とんこつスープが母乳の代わり!

かどうかわかりませんが、博多に行って来ました。勿論、とんこつラーメンもしっかり食べて来ました。食べながら、ダウンタンがコントで上記フレーズを言っていたのを思い出し、それはそれで困るよなぁと感じながら替え玉を頼みました。
そして、博多といえば、なんといっても鮎川誠さんがやってた博多もんラーメンのCM。あの「博多んもんなぁおうどうもん あおたけわってへこにかく ばってんラーメン!」というアレですよ。今回はそんな鮎川さんに敬意を表し、愛車N700系の車中でサンハウスを聴いてました。帰りはめんたいロックに敬意を表し、ルースターズやロッカーズを聴いてました。どちらもファーストアルバムがムチャクチャカッコイイ!陣内最高!

さて、今回は桑田さんの十八夜の事務局の業務で呼ばれたのですが、昼の新幹線で行って夜に仕事して翌日の昼に帰って来るというスケジュール。勿論、ミスター日帰りと呼ばれた僕ですから、当然のことながらそれを目論んでいたのですが、とてもじゃないけど無理でした・・・。

16時に会場入りして打ち合わせを行い、18時から受付業務、19時から会の進行の手伝い(の傍ら売上管理)、21時の終了後は撤収と支払い・・・そんなお仕事でした。写真の方はiPhoneでサクっと撮って公式サイトを更新。今回はカメラマン業務色は完璧に薄かったです。iPhone 4S、web用だったら充分イケます!

22時に会場を出た後は打ち上げ。今回もワインを頂きました。もう疲れてヘロヘロだったので、あまり飲めず・・・。最後の締めはまたもやとんこつラーメン。とんこつラーメンは飲んだ後の締めにハマりますね。最高でした。今回は麺の硬さの言い方の勉強をしましたが、「粉落とし」というのは意外でしたねぇ。一番硬いんでしょうけど、逆に小麦粉食ってるみたいでモチモチしちゃうんじゃないか?と思い、僕はハリガネにしておきました。

日付が変わってだいぶ経ってからホテルに戻ってバタンキュー。翌朝桑田さんのホテルに行って朝食をご一緒させて頂き、博多駅でお土産を買い込んで愛車に乗り込んだのでした!

昨年、合計6回通った小倉。今回はその小倉を通り越したのですが、やはり行きの新神戸のホームで色んなことを思い出しましたし、行きも帰りも実際に小倉駅で停車した時、真心米でお世話になった生産者の方々やJAの方々の顔が浮かび、胸に熱いものがこみあげてきました。本当にお世話になりましたから・・・。
下車して会いに行けたら良かったのですが、戻ってから約束があったのでかないませんでした。でも、またいつかあの地にもう一度立ちたいと思っていますし、皆さんともう一度杯を交わしたいと思っています。
西に向かうと少しセンチメンタルになってしまいますね。次回のロードは北です。また前略、道の上から!で頑張りたいと思います。

輝く春の日

今日は僕の大好きな現場である保育園の卒園式。一年間のサイクルとなるこの現場の最後の行事であり、僕の大切な天使達とのお別れの日でもあります。

昨年は本当に「何しに来てるの?」と言われた程、泣きっぱなしでどうしようもなかったということに対してしっかり反省したのと、何よりも本当にいつもずっと笑顔で仲良くしてくれた今年の天使達は笑顔で送ってあげたいとずっと思っていたので、今年に入ってから密かに毎晩飲みながら子供達を思いながら泣いてきたこともあり、僕の心のダムは決壊することなく、むしろ渇水の状態で臨むことが出来ました。それでもスライドショーの時はジワジワと泣いてしまいましたが・・・。

やっぱり僕が撮った写真が使われる訳じゃないですか。そこはもう一瞬でその時に戻っちゃうんですよね。あの日あの時あの瞬間、子供達と僕との間にあった空気が一瞬で戻ってきちゃう。写真ってやっぱり凄いな!と思いましたし、それが自分が撮った写真であるということに、この一年間良い仕事が出来たなという充実感もありましたし、無事にやり遂げた達成感もありました。

出会いと別れを繰り返し人は強くなると言いますけど、そう言うのは簡単なことで実際はとても難しいです。昨年も今年も現場でそれを痛感しました。子供達には輝く未来が待っていて、彼等が開く扉の先には新しい世界が待っているので、この輝ける春の日は彼等のスタートなんですよね。でも、僕の心の中には来月この現場に来ても彼等に会うことは出来ないという思いがずっとあって、そりゃもうそれだけで御飯三杯は泣ける!という感じな訳ですよ。ええ、例えは確実に間違ってますが・・・。

