我が心のグアム合宿

毎年1月の終わりになると思い出すのが、2014年の1月末に行われたグラム合宿。
このブログでも書いてきた、2010年から始まった桑田真澄さんの「指導者講習会」を本にまとめる為に行われた合宿でした。一週間ホテルに缶詰になって、ずっとディスカッションして骨組みを作る日々。僕は指導者講習会の第一回目から事務局、カメラマンとして参加して、全ての講義を見聞きしてきたので、桑田さんから内容の確認をされ、「あの時はこう仰ってました」と答えたり、「あの時にこういう事があってこういう意見になりました」的なことを答える役目と、本に掲載する写真の撮影の為に帯同させて頂いたのでした。

今でも思い出す、あの異常な程の暑さだった2010年の夏、第一回の指導者講習会、その第一声が「コーチの語源とは」でした。コーチとは一体どのような役目を行うべきであるか、指導者講習会はそこから始りました。合宿から一年経過した翌春出版された書籍「常識を疑え」の冒頭でもそのことが書かれています。

今、桑田さんはその語源を体現すべく、球春を迎えようとしています。新しい旅を心から満喫して頂けることをただただ願っております。そして、自身が追求した指導者としての理念で、一人でも多くの選手と並走し、最適なゴールに導いて頂きたいです。
今年のNPBは違う意味で楽しみです。

グアム合宿の思い出はたくさんあるのですが、たくさんたくさん、本当にたくさんの話をしました。このチームの絆は永遠だと思っています。

毎年1月の終わりになると、僕はやっぱりグアム合宿を思い出します。

京都会議

日本青年会議所毎年行う「京都会議」を撮って欲しいというご依頼を受けましたので、金曜日から三日間、国立京都国際会館で撮影を行いました。
依頼を受けた時は緊急事態宣言前だったので、木曜日に予定されていた伊勢神宮参拝も日帰りで撮りに行く予定でしたが、宣言後に当然中止となり、京都会議自体のスケジュールも大幅に変更になりました。

通年であれば、ハンパない人数が集まって会館内が満員電車のようになるらしいのですが、今年は初のリモート開催ということで、当然のことながら閑散としておりました。
困るのが、撮れる絵が毎日ほぼほぼ同じで、それで誌面を作らなければならないこと。
でも、実はそれは逆に「今年初めて撮れる絵」ということなので連日過去の資料にはない絵を撮るアプローチが出来たので、終わってみればとても楽しい現場でした。

で、勉強不足も甚だしいのですが、JCの方々の年齢制限を知らなくてですねぇ(前職でJCの宴会のサービスについていたにも関わらず)、今回初めて40歳で卒業ということを知った訳です。
ということはですよ、皆さん三十代という事になる訳ですよね・・・いや、ちょっと大人過ぎやしませんか?
考え方がしっかりしていて、立派なことを仰るから余計にそう見えるのかもしれませんが、発言されたりしている姿や言動から、僕とそんなに歳が違わないんだろうなぁなんて思っていた訳です。いや、実際50を過ぎて尚この体たらくの僕からすると、僕よりも年上なんだろうなぁなんて思ってしまった訳です。

いやいや、全員三十代(二十代後半含む)ですか!
俺が三十代の頃はもっとやさぐれてましたよ。いや、今とあんまり変わってないかも・・・。

そう考えると、本当に凄いですね。その活動にのめり込む心情は全く理解出来ませんが、その情熱、行動力は敬服するばかり。皆さん本当に素晴らしい!

初のリモート開催となるエポックな京都会議を撮らせて頂きありがとうございました。

おめでとうございます

桑田真澄さんが巨人軍の投手チーフコーチ補佐に就任されました。ユニフォームを脱がれた後の活動を微力ながらお手伝いさせて頂いてきて、その一つ一つが僕の財産になりました。
この10年以上の年月、桑田さんは一言も「巨人のユニフォームが着たい!」ということを口にしませんでした。もっといえば、「こうなりたい」という事を口にすることはありませんでした。いつも僕に「自分がなりたい姿を頭に思い描いて、そこに向かって努力すれば、必ず良い結果が訪れる」と仰っていました。きっとその通りになったのだと思います。

僕は生まれてからずっとサービス業のど真ん中で育ちましたので、野球選手をはじめ、お越しになられる方々の職業について聞くということがご法度であると教え育てられました。なので、あまり興味がわかなくなったのかもしれませんが、桑田さんに対しても聞かれたら答えますが、こちらから野球の話をしたことはありませんし、聞いたこともありません。そういう部分を評価して頂いて、信頼して側において頂いていたのではないかと思っています。

