蝶々物語

スタジオのレジの近くに蝶々の写真を飾っています。早速お客様から「この蝶々の写真は何?」と聞かれました。話せば長くなるんですと言いながら説明させて頂いたので、こちらにも記しておきます。

スタジオの入り口脇にはレモンの木の鉢植えがあります。毎年何個かのレモンを収穫しているのですが、夏前になるとそのレモンの葉にたくさんの青虫が発生します。葉っぱを食べ散らかすのでお引き取り頂くのですが、今年の夏はどうやら一匹そのまま育ってしまったようでした。

なぜ育った事が分かったかというと、夏の終わり頃にレモンに水をやっていると一匹のアゲハ蝶がやってきまして、僕の周りをクルクル飛び回り、葉っぱにチョンととまったのです。

直感的に「帰省だな」と思いました。

恐らくここで生まれ育ったアゲハ蝶が懐かしさで戻ってきたんだ!そう思ったのです。

僕は今でもそう信じておりますが、実際のところは定かではありません。

そして、そのアゲハ蝶は、またもやそこに子供を産んでいったのです!

季節外れの青虫発生。どうしようか思案したのですが、やはりせっかく帰省して産卵していった命、これもまた我々の家族と思い、あたたかく見守ることにしました。それが9月の中頃のこと。

毎日のように観察していると、ビックリするくらい葉っぱを食べる訳です。一つの枝全部の葉っぱを食べ尽くし、そして次の枝に移っていく、もう葉っぱ無くなるんじゃないの?というくらい食べ散らかした後、小さく丸まり、そしてサナギになりました。それが10月初旬のこと。

サナギの状態が意外に長く、このまま越冬するのでは?とドキドキしながら、台風の時は店の中に入れて過保護にしつつ、毎日ずっと見守ってきました。

そして今朝、ついに羽化したのです。

その瞬間に偶然立ち会えたので、思わず撮ってしまった写真。それが冒頭の「この蝶々の写真は何?」という問いへの答えなのです。

嘘のような本当の話ですが、飛び去る際、一度僕の方に戻ってきて、足元に降り立ち、二回頭を下げてから、つなたい、でも力強い羽ばたきで空へ向かって飛んでいきました。
皆さんが餃子やカレーを買いにお越し頂いている最中、実はこんな物語があったのです。ご来店頂く際には、そんなことを少し思い出しながらレモンの鉢植えに目を向けて頂ければ幸いです。

となりの人間国宝さんを頂きました!

いえ、僕ではなく父と母が・・・。
という訳で本日は父と母の出演を見守ってくださり、ありがとうございました。
梅ちゃん食堂を立ち上げた時から、僕と照本社長の望みは、「料理長と多美子さんの人となりを知った上で食べて欲しい」ということでしたので、今回の番組は、本当に我々の望みどおりのテイストで、放送終了後にお越しくださるお客様が口々に「素敵なご夫婦」と仰ってくださって、父が作り母が支えた味だからこそお買い求めくださったことが、本当にただただ嬉しい、僕にとっても幸せな時間でした。

この番組効果の為に三日くらいで売り切れることを見越して仕入れた分も今日一日で売り切れてしまいました。またネットでのご注文も短時間で信じられない程頂きました。
放送終了後から電話も鳴り止まず、受けれなかった着信履歴が100件を越えておりました。
その最中、少し落ちついた頃に受けれたお電話が当日の家族写真のご予約のお電話で、餃子を売りながらしっかり写真も撮らせて頂き、我が家のイタリア人が一生懸命接客してくれて、何年か経って振り返った時、僕にとっても忘れられない一日になりました。

本当に多くの方に足を運んで頂きました。暑い中、本当にありがとうございました。

たくさん「見たよ」という連絡を頂きましたが、上記のような理由で返信も出来ずで申し訳ありませんでした。

本当に父と母の人柄を見事に出してくれた番組だったと思います。僕自身も見ていて感動しました。
円広志さん、スタッフの方々、スタジオで美味しいと言ってくださった方々、みなさんに感謝しています。

そして、父と母のファンでいてくれる皆さんに心から感謝しています。
ありがとうございます。

明日また入荷しますので、引き続きよろしくお願い致します。

とりあえず、我が家でも今宵は梅ちゃん餃子を食べました。ムチャクチャ美味かったです!