とにかく今年のふじ組さんは本当に可愛かった。そして担任の先生も素晴らしかった。毎回彼等に会うのが本当に楽しみでした。いつもいつも笑顔で優しく僕と仲良くしてくれて本当に本当にありがとう。皆と一緒に行った場所や一緒に過ごした時間を僕は絶対に忘れません。本当に楽しかった。嫌だと思ったことなんて一度も無かった。毎回現場を後にするのが辛かった。それくらい僕のことを愛してくれたし、僕も皆を愛していました。だからやっぱり笑顔で送ってあげたかったんですよね。

感傷的なオッサンにとっては、本当に眩し過ぎるくらいの輝く春の日でした・・・。
みんな!小学校に行っても頑張って!ずっとずっと応援してます!愛してます!

勇気の球筋

お手伝いさせて頂いている桑田真澄さんのNPO・アミーチ・デル・クオーレの野球教室が仙台で開催されるので、スタッフとして帯同してきました。ここ最近は先方様との事前打ち合わせやチケットの手配等、撮影だけしていれば良かった以前と違って、やることが多いのですが、このアミーチの活動に関しては、全員が志でつながった仲間ですので、やりがいの方が大きいです。

今年初のロードになりましたが、よくよく考えると昨年も1月と2月はロードがなく、3月からのスタートとなったので、今年も同じような感じで始まったのかなぁという気がしないでもありません。今年はロードを控えたい!と思ってはいるものの、やはり呼んで頂けることは本当にありがたく、そういう思いを胸に早朝の新神戸のホームに入ってくる愛車N700系を見つめておりました。

独立してロードに出ることが多くなりましたが、一昨年の夏からこの早朝の新神戸駅のホームに色んな思いで立って来ました。季節の移り変わりを感じ、その都度僕の人生も大きく変わっていきました。故に早朝のこのホームに立つと色んなことを思います。季節ごとに匂いも変わるし、その空気に包まれると、やはり胸の奥に刺さったままのトゲがチクっと痛むこともあり、誰でも良いからこのトゲ抜いてくんねぇかなぁ・・・と思ったりしますね。自分で抜けない1本が残ってしまっているんですよね。他のトゲは全部自力で抜きましたけど・・・。

とまぁ、そんな感傷的な訳でもなく、久しぶりに車中で爆睡。10時に東京駅に到着、皆の弁当をマネージャー氏と共に購入し、桑田さんや他のスタッフと合流し東北新幹線に乗り換え。こっちには僕の愛車が無いのが寂しいところです。というか、東北新幹線はややこしい。名前と速さとか停車駅とかが分からないので、ちょっと勉強しないとダメですね。

車中、久しぶりに会長と弁当を食べるのを忘れて話をさせて頂きました。僕にとって良い時間でした。本当にありがとうございました。

仙台駅に到着し、すぐにKスタ宮城の室内練習場に移動、そしてすぐに野球教室が始まり、僕は本業の撮影に入り淡々とシャッターを切りつつ、今回は事前の打ち合わせを行っていたので、当日の仕切りに関する話なんかもちゃんとしつつの撮影でした。野球教室に関しては、アミーチのページをご覧ください。

3月11日に仙台で東北全県のボーイズリーグ加盟チームから選抜された子供達に対し野球教室を行う意義というものを、我々は改めて言葉にする事はありませんでした、一人一人の胸の中にはしっかりと刻まれており、中でも桑田さんはいつも通りの野球教室を一生懸命行い、その一挙手一投足で子供達にメッセージを送ってらっしゃったと思います。昨年の9月に福島に行った時も同様でした。言葉ではなく、自分に出来ること、その姿勢でしっかりとメッセージを刻む姿に胸が熱くなりました。

僕自身もそうでしたが、桑田さんのピッチングフォームに何度も何度も救ってもらいました。その力強く、それでいて綺麗に伸びる球筋に、何度も何度も勇気を頂きました。この日の子供達もきっと、その勇気の球筋に何かを感じていたのではないかと思います。素晴らしい瞬間に立ち会えて幸せだと思いました。ありがとうございました。

野球教室終了後、慌ただしく仙台駅に移動し、姉にお酒を買い、仲の良い人にお土産を送る手配をし、無事に新幹線に乗り込んだ後、少しだけ反省点や今後の手配の話をした後、皆でグッスリ眠ってしまいました。やっぱりいつも以上に力が入っていたのかもしれません。

途中で目が覚め、昨年の福島、間接的ではありますが昨年末の陸前高田、そしてこの日の仙台と、被災地で何かをする機会を与えてもらえたことに対し、色々考えていました。自分自身に何が出来るのか、自分自身が何をすべきなのか・・・。

今年もきっと間接的ではありますが、アミーチの活動を通じて自分自身が出来ることをしっかりやっていければ良いなと思いながらも、なんかとてももどかしく、そして自分の無力さを嘆く帰り道でした。

東京駅で解散した後、そのまま日帰りしようかと思ったんですけど、さすがに憔悴し切っていつもの定宿にチェックイン。窓から見える東京タワーの灯りは消えていて、絆・日本の文字。それを眺めながら、昼間の会長の球筋を思い出し、同じように子供達も家であの球筋を思い出したり家族の人に話したりしてくれていたら嬉しいなと思いながらビールを飲んでいました。

今年も勇気の球筋と共に良いロードが続き、その路上で何か出来れば、そう思っています。

今年もありがとう!天使達!