そういう訳で、この10年以上も「球界に戻りたいですか?」だの「戻るとしたらやっぱり巨人ですか?」等と聞くことは一切無かったです。
でも、「早く球界に戻りたい、そして戻るとしたらきっと巨人のユニフォームを着たいんだろうな」ということは隣にいて凄く伝わっていました。
なので、僕も微力ながら「そうなると良いな、そういう結果が訪れてほしいな」と願っておりました。

ニュースで知る前にお知らせ頂いた際も、とにもかくにも「良かったです!本当に良かったです!」という言葉が出てきました。本当に良かったと思っています。

一緒に色んな場所に行って色んな景色を見てきましたけど、ずっとずっと心の中で「早くユニフォームを着て球界に戻るべき人」だっと思っていました。
だからやっぱり「本当に良かった」と言いたいです。

一つだけ寂しい事があるとするならば、恐らく今年から真心米は出来ないということです。丁度10年続けたので、良い区切りになりましたけど、毎年当たり前のようにある事が無くなるのは、やはり寂しいです。
「僕だけでも秋になったら現地に行こうと思います」と桑田さんに伝えたいと思います。

昨年の真心米の際、なんか本当に予感的なものがあって、このブログにも総括的なこと書いていることに運命のようなものを感じずにはいられません。

とにかく、二度目の現場、心ゆくまで楽しんでください。おめでとうございます。

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

まだまだ先が見えないコロナ禍の真っ只中ですが、自分を信じ、自分らしく生きていきたいと思います。

家族全員元気で新年を迎えました。
それが一番だと思っております。

毎年元旦は恒例のご家族が家族写真を撮りに来てくださいます。
今年もまた、「一年に一枚撮り続ける写真」をたくさん撮らせて頂きたいと思っています。

この街角でこの街の幸せを見つめ続け、そして撮り続ける、それが僕のライフワーク。
今年もよろしくお願い致します。

Still Alive/12/2020

今日で2020年も終了です。始まった時は「いつもと同じ」という感覚でのスタートでしたが、終わってみると、自分の人生の中でも大きな一年になったような気がします。
今まではやはり阪神大震災が一番大きな出来事だったような気がしますが、こういう未知のウイルスの恐怖に晒される経験も初めてだったし、それに伴い社会全体の混乱も経験したことが無かったので、死ぬ前に振り返ると、「あの年は大変だった」と思う年だったと思います。

仕事的にも4月10日の撮影を最後に完全にストップしました。うめちゃんの味の業務があったので気持ちが一気に落ち込むことは無かったですけど、心のどっかに「この先どうなるんだろう」という不安が常にあり、どこかのタイミングで写真業務を休止してうめちゃんの味一本に絞った方が良いのではないかと思いながら生きた夏だったと思います。
独立した後は特に夏の外現場を多く経験してきましたので、「夏空」を全く見なかった夏は初めだったと思います。

秋になって仕事が戻り、逆に忙しくなるほどで、写真も諦めずに継続出来る手応えを感じることが出来ましたが、それでもまだまだ先の不安が消える訳でもなく、この混沌とした世の中で、自分はどうやって写真を撮っていこうかと思う毎日です。

年末に我が家恒例の「京都で二人だけの忘年会」を行うことが出来またことが、少しだけ来年に向けて気持ちを明るくもてる材料になりました。

とtにかく家族全員が健康で生きていく。それが一番の目標です。

今年も一年多くの方々に支えて頂きました。心より感謝致します。
来年もまた多くの方々とふれあい生きていきたいと思います。

良いお年を。

2020年の師走に思う

今週一杯で今年のスタジオ業務も仕事納めとなりそうです。
色んなことがあった一年ですが、最後はしっかりと笑顔でフィニッシュ出来そうです。

8月一杯くらいまでコロナ禍の影響で本当に大変でした。家族会議で「11月一杯をメドにスタジオ業務を一時休業して12月から餃子とカレーに注力しようかと思う」と言って腹をくくったのですが、我が家のイタリア人から「どんな時代でもどんな事があってもあなたの写真を求めてくれる人は必ずいる!だからそんなこと言うべきではない!」と、ビシっと言われまして・・・とはいえ、全く先が見えなくて・・・でも彼女の「今は世の中が混乱しているだけ!もうすぐ、もうすぐ必ず多くの人があなたに撮られに来る!」という言葉を信じて、その言葉を一筋の光だと思い、その光射す方向に歩き出したら、なんと!9月の終わりくらいからムチャクチャ忙しくなりまして、彼女が言ったとおり、本当にたくさんの方々が僕に撮られてくださいました。
それはそれは本当に想像を絶する数のご依頼を頂いたのでした。

