましたので二夜連続です。ついでに言うと11月の中頃から定期的に見るので、誰かがきっと僕を狙っているのだと思います。夢の内容は毎回同じで、背後から「梅田さんですね」と誰かに呼ばれるんです。で、振り向いた瞬間に殺されるという内容です。殺され方は様々です。切られたり刺されたり撃たれたり・・・。

振り向いた瞬間なので犯人の顔は見えません。起きてから必死に声のトーンを思い出そうとするんですけど、男の声なのか女の声なのかハッキリしません。そういうなんとも言えない夢を二ヶ月近く見続けている訳です。時々本気でうなされるので、あまり良いものではありません。なんとかならんもんでしょうか。

色々な占いが好きな姉によると、「殺人・殺す・殺される夢・・・夢の中での「殺す」は、無意識レベルでの自己治癒や、生まれ変わりを表しています。ですので、誰かを殺す夢、誰かに殺される夢は、幸運な夢といえます。自分が殺される夢を見たあなた。落ち込む必要はありません。自分が殺される夢は、あなたの中でよどんでいた何かが清算され、無意識レベルであなたが生まれかわることを暗示しています。運気が好転して、あなたに幸運がおとずれようとしています。」とのことです。確かに思い当たるふしが無い訳ではありません。ある意味、僕はずっと刺さったトゲを抜こうともがき苦しむ毎日を送っているようなもんで、その辺を意識外に飛ばして心の平穏を保っているつもりなのですが、なかなかそういう訳にもいかないんでしょうね。人間のメンタルとフィジカルのバランスのメカニズムって凄いですね。

と、感心している場合でもなく、出来るだけ早くトゲを抜いてしまわないと、ずっとこういう状況が続きそうなので、なんとか頑張っていきたいと思います。

で、姉といえば財布です。これもまた占いなのかどうか分かりませんが、姉はずっと僕や今村チーフに「財布を長財布にして小銭入れと分けろ!」と言い続けてきました。勿論、そんな声に耳を傾ける我々ではありませんので、適当に受け流していたのですが、独立して最初の正月となった昨年、なんとなく姉の進言に従ってみようと思い、人生で初めて長財布と小銭入れというスタイルに変えてみました。使っていた財布はちゃんと言われたとおり神社に納め、新しい財布を懐に入れて参拝も行いました。勿論、半信半疑で・・・。

しかししかししかし! 昨年の僕は重要な部分で困る事にはなりましたが、お金で困る事はありませんでした。というか、そっちの方はおかげさまで好調をキープする事が出来たのです。当然のことながら、ここで毎回のように書いてきたとおり、それはひとえに皆様のおかげだと思っており、感謝の気持ちで一杯なのですが、やはりなんとなく、財布効果?という思いがない訳ではなく、姉の助言通り年が明けるに辺り財布を新調する事にした訳です。

でまぁ、色々考えて、今年はやはりそれなりの価格の物を買おう!と、そして出来ればパンチの効いた物にしよう!と、そう思って色々物色し、行き着いたのがDiorの財布でした。店員の女性の「贈り物ですか?」の問いに「いや、自分用!」と答え、予想通りのリアクションも堪能出来ましたし、良い買物が出来たと思っております。

財布はずっとプラダの二つ折りを愛用しておりましたので、今回も最初にプラダに行ったんですけど、グっとくるものがなく、シャネルに行ったら”一見シャネルに見えないけど、さり気なくシャネルのロゴがワンポイントで入ってる!”という物を発見、最後まで今回買った財布とデットヒートを繰り広げたんですけど、最後はやっぱり当初の“パンチの効いた物”という初志を貫くことにした次第です。ちなみに値段も7のフィーバーというラッキー加減。高価でしたが、夏頃から財布用に小金を貯めていたので問題無しです。そう、財布は毎年変えないといけないんだそうです。今年も来年用にシコシコと財布用のプチ貯金を行いたいと思っております。

昨年まで使っていた財布は、早速初詣で氏神様に納めてきました。勿論、新しい財布を懐に入れて参拝したことは言うまでもありません。

幸い、近々ロードが入っているので、明治神宮にも財布を持って参拝するつもりです。昨年も同様のことを行いましたので。

財布の小銭入れの中には色々なお札が入っています。明治神宮の物もあれば、雷が嫌いな僕の為に色んな人がくれた色んな神様の雷除けのお守り、僕の守護神(と僕が勝手に決める)である玄武を祭った玄武神社の物も入ってます。色んな物を入れると神様がケンカする!なんて言う人もいますけど、神様はケンカなんてしないでしょ。無問題です。

という訳で、ついに大厄の本厄となる一年の幕が切って落とされましたが、なんとかなるんじゃないかと思っております。いや、厄年だろうがなんだろうが、どんな時だって前を向いてしっかり進んでいけば大丈夫なんじゃないか、と。そう思ってます。

色々ありますが、今年も頑張ります!