いつも書いている大好きな現場である保育園の撮影は、やはり一年という期間で一つの区切りが訪れる訳ですが、年長さんはこの3月で卒園していくので、この季節は別れに向かってのファイナルカウントダウン!

そんな中、3月1日にお別れ遠足に帯同撮影してきました。お別れ遠足は年長さん(ふじ組さん)だけのイベントで、いつも以上に密接に彼等とふれあう訳ですが、一昨年の夏に蜂の巣にされた僕の魂の束を無垢な心で救ってくれたのが、昨年のふじ組さん(通称・俺のふじ組)だとするならば、今年のふじ組さんは、二年目の付き合いで、春先からずっとフランクに仲良く付き合ってくれた、僕にとっては、本当に“仲良し”の関係で一年過ごせた天使達でした。

昨年は心のダムが決壊しまくって大変でしたけど、今年はフランクな関係である分、そりゃもう離れるのは辛いんですけど、笑顔で送ってあげれそうな気がしています。一人一人の顔が昨年とは違う視点で見れてる事に自分自身で驚いています。勿論、そうなれたのは、昨年の俺のふじ組さんとの別れを経験したからであることが全てな訳ですが。

今年のふじ組さんは、ずっと僕のことを「カメラマン」ではなく「梅田さん」と呼んでくれていて、いつも「一緒に給食食べて行って」だとか「ふじ組の教室に来て」だとか、本当に優しい言葉をたくさんかけてくれました。

昨年も思ったことなんですけど、きっと「梅田さん」のことはいつか忘れてしまうんだと思います。けれど、僕と彼等の間には、たくさんの写真が残っていて、その写真一枚一枚には、僕の彼等に対する気持ちが残せているので、僕はそれだけで満足です。本当はもっと写真を売る事を考えるべきなのかもしれないけど、この現場ではそういうことを思うことが出来ず、写真を残すことで子供達の人生に少しでも携われる事が、何よりの幸せだと感じています。

そして今日、ひな祭りの撮影に行って来ました。一年を通じて最後のイベントです。昨年のこの日、なんともいえない気持ちで撮影に臨んだのに対し、今年は割と冷静に撮影が出来たのではないかと思っています。

一番下の子供達から順番に集合写真を撮るんですけど、一年が始まる4月に比べ、みんなと僕との間に小さいかもしれないけど、信頼関係みたいなものが出来ていて、何も言わなくてもちゃんとカメラを向いてくれて、そしてとても自然な表情で写ってくれるんです。それは年が上がっていくごとにそう感じて、最後のふじ組さんを撮る時は、もう言葉なんていらなくて、本当に自然に良い顔を見せてくれるんですよね。その一枚を撮った時、僕の一年間が間違いではなかったことが証明されているようで、本当に嬉しく、そして誇らしい瞬間だったりします。

本音を言えば、「僕は君達の事を忘れないから君達も僕の事を忘れないで」と言いたいところですが、それは贅沢な話で、写真が残るだけで充分です。

写真が残るといえば、卒園アルバム用の集合写真を撮る際、一緒に入らせてもらいました。可愛い子供達の横に革ジャンのオッサンが写ってるのもどうかと思いますが、僕の一年間の集大成であり宝物です。毎年こうしてみんなと写真が撮れるよう、心でふれあえれば良いなと思っています。

来月、みんなは青い帽子がランドセルに変わります。新しい扉を開けて広い世界に出ていくみんなの未来が明るいものになることを祈っています。いつまでもその笑顔とその元気を忘れないでください。本当にありがとう。

僕の心の中に鬼はいません!