新しくお越しくださるお客様はグーグルマップで検索される方が多いようで、「レビューが餃子の話ばかりだったので少し不安だったけど、良い写真撮ってもらえて本当に良かった!」と仰ってくださいます。

「そんな写真スタジオがあっても良いじゃないか」

肩肘張って突っ張ることなく、自然体でそう言えるようになりました。
たくさんの人に僕のシャッターを救って頂いたおかげと感謝しております。
救って頂いたこのシャッターを必ず繋いでいきます!
僕に撮られてくださる皆さん!本当にありがとうございます!

家族全員元気です!
梅田、頑張ります!

Still Alive/11/2020

信じられないほど忙しい一ヶ月でした。「この先どうしよう?」と考えていた夏の頃を思うと本当に信じられない忙しさでした。

実は9月の半ば頃、あまりにもスタジオの需要が無かったので、11月一杯をメドにスタジオ業務を休止して、スタジオ部分は餃子とカレーのお店メインに移行する方向で腹を括り始めていたんです。
そうしたら、10月中旬くらいから11月一杯までのご予約が殺到して、スタジオ業務を休止することなく、このまま継続出来るという手応えを感じることが出来ました。
そして、それを実践した今月だったような気がします。

本当にたくさんのご家族を撮らせて頂きました。毎年お越し下さるご家族、今年初めてお越し頂いたご家族、成人式の前撮り・・・多くの方に僕のシャッターを救って頂いたような気がします。

つないで頂いたシャッター、これからも大事に大事に続けていきたいと思います。

そして、スタジオ業務以外での仕事も戻ってきまして、中でも動画の案件を多くご依頼頂き、「撮ってるか編集してるか餃子を売ってるか」そんな毎日を送っています。

来月でいよいよ今年も終わりです。コロナはまだまだ収束する気配がありませんが、健康をキープして走り抜けたいと思います。

Still Alive/10/2020

急に忙しくなりました。なんか「動き出した」という感じしかありません。良いことなのだと思いますが、長くヒマな時間が流れ過ぎたので、体と心が付いていかない感じでしょうか。先月くらいから一気に!という感じなので本当に気持ちが全くついていかないです。体の疲れは寝ればなんとかなるんですけど、メンタルはなかなか難しいです。
まぁ、フィジカルも若くはないので、割とキツいといえばキツいんですけどね・・・。

上旬にも京都で二日間の撮影があってGo To トラベルを使い、下旬には九州に行った時も使い、その翌日は日帰りで松山までと、外での仕事も戻ってきております。

勿論、合間にスタジオでの撮影も戻ってきているので、気持ち的には数ヶ月前の「この先どうなるんだろう?」的な不安からは少しだけ抜け出れたような気はしているのですが、それでもまだまだ安心は出来ないというか、普通のインフルエンザくらいの扱いにならないと、やっぱり世間は元には戻らない感じはします。

うめちゃんの味の方は、僕が外現場に行くことが多かったので、若干来客が減った印象です。数字はガタっと落ちている訳ではないのですが、僕自身がそう感じる今月でした。

少し方向性で軌道修正を入れることになると思います。企画書的なものも書きました。本業が忙しくなってきたタイミングだったので、そういう意味でも少しメンタルに響いた今月だったのかもしれません。

撮ってる写真にブレはないんです。良い写真をたくさん撮った自負もあります。僕にご依頼くださる方の気持ちに応える写真は確実に撮れているので、そういう意味では何の心配も不安もないのですが、とにかくコロナ禍でペースが乱れたことだけは確かなんですよね。流れ出したらすぐに元に戻っていけるとは思うんですけど、その調整をしていた今月なのでしょう。

秋は毎年続く「サンプラスさんのカレンダー」と「真心米」の仕事があって、それに関連して毎年見ている風景を見ることで、Still Alive、文字通り「まだ生きてる」と実感出来る季節であり、「もう今年も終わるな」と気持ちが追われる季節でもあります。