君たちは素晴らしい!感謝!

今年に入ってから某中学の野球部のドキュメントを撮る仕事をご依頼頂き、春前の練習から春の大会、そして夏の大会まで追って来て、夏の大会が終わった後、少し間が開きましたが、本日最終撮影となるインタビューを撮りに行って来ました。久しぶりに会う彼等に少し胸にグっと来るものを感じながら、モニター越しに彼等の話を聞いて、その都度涙を流すアラフィフです。監督である先生のインタビューはほぼ号泣に近い形で泣いてしまいました。先生も話しながら泣いてましたし、なんか心の奥がツーンとなる、なんともいえない時間でした。

何度も通ったこのグランドに来るのも後一回、卒部式の撮影で、それも来年の2月頃とのこと。とりあえず一区切りついた秋の日でした。

野球が素晴らしいとかスポーツが素晴らしいとか、そんなこと以上に子供たちの眼差しと心が本当に素晴らしい。眩しいくらいの彼等に出会えたことが本当に幸せなことです。

ありがとう。
オッサンは君たちにたくさん救ってもらいました。
本当にありがとう。

麺よりスープ!

食べたラーメンをインスタに上げてるんですけど、まとめてみたらこの一年で相当食ってる事が判明!反省の意味を込め、戒めでこちらにもアップ!2015年の10日に1杯ペースで年間36杯食べた人類みな麺類の時よりヒドいペースですね。ホンマにヤバいと思ってます。本当にラーメンがさほど好きな訳でもないんですけどね・・・見て頂いたらわかると思うんですけど、ある意味「コレクター気質」で食ってるようなもんですね。こうして写真を並べたくて食ってる!と。そんな感じです。

とはいえ、僕は本当にスープが好きで、究極のスープを求め彷徨っている、まさに「人は誰でも幸せ探す旅人のようなもの 希望の星に巡り会うまで歩き続けるだろう」という状態だと思っております。基本的に「ラーメンを食べに出かける」ということはありません。
唯一、「颯人」さんだけは、そこのラーメンが食べたくて、それだけの為に出かけることはあります。基本は現場の行き帰りにその現場の近くに有名店やめぼしい店があれば行くというスタンスです。では、めぼしい店の条件とはなにか?僕の場合、「淡麗鶏清湯」というスープを検索ワードにして店を探します。例えば、現場が堺市だとします。その場合は「堺市 ラーメン 淡麗鶏清湯」というワードで検索し、出てきた店の中から「これかなぁ」というものを選んで突撃するのみです。ちなみに淡麗鶏清湯でも出汁が「煮干し系」の店は除外します。あくまでも鶏メインの淡麗鶏清湯で醤油です。

そんな僕のベスト3
らーめん颯人(大阪・南森町) 裏しょうゆ
鶏喰 〜TRICK〜(横浜・吉野町) 特選鶏のしょうゆ
中華そば おしたに(奈良・尼ケ辻)特選しょうゆそば

上記三店のスープは極上かつ最強です。是非一度お試し頂きたいと思います。

家族はあたたかい

今日は介護施設(サービス付き高齢者向け住宅)の撮影に行って来ました。スタッフの方々が働くところを撮らせて頂きながら、そこで暮らすお爺ちゃんやお婆ちゃんと交流してきました。
色々話を聞かせて頂くと、殆どの方がお子さんが近くのマンションに住んでいて、そこで一緒に暮らせないからここに入居したというお話でした。
それを寂しいことだとかどうだとか言うのは簡単ですけど、現実はそう簡単なことではないんだろうなと思いつつ、仲良くなったお爺ちゃんの部屋まで見せて頂いて、そこの暮らしを受け入れ、前向きにとらえて暮らそうとしているところに、本当に申し訳ないのですが、なぜか切なくなってしまって、いや、なんか、上手く言えないんですけど・・・上手く言えません。

我が家は二世帯で同居していますが、父も母も相棒の明るさに救われていると言ってくれて、そりゃもうイタリア人だから明るいのは明るいんですけど、それだけじゃない何かがあって、多分全員が大人として各々に気を使えていることが平和な毎日を生んでいるんだろうなと思っています。嫌々気を使ってる訳じゃないし、優しい暮らしだと思っています。
この先のことなんて誰にもわからないけど、出来ればこういう優しい日々が一日でも長く続けば良いなと思います。
そんなことを思った飲んだ帰り道、家に辿り着くと心が暖かくなりました。