と言い切りたい気分ではありますが、人間生きてるとそう言い切れるものではなく、その為に節分の豆まきがあるのかと思ったりもします。

という訳で、今年の節分も大好きな現場である保育園の豆まきの撮影に行って来ました。保育園なので、毎年同じ行事がある訳で、同じ行事が巡ってくる度に色んな事を思い出したりする訳ですが、悲しい思い出が胸をよぎることは辛く、悲しい未来ばかり想像してしまっていた昨年の夏くらいまでと違い、最近は同じ行事が巡ってきても心穏やかに過ごすことが出来ています。今回も昨年の今頃を懐かしいと思えて、それはやっぱり今の自分の心が暖かい所にあるという事な訳で、そう思わせてくれる人に心から感謝せずにはいられません。ありがとう。

勿論!子供達や園長先生をはじめ園の先生方も僕の心を暖かくしてくださって、やっぱりこの現場が本当に大切で、僕を救ってくれているということを痛感しています。

今回も昨年同様、平和に園庭で遊んでいるところに鬼が登場!という設定な訳ですが、園庭で遊ぶ時に子供達と一緒に走り回って本当に楽しかったです。三種類くらいの鬼ごっこやかくれんぼを同時進行で5つくらい掛け持ちさせてもらい、かくれんぼの鬼役である事を忘れ、隠れていた子に「探しに来てよ!」と怒られたり、本当に楽しいひとときでした。仕事に行って、こんなに楽しく暖かい思いをさせて頂き、僕は本当に幸せです。

鬼が出てきた後は、もう泣きながら逃げたり、果敢に豆をまいたり、本当に必死な子供達をファインダー越しに見つめながら、本当に心が暖まりました。逃げ惑う最中、僕を見つけて必死に僕によじ登る子がいたり、僕を楯に隠れたり、こんな僕でも頼りにされている事に胸がイッパイになりました。ありがとう。

最後、鬼に自分達の悪いところを告白して懺悔するんです。例えば「嫌いな野菜を食べます」だとか「朝早く起きます」だとか「頑張って勉強します」だとか・・・。

そんな中、いつも迎えに来てくれるおばあちゃんに偉そうに言うことを懺悔して「もうおばあちゃんに偉そうなことを言いません!」と誓っている子がいて、なんとなく微笑ましく見てたんですけど、後日集金に伺った際、本当にその子が満面の笑みを浮かべて迎えに来てくれたおばあちゃんに走って行ったのを見て胸が熱くなりました。
ええ、夜一人で飲んでる時にその子の表情を思い出してゲロ泣きする厄年のオッサンです・・・。

子供達には子供達の世界や思いがあるんでしょうけど、それを見守る人達はちゃんといて、そういう絆というか、保護者と子供達だったり先生と子供達だったり、それこそ僕も見守る側にいれたら良いなぁと思っているし、保護者の方々や先生に比べたらそんなに会う事も無いけど、確実に僕と子供達の間にも小さい糸のようなものかもしれないけど、絆が存在しているようで、凄く心が暖まりました。本当にありがとう。

もうこの時期は本当に辛いんですよ。後もう少しで年長さんは卒園してしまうので・・・。

でも今年黄色い帽子だった子達が4月から赤い帽子になり、赤い帽子だった子達が青い帽子になり、青い帽子だった子達はランドセルを背負う訳で、昨年と違って今年は泣かずに笑顔で送ってあげたいと本当に思ってるんですけど・・・無理でしょうね。

毎日色んな絆の中で生きてるんですから、僕の心の中にも子供達の心の中にも鬼なんかいないと信じています。

真心を届けることが出来ました!

今年、僕が行った仕事の中で、割と長いスパンだったのが真心米プロジェクトでした。5月に田植えに行ってから8月に視察、9月は稲刈りと打ち合わせの2回、10月と11月に出荷作業と、計6回北九州の地を踏みました。その都度、優しくして下さった現地の皆さんのことを忘れることは出来ません。本当にありがとうございました。

11月半ばに最終出荷を終え、ホっと一息ついていたのですが、今回のプロジェクトの本来の目的である、収益で野球道具を購入し、お米と共に被災地に送る作業が残っており、会長と共にクリスマス時期に合わせて調整してたのですが、会長と旧知の間柄でいらっしゃる清水隆一コーチングカレッジ株式会社の清水代表のご協力のもと、清水先生が12月10日と11日に陸前高田市と久慈市で行う野球教室を通じてお届けさせて頂くことが出来ました。清水先生、本当にありがとうございました。

僕自身、真心米のお申し込みから出荷までの作業において、窓口を一人で担当していた経緯と、やはりご購入頂いた皆さんの真心とお金をお預かりした責任から、会長が多忙な場合は、僕自身が一人ででも届けなければいけないと思っていたのですが、丁度宮崎でのアミーチ主催の野球教室と日程が重なってしまい、11日の朝に宮崎を発ち、なんとか久慈市の野球教室にだけでも駆けつけたいと清水先生とお話させて頂いたのですが、被災地の交通事情等で現実的に不可能であることで断念、清水先生の「梅田さんの気持ちは理解出来る。ここは僕に託して欲しい。」という暖かいお言葉に甘えさせて頂くことにしました。