それでも僕は秋が好きです。来月も良い時間が流れることをただただ願います。

10年10枚(米)を振り返る

真心米のパッケージ写真が10枚揃いました。一年一枚なので10年という月日が経過したことになります。僕のキャリアでは、サンプラスさんのカレンダー(11年)に続く長さです。個人を撮り続けたものになると、これが最長です。

写真を見ながら振り返ると、色んなことを思い出します。その時に僕が見ていた日々の光景まで浮かぶので、写真の力って凄いと思います。是非皆さんもstudio dpで毎年家族写真を撮り続けてください。こうして並べてもらいたいです。

桑田さんから「東日本大震災の被害にあった野球少年の為に米を作るから手伝ってほしい」と言われ、いきなり縁もゆかりも無い地の田んぼに呼び出された2011年5月。その時に撮ったのが2011年の写真です。いまだにこの写真が一番!と言ってくださる方が多いのですが、この写真に関しては「販売品」の為に撮ったものなので、僕も撮り方と向き合い方が違うと思います。そして、稲刈りよりも確実に田植えの方が絵になるんです。
この時にお米を売った収益で津波で金属バットが流されたという石巻の野球少年達の為に金属バットを買ってお渡ししました。その全ての作業を僕が一人で行いました。とても心細かったネット販売を開始した直後、本当に僕がアップしてから15分以内にヤスヤさんと照本さんが発注してくれて、モニタを見ながら泣いたことを思い出します。心強かったです。
余談ですが、この写真を見た菅原文太さんから対談の依頼が入ったことが忘れられません。ご本人からも「あれは良い写真だね」と褒めて頂いたことが僕の密かな誇りです。

ずっと2011年の写真を使うと思っていたら、生産者の方をはじめ関係者各位より「毎年違う写真が良い」と言われ、困った桑田さんと僕が少し悪ノリして撮ったのが2012年の写真です。二人とも今より若かったから出来たんだと思います。今は絶対にしません。
また、この年から販売ではなくお米そのものを寄付する形式に変わったのも、このくだけたパッケージになった大きな要因かもしれません。

2013年は小雨が降っていて、桑田さんも早くゴルフに行きたくて、しっかりと稲刈りの作業を行う前に「これが僕のお米です!」的な写真をササっと撮った感じです。

2014年は昨年に続き「やっつけ感」が出てますね・・・。毎年必ずトラクターを本当に上手に駆っていらして、ご本人も「そこをアピールしよう!」と言って撮った写真です。本当は左上の運転席の写真を全面に使っていたのですが、ご本人の「ちゃんと操ってる所も使って!」というリクエストでこうなりました。多分、そのやり取りも覚えてらっしゃらないと思いますが・・・。

2015年、2016年は「ゴルフウェアではなくちゃんと撮りましょう!」と言って臨んだ二年です。桑田さんが代表をつとめていたNPOのロゴ(僕が作りました)が入ったTシャツを着てもらってちゃんと撮りました。2015年は唯一「カメラ目線」ではないのですが、「現役時代、ボールに話しかけていたように稲に語りかけてください」とリクエストして撮りました。ちょっと嫌そうでした・・・。
2016年は一番やりたかった「稲の中に入ってもらって撮る」ということがようやく出来た一枚です。軽トラの荷台から撮ったのですが、そこから「もう少し中に入ってくださいー」と指示してたら、少しだけ入ってこちらを見上げ「これくらいじゃ許してくれへんのやろな」と苦笑いして深く入ってくれたことが印象に残っています。

2017年は、またしてもゴルフウェアに戻り、この年からお互い「肩の力抜いてサっと撮ろう!」という感じになりました。これは僕が小林旭さんの「赤いトラクター」を歌いながら、「ちょっと足かけてくださいー」等と言いながら撮りました。僕の歌にサビの部分で少しだけ呼応してくれた桑田さんの鼻歌までもが聞こえてくるエエ写真だと思ってます。

2018年は、実はちょっと深い写真で、この地に誘ってくれた方の田んぼの前で撮った一枚なのですが、この年でこの田んぼを閉鎖するので、どうしてもその前で撮ってもらいたいんや!という生産者の方の意向があったり、色んな方の思いが詰まった一枚なんです。それをそう見せずいつも通りに撮った僕を自分で褒めてやりたいと一枚です。すきや連でお付き合いが始まったカメラマンの大先輩から「今年の写真は良いですね!好きです!」と褒めて頂いたことも嬉しくて強く心に残っています。