というか、厄払いに行ってないんはエエんか? 財布よりそっちが先なんちゃうの?

感謝の道

今日は桑田真澄さんが立ち上げたNPO団体であるアミーチ・デル・クオーレの指導者講習コースの第十回目の実施日でした。毎度のことながら“事務局”“web担当”“カメラマン”の三役をしっかりこなしてきました。と半年間書いてきましたが、それも今回が最後です。そう、今回でアミーチ第一期生は終了となります。今後に関しては、またアミーチのページで詳細をお伝えしていくことになりますが、このグランドでこの形態で行うのは、第一期生が最初で最後になると思います。

今回のロードは、第一期生の終了証書を作成するのと、今後の打ち合わせ等があったので、久しぶりに前日入りしました。午前中に撮影の仕事が入っていた為、夕方に桑田さんのお宅にお邪魔して証書を作成した後、色々話してから食事をご馳走になり、その後僕は家の人と話し込んで全くミーティングに参加することなく、「一体何しに来たんや?」と言われつつ、更に「泊まっていけ!」というありがたいお言葉を振り切って多摩センターに移動しました。最初の二回だけ前日入りした際、泊まったホテルに最後にもう一度泊まりたかったのと、子供の頃から人を泊めるのには慣れていますが、自分が泊まることに全く慣れていないということもあり、ほぼ終電で多摩センターに移動しました。

暑いなぁと思いながら入った同じベッドが、今では寒いなぁと思いながら入ることに季節の移り変わりを感じながら、自分を取り巻く環境、そしてこの半年で自分自身が遂げた劇的な内面的変化を感慨深く思いながら眠りにつきました。

翌日、本当に快晴の中、第一期生の皆さんと最後の時を過ごし、意外と自分の中で皆さんの存在が大きくなっていたこと、このアミーチの活動が大きくなっていたことを痛感しました。同じ時を共有した者同士だからこそ通じ合える部分がきっとあるはずで、それはきっと桑田さんにしても同じだと思うんですけど、やっぱり大切な部分なんじゃないかと思います。

僕は受講者の方々と違って指導者になりたい訳ではなく、ただスタッフとして参加していた訳ですが、それでも講義内容はもの凄く自分の中に染み込みましたし、アミーチの活動を通じて得たものは本当に大きいです。幸せな現場でした。

そのまた翌日は、これまたありがたい事に、麻生ジャイアンツの卒団式&クリスマス会に参加させて頂きました。今年で二年目ですが、昨年同様心から感動しました。

アミーチ以前から麻生Gの仕事をさせて頂いていて、いつも感じていたことは、父母の方々の献身的なサポートということに尽きます。勿論、スタッフの方々の情熱という部分も大きいですが、お父さんやお母さん達の優しさに見ている僕が何度も何度も熱いものがこみ上げてきて困りました。それくらい優しい人達ばかりです。

卒団式では、そんなお母さんに対し、子供達から一言と花束が渡されるのですが、それがまた胸にグっとくるわけです。母親に対して正面から感謝の言葉を中学三年生が素直に言うのって難しいと思うんです。でも、麻生Gでの生活を通じ、まっすぐに伸びた子供達の心は、本当にストレートに感謝の気持ちを伝えていました。そういう教育を行い、そういう機会を作る桑田さんの心の暖かさにふれ、また熱いものがこみ上げてきて、帰りの電車の中で少しだけ泣きました。これも恒例になりました。

アミーチの活動にも一区切りがつきましたし、麻生Gも五期生が卒団し、色々相談しながらこの一年でシステムを構築してきた父母会の方々ともお別れです。なんとなく寂しい年の瀬になってしまいましたが、これが終わりではなく、始まりなんだと心に言い聞かせ、また気持ちを新たにしてアミーチの新しい活動に力を入れていきたいと思っていますし、微力ではありますが、次の代の父母会の方々のお力になれればと思っています。

今年の僕のロードはこれで終了しました。気がつけば今年一年で40回もN700系に乗った事になります。僕にとって今年一年を漢字で表すなら「道」だと思っています。自分で踏み出して始まった道をたくさんの人に繋げて頂きました。振り返ってみれば、そこにはただただ感謝の道があります。色々あった中、こんな脱藩浪人に対して心から優しくして下さった皆さんに対して感謝の気持ちしかありません。本当に本当にありがとうございました。そして、たくさん救って頂きました。本当に本当にありがとうございました。あのグランドが無ければ、もしかしたら死んでたかもしれません。

思えば今年は会長が投げる姿をたくさん見てきました。繊細かつ力強いあなたのピッチングフォームに勇気をもらいました。いつも優しく、暖かく、その心で僕を救ってくださったこと、一生忘れません。

来年もあなたが付けてくれたdpという名前を背負って一生懸命この感謝の道を走っていきたいと思います。