そして、清水先生を通じ、お届けさせて頂いた陸前高田市と久慈市の中学校の皆さんから素敵な写真が届きました。それはアミーチのページの方で掲載していますので、是非ご覧頂ければと思います(コチラ)。

子供達の手には、「真心米を買ってくれたみなさんありがとうございます」という言葉が・・・。写真を見た時、やはり胸に熱いものがこみあげてきましたし、皆さんからお預かりした真心を届けることが出来たことに対しての安堵感に包まれました。

僕自身、阪神大震災を経験し、全国の方々からの救援物資を頂いたり、たくさんの真心を頂きました。野球をしている少年達にとって、今回届けさせて頂いた野球道具の存在がどういうものなのか、多少なりとも理解出来るつもりです。

陸前高田市の方々から頂いたメッセージにも久慈市の方々から頂いたメッセージにも、「いただいた真心を自分達のパワーに変える!」という力強い言葉が書かれていました。本当に嬉しかったです。ありがとうございました。

僕自身、真心米のお申し込みに際し、やり取りさせて頂いたご購入者の方々からの言葉をたくさん拝見させて頂きました。備考欄や別途メールにて「桑田さんの活動に共感し、自分達に出来ることがしたい!子供達に野球道具を送ってあげてください!」という言葉をたくさん書いてくださっていました。また、「素敵なプロジェクトに自分も参加出来て嬉しい!」という声も多かったです。中には「パッケージの写真が素晴らしい!」という言葉も多く、これは個人的に凄く嬉しかったです。

そうした皆さんとのやり取りがあったからこそ、僕自身の中でこの真心を届けることの責任の重さを痛感しましたし、なんとか自分の手で!という思いにつながったのでした。

今回、陸前高田市にも久慈市も行くことが出来ず、自分の手で真心を届けることは出来ませんでしたが、清水先生を通じて皆さんの真心を届けることが出来たことで、ご購入頂いた皆さんへの責任は果たせたかなと思っています。

大変な日々でしたけど、本当に素敵なプロジェクトでした。僕自身の中にもこれからも続いていくキャリアという道の上で、今回のパッケージ写真は大きな存在になりました。一枚のパッケージ写真にこれだけたくさんの方々の思いが込められたのですから、これ以上の幸せはありません。ありがとうございました。

 

感謝の道

今年も麻生ジャイアンツさんの卒団式&クリスマス会に出席させて頂きました。今年で三年目ですが、今年卒団する6期生の皆さんは、僕が独立してすぐ、麻生ジャイアンツさんの仕事を会長よりご依頼頂き、一番最初に撮らせて頂いた子供達だったので、僕自身も色々思うところがありました。更に、昨年までは広報担当の方を中心に一部の方々とふれあうことが多かったのですが、今年は夏合宿で皆さんといつも以上に親しくさせて頂いた事もあり、いつも以上にハートに響くひとときでした。皆さん、本当にありがとうございました。

卒団式のハイライトである子供達がお母さん方に感謝の気持ちを述べるシーンでは、本当にいつも感動しっぱなしで、子供もいなけりゃソロ活動を開始したばかりのオッサンの心のダムの決壊を止めることなんて出来るはずもなく、もうボロボロでした。

そして、夏合宿で僕が撮った写真を使用していた頂いた7期生の広報担当のNさんは、さり気なく僕が写真を撮ってる写真をスライドショーの中に入れて下さり、自分自身もその一員になれたような気がして、とても嬉しかったです。ありがとうございました。

更に「ブログ読んでますよ〜」と声をかけてくださったり、「(右側にバナーで貼ってる父の)本を買いましたよ〜」と仰って頂いたり、本当にありがたい言葉をたくさんかけて頂きました。ありがとうございました。

2009年の5月に独立したのですが、独立を決意した3月に丁度会長が来られていて、その際に自分の決意を聞いて頂き、「独立したらとりあえず来て欲しい」と言われていたので、5月12日に代官山のイタリア料理のお店に挨拶に伺い、その際に人払いをされ、「何も心配しなくて良い。俺がついてるから」という暖かいお言葉を頂きました。その一言が何の準備もせず40前で独立した僕の心にどれだけ勇気をくれたことか・・・。

その言葉の後、会長が仰って下さったのが、「麻生ジャイアンツの仕事を手伝って欲しい」という言葉でした。それ以来、皆さんのお役に立てるよう、自分なりに一生懸命取り組んできたつもりです。