2019年は全く印象がないです。ネタもなく2017年の時のように赤いトラクターを歌っていたら、桑田さんが何も言わずスっとトラクターに移動して、このポーズを取ってくれたので、サっと撮って終わり、そんな感じです。2017年からは本当にそういうキャッチボールを楽しむように撮ってます。真剣勝負だったのは2011年だけですが、多分、我々の距離感が投手と打者からバッテリーの距離感に変わったのは2015年くらいからなのかもしれません。

2020年は、何度も書いてきましたが、根本的に稲が無かった為、トラクターでの稲刈りは出来ないと言われていたので、刈った稲を手にというイメージで現場に入って、それを伝えながら田んぼに行って、阿吽の呼吸で撮った一枚です。少し前に書きましたが、本当は生産者の橋本さんとの2ショットをパッケージにしたかったんですけど、そういう訳にもいかず・・・でも思った通りの一枚が撮れて良かったです。優しく柔らかい笑顔になりました。

さぁ、来年はどんな写真を撮りましょうか・・・。PLのユニフォームとか着て欲しいんですけど、頼んだら絶対に笑いながら「嫌だよ」って言うんだろうな。

来年は縦構図の年。久しぶりに田植えが撮りたいですね。

10年目の真心米に思う

毎年のことながら、自分で発送した真心米が自分に届く秋の日。今年は10年という月日が感じられるような、優しく柔らかい笑顔が撮れたのではないかと思います。
特別なことをせず、笑いながらキャッチボールするように撮った写真です。それが良いと思う10年目のパッケージ写真になりました。

いつもは日帰りするのですが、今年はGo To トラベルだかでホテルが安くなるので前泊しました。このキャンペーンでこのパターンを使うのはすでに3回目で、そんな使い方でエエんか?と思わないでもないですけど、使えるものは使わせて頂こうということで、「真心米を発送するだけ」というミッションに対して、「旅要素」の方が確実に多い時間を費やしました。

生まれてから39年間、JR芦屋駅の北側から出ることもなく「迎えること」を生業としてきましたが、39歳で独立してからは、桑田さんを筆頭に多くの方から呼んで頂き、気がつけば47都道府県全ての地に足を踏み入れておりました。
それは仕事とはいえ、自分で行程が組める自由業ですから、例えば2時間の撮影の為に3泊4日の行程を組むことが出来るので、仕事現場にいる時間以外は「旅」になります。

昨日も毎年恒例のサンプラスさんのカレンダー撮影で松山に行きました。道中サービスエリアで食べたコロッケをインスタに上げたりしていたので、帰宅すると我が家のイタリア人が「楽しそうだったね」と笑顔で迎えてくれました。道中で砥部焼のお店に寄って夫婦茶碗を買ったりしていたので、「本当に楽しんでるのね」と、自分の事のように喜んでくれたのがとても嬉しかったです。

実は、僕は意外と色んな所を観光しています。昨日も帰り道にあった椿神社なる所にも寄りましたし、気になったらUターンしてでも寄って帰ります。クルマで行く時ほどではないにしろ、電車の車窓から見えた気になるところは、帰りに途中下車して立ち寄って、そのままその町で泊まることもあります。

そんな旅で出会った風景を僕はSNSにもアップしませんしブログにも載せません。家族にも言わないことがあります。写真だけ僕のiPhoneとMacに入っています。
旅の思い出って、自分だけの宝物で、人と共有することじゃないと思っています。僕がその風景を見て、楽しいことも悲しいことも色んな思いを僕の心にだけ閉じ込めて、人生のアルバムを作って生きているので、そのアルバムは誰にも理解出来ない僕だけのものなんです。それを見せるのって無粋じゃないですか。

独立してすぐに、このパッケージ写真の方に呼ばれ、「何も心配しなくて良い。俺がついてる」と僕の目を見て仰ってくださって、以降本当に多くの仕事を与えてくださいました。そして、その場所は全国津々浦々に渡っていました。「何月何日何時にここへ来てほしい」というメールが入って、それに従ってその場所へ行き、一緒に仕事をして一緒に食事をして解散。その前もその後も自由なので色んな旅をさせて頂きました。人が簡単に見ることが出来ない景色を見せて頂きました。色んな思い出を作らせて頂きました。そして、それはまだまだ続くんだということを、このパッケージの写真を見つめながら感じています。

11年目の真心米に向けて、また新しい旅が始まっています。餃子とカレーを売っていても、僕の根底にはちゃんと写真があることを、毎年この人に証て頂いていることが、何よりの恩返しなのかなと思って生きています。