しかしながら、そうは言っても、実はいつも僕が皆さんに救って頂くことが多く、本当に反省することばかりです。

昨年の夏、皆さんにご迷惑をおかけする形でスタートを切ったNPOの仕事に関しても、いつも練習場で行う講習会に対し、優しい気持ちでお手伝い頂いたり、個人的に色々あり荒んでいた僕の心を優しく優しく救ってくださいました。

あの時期、皆さんの笑顔や何気ない一言、そして選手である子供達の野球に対する熱い思い、そういう部分に触れることが出来たのは、僕にとっては運命だったような気がしてなりません。それぐらい僕の人生の中で本当に大きな大きな出来事でした。

いつもいつも子供達を優しく見守るお父さんやお母さんの眼差し。何度も駅まで送って頂いた車中で、僕が「毎週大変ですね」と声をかけると、皆さんが異口同音に「子供達と一緒にいれるのは中学の三年間だけだからこの時間は本当に大切なんです!」と、子供達への思いを語ってらっしゃって、胸が熱くなったのを思い出します。

子供達もその思いに応えるべく、一生懸命野球に取り組み、親子の絆が深まっていくのを目の当たりにし、本当に本当に感動しました。

何度も通ったグランドで、いつだって明るく笑顔で接してくださった皆さんのこと、本当に忘れません。6期生の皆さんは、卒団してもまだまだこれから道は続いていく訳で、色んなことがあると思いますが、あのグランドでお父さんやお母さんに見守られて過ごした日々を思い出し、頑張って欲しいと心から思います。

そして今回も僕が勝手に「俺の寝床」と決めている部屋に泊めて下さった会長とご家族の皆さんに感謝しています。最初の頃から「泊まっていけ」と仰ってくださっていたのですが、ご迷惑をおかけしたくないので、いつも都内まで移動しておりました。昨年はハードな日々が続いていたので、毎回日帰りしていましたが、会長より「一人は寂しいやろ」と言って頂き、今年からその言葉に甘えさせて頂くことにしました。

毎回、夜にホームバーで飲みながら色んな話をさせて頂くのですが、今回も僕のことを気遣ってくださり、僕自身のことを色々聞いてくださいました。僕がソロ活動を開始してから呼んで頂くことが多くなったことについて、少しでも気分転換になればという意図があったこと、いつも“dpは一人で大丈夫なんやろか?”と気にかけてくださっていること、「dpが冷たい身体で発見されることを考えると胸が痛くなるので、頑張ってでも恋して良い人見つけろ!」と仰ってくださったこと、一つ一つが胸に響きました。ベロンベロンに酔ってましたが・・・。

翌日の帰りの車中、気になっていたので今年N700系に何回乗ったのか調べてみました(昨年も最後のロードで同じことをしました)。結果、48回も乗っていました。呼んで頂けることは本当に幸せで、その回数分皆さんのお役に立てるよう頑張ってきましたが、実際はどうだったのか・・・。また呼んでもらえているということは、少しでもお役に立てているのかなと思ったりもするんですが・・・。

これで今年のロードは終了です。来年も同じペースでロードがあるかどうかわかりませんし、自分自身で仕事のペース配分を考えた時、もう少し考えた方が良いのかなと思ったりしないでもありません。ただ、僕のようなしがない脱藩浪人でも人様のお役に立てるのであれば、呼ばれればどこへでも行く所存です。

感謝の道が途切れることなく続いていること、それ以上の財産はありません。本当にありがとうございます。

 

寒い宮崎初体験!でも心はホカホカです!

12月9日~11日まで宮崎へロードに出ました。先々月、会長より急遽宮崎に出動指令が出て(詳細コチラ)「今年のプロ野球42年会をアミーチで行うのでよろしく!」と言われ、わからないなりに一生懸命準備を進め、その当日を迎えた訳です。

僕が担当したのは、ウェアやビブス、インタビューボードの手配を中心に宮崎の実働舞台である吉野酒店の寺原ノブ氏と連携をとって宿の手配や野球教室で使用する物の手配、プレスリリースを出したり、果てはレンタカーの手配までを行いました。

とはいえ、本当にノブさんがいなければ成り立たなかったくらいです。お酒を買う際は、是非吉野酒店の通販をご利用ください。本当に素晴らしい男の中の男です。

今回はその寺原ノブさんのお父さん所有の別荘に泊めて頂きました。別荘に置いてある貴重なマッカランを飲んでも良いという許可を得るところまでいったのですが、最終的にビビって飲めませんでした。次回、必ずいただきます。よろしくお願い致します。

しかし今回初めて冬の宮崎を体験しましたが、本当に寒かったです。特に行った日は全国的に寒波到来!の日だったので、過去に10年近く通った宮崎でこんなに寒い思いをしたことがなく、本当にビックリしました。いやぁ、宮崎でも冬は寒いんですね(当たり前)。

実動部隊的には、42年会の方々の送迎(長年通ったので土地勘はあります!)に始まり、会場設営、撮影等、しっかりとこなしてきました。いや、僕本来の仕事ではないにも関わらず、ここまで気持ちを込めて取り組むことが出来たのは、やはり会長から信用して頂いている事と、42年会の皆さんの暖かい心に触れたからです。勿論、寺原さんはじめ現地の皆さんの思いも僕の心に熱く届きました。皆で一つのイベントを心を一つに成功させることが出来、本当に素晴らしい経験でした。いつもながら、そういうところに導いてくださる会長に感謝です。

自分で協賛会社の皆さんからデータをお預かりしたインタビューボードやビブスには特に思い入れが深く、思わず組み立てた後に記念写真まで撮ってしまいました。FBの方で披露させて頂きましたが、別バージョンの物を掲載しておきます。ちょっと感情的になってるJ2の監督というイメージです。ちなみにまたしても本物を一番下に掲載しておきます。一体何が違うのか・・・。所詮僕は偽物です(当たり前)。

最終日は朝に皆さんのゴルフコンペの記念写真を撮った後、通いなれた宮崎でいつも買う“しらゆき”というたくわんを買いにJAがやってるAコープまで。

しかしながら、この日は青島太平洋マラソンの日だった為、通常行って帰って1時間くらいの道程に4時間もかかってしまいました。更に交通規制でメインストリートが封鎖されている為、ナビも使えず、あっち行ってこっち行って、気がつくとなんとなく知った道に出ているという、そんな道中でした。更に土地勘に強くなってしまいましたが、その強みを生かす場がこの先あるのかどうか・・・。

のんびり温泉に浸かるヒマもなく、ミッチリした二泊三日でしたが、地元の方々とふれあった事もあり、またゆっくり行きたいなぁなんて思いながら宮崎を後にしたのでした。

宮崎といえば、ずっと皆で行動していた場所なので、前回と今回、一人で行動したり、いつもと違う人達と行動したり、いつもと全く違う行動をしたり、なんとも不思議な感覚がありましたが、どこへ行っても変わらないものがあって、それはやっぱり人の心だと思ってて、そうやって自分自身も心が変わることなく、まっすぐにそこにあることに多少なりとも誇りを持って生きていけれてるのかな、と。そう思いました。

大人の社会科見学

今月最後のロードに行って来ました。真心米の収支報告とお世話になっているすきや連の例会出席です。すきや連の例会は群馬開催ということで、丁度収支報告を行わなければならない為、22日に収支報告を行いそのまま東京に宿泊し、23日に東京から群馬に行って東京に戻って宿泊、24日に帰るという行程を組みました。

11月22日、もはや通い慣れた道を淡々と東へ。新神戸に車を停めてN700系に乗り込む訳ですが、改装工事中で不便な新大阪から乗り込むよりも、やっぱり呑気な新神戸が僕は好きです。人がたくさんいるところを殆ど見たことないですし。

いつものように新横浜で降りて大嫌いな横浜線に乗り換える訳ですが、季節はすっかり秋を通り越した感じですね。昨年の同じ時期を思い出し、なんとなく色々思うところもありましたが、そんな感傷に浸っているヒマ等ある訳もなく、町田で小田急に乗り換えて最寄り駅まで移動し、サクサクと収支報告を行い、請求書や領収書を提出してきました。長く続いた真心米の作業もこれで本当に一段落。後は被災地へのお米の発送と収益で購入した野球道具を送る作業のみ。でも、これが一番重要な作業なので、もう一踏ん張りですね。

昼下がりには作業も無事に終わりましたので、そのまま都内へ。いつもの定宿へ移動。温泉に入ってゆっくりした後、夜は打ち合わせを兼ねた会食。程々に飲んで有意義な時間を過ごすことが出来ました。

翌朝、ブラブラと浜松町まで歩いて山手線に乗って東京駅まで行き、そこで上越新幹線に乗り込んで高崎まで。Twitterで「東北新幹線に乗って」と呟いたら高崎で待ってる方に「どこに行くんだ?」とご心配をおかけしたようですが、僕の中で“緑の新幹線”は全て東北新幹線という認識でした。申し訳ございません。麻生ジャイアンツの宇都宮合宿の際に乗ったのと、9月の福島行きの際に乗ったのは東北新幹線で良いんですよね。緑の新幹線も奥が深い・・・。

いつもと違う新幹線に若干テンションが上がったので、上記の写真を撮っておきました。なんて、ただ喫煙場所がホームの端にあったので、戻る時に丁度良い感じで並んでたので撮っただけです。でも、やっぱり新幹線って良いですよね。E5系はやてのグランクラスに乗りたい今日この頃。そっち方面の仕事があれば是非よろしくお願い致します。

高崎駅の改札を出ると皆さんすでに揃ってらっしゃって、そのままバスに乗って大人の社会科見学へ出発。この歳になるとバスに乗るだけでテンションが上がります。同日、僕が大好きな現場である保育園の皆さんもバスで職員旅行に行かれていたようで、お誘い頂いたのですが、前からこちらに出席すると決めていたので、泣きながらお断りさせて頂きました。でも、バスの中で空を眺めながら、同じ時間帯にどこかの道をバスに揺られている皆さんのことをちゃんと思っておりましたのでご安心を。

バスで隣の席になった佐々木さん(こちらの方です)もとても優しく面白い方で、色んな話をさせて頂き、楽しい時間を過ごすことが出来ました。ありがとうございました。

大人の社会科見学は生産者さん達の熱い思いがビシビシと伝わってきて感動しました。僕自身、今年は米作りを体験し、生産者の方々と交流を深めさせて頂きましたので、凄く皆さんの熱い思いが伝わってきたような気がします。生産者の方々にとって、作っているものはまさに子供と同じですから、その眼差しは強く優しく暖かく、それを感じて胸に熱いものがこみ上げてきました。いや、本当に感動しました。

夜は美味しいすき焼きを頂き、楽しいひと時を過ごさせて頂きました。東京に戻る新幹線の時間の都合で、最後まで皆さんと時間を共に出来なかったのは残念です。また機会があれば是非よろしくお願い致します。

東京に戻る新幹線の中で、車掌から街の灯りを眺めながら色んなことを考えていました。いつも行く先々でたくさんの方々が優しく暖かくしてくださり、僕はとても幸せです。

宿に戻った後、湯船に浸かってからマッサージを受け、グッスリ寝ました。いつも頼んでいるマッサージの人にお願いしたのですが、「前々回より前回、前回より今回とどんどんヒドくなってる。」と言われたのですが、だから君を呼んでるんじゃないか!と胸の中で呟き、痛みに耐え、そのまま眠りにつきました。

翌朝はゆっくりしたかったのですが、戻ってしなければいけない仕事がある為、昼前に事務所に戻り、まかないを食べて午後から黙々と作業を行い11月最後のロードが無事に終わりました。

皆さん、ありがとうございました。

さらば北九州!

真心米の最終出荷の為に北九州に行って来ました。今年6回目の北九州ですが、これで最後となると、なんとなく切なさすら感じる、まさにセンチメンタルジャーニー。伊代ちゃんは16だったかもしれませんが、僕はもう41です・・・。

5月に初めて降り立った小倉駅ももうすっかり馴染みの駅になりましたし、そこで乗り換えるソニックの車内もすっかり馴染みました。

いつもながら生産者の方々は本当に優しく暖かく僕を迎えてくださり、一緒に作業を行ってくださいました。皆さんのご協力無くして真心米プロジェクトは成り立ちませんでした。本当に心から感謝致します。

今回は前回程の量が無かった為、色んな話をしながらのんびり作業を行いましたが、やっぱり作業中もなんとなく切ない感じでしたね。やってる時は夢中で色んな事を思いますが、一つのプロジェクトが終わる時って、やっぱり切ないですね。やり切った感が大きいですけど、その裏側には確実に別れがある訳で、皆さんとの日々を思い出しながら時間が過ぎて行ったような気がします。

今回も皆さんと共に良い時間を過ごさせて頂き、ゆっくりしたい気持ちがあったんですけど、翌日に大好きな保育園の現場があったので、時間ギリギリまで過ごし、小倉に移動してそこで宿泊、翌朝帰る事にした訳ですが・・・。

さすがに疲労がピークだったのと真心米を全部出荷出来た安堵感からか、6時47分のN700系に乗らなきゃいけないのに起きたのが6時22分。一瞬諦めが頭をよぎったんですけど、もの凄い勢いでシャワーを浴びて用意してチェックアウト。ホームへの階段を駆け上がったところにN700系が滑り込んでくるというギリギリのタイミング。なんとか間に合いました。

走り出す車窓から小倉駅のホームをぼんやりと眺めていたんですが、本当に全てが終わったことの寂しさと、でもやっぱりやり切った充実感に包まれつつ、しかし本当は無事に乗れた安堵感が一番大きいという締まらない終わり方でした。すみません。

去年は10回同じ所に通う仕事があり、その現場でたくさん自分を救ってもらいましたが、今回も全6回、毎回皆さんに優しくして頂き、今年も本当にたくさん救ってもらいました。本当にありがとうございました。来年はどうなるか分かりませんが、こんなに美味しいお米を食べた事はないので、また食べる機会に恵まれることを切に願っております。