僕が唯一親戚付き合いをしている大親友のヤスヤさんのご家族にも平和な時が戻ったようで、それが一番嬉しいことだったりします。

家族はやっぱりあたたかい。

2011/09/14/福島・魂の35球

今から7年前の2011年9月14日、僕は福島にいました。その年に起こった東日本大震災復興関連の試合が福島県営球場で行なわれ、試合に出場する桑田さんが当時理事長をつとめていたNPOのスタッフ兼カメラマンとして帯同させて頂いたのでした。
東京駅で一緒に出場する立浪さんや仁志さんはじめ皆さんと合流し福島入りした後、3つのグループに分かれて市内の中学校で野球教室を行なったのですが、桑田さんが後輩を制して自ら一番危険な地域に赴くことを決められたので、当然僕もそこに同行したのでした。
その地域を走っていても歩いている人が誰一人いなくて、アテンドしてくださっている方の「屋外にいることが出来る時間が一日2時間と決まっている。今日、桑田さんが来てくださるから子供達はその時間をその為にあけて待っているんです」という言葉にうなずく桑田さんの厳しい横顔を今でも思い出します。
放射能の影響の為、土を20センチ削ったというグランドは、とても野球が出来る状態ではなかったけれど、桑田さんはいつもと変わらず、特別なことを一切せずに、本当にいつもと何一つ変わらないメニューをいつも通り真剣にこなしていました。野球教室の最後では、必ず自らのピッチングを披露するのですが、グランドコンディションはとてもピッチングが出来る状態ではなかった為、僕が「怪我したらいけないから今日は・・・」と申し出たんですけど、「あの子達の目を見てみろや。投げない訳にはいかんやろ」と、何度も足を滑らせながら、でもしっかりと何かを伝えるようにアウトローに見事なボールを投げ続けていました。いつもは球数を数えることはないんですけど、なぜかその日は数えていて、今でも僕のiPhoneには「2011/09/14/福島・魂の35球」と残っています。桑田さんに帯同して全国の色んなところに行き色んな所で写真を撮りましたけど、この日の福島が一番記憶に残っていて、僕が撮った桑田さんの写真の中でも、好き嫌いは別としてこの写真に一番思い入れがあります。ちなみに一番好きな写真は真心米一年目のパッケージ写真です。

一昨日に真心米の作業を終えた後、桑田さんと色々話していた際、真心米一年目の話になり、「一年目の2011年は9月14日に福島で野球教室を行なって、その夜に東京に戻って桑田さんの家に泊めてもらって、翌朝羽田から北九州に飛んで稲刈りしてますねぇ~」とiPhoneのスケジュールアプリを見ながら報告すると、「あの時の子供達はもう成人してるんだね」と桑田さんが遠くを見ながらボソっと呟いて、なんかほぼ二人同時に「被災地に勇気を!なんて言いながら我々が勇気をもらったような気がする」というような話をしていて、あの時撮った写真に一番思い入れがあるんですみたいな話をしてたら「それ送ってヨ!」と言われ、送ったついでに備忘録的に書き記してみました。

個人的に2010~2013年は色々あって色んなことを覚えてないんですけど、振り返って自分が残してきた写真を見るとたくさんたくさん貴重な経験をさせて頂いていたことが鮮明に甦るので、そうやって何かを残す仕事をしてて本当に良かったと思います。

自分だけではなく、皆さんの思い出も残せることが幸せなことだと感謝しています。

真心米2018収穫

今年も無事に真心米を収穫することが出来ました。これから精米、パッケージングを経て10月下旬から11月初旬にロールアウトです。その頃にまたこの地に戻ります。
今年で8年目。生産者の橋本さんは、もう僕の親戚の叔父さんのような存在で、この地を訪れるのは、親戚のおじさん家に来てるような感覚で、恐らくこの真心米のプロジェクトが終わっても、僕はきっと一年に一回、橋本さんに会いに来るんだろうなと思います。

40歳を過ぎてそういう人に出会えたことが本当に幸せなことだと思っています。いつも僕の人生の中でそういうご縁を繋いでくださる桑田さんには感謝しかありません。
桑田さんはいつも優しくて、今回は梅ちゃん餃子のことで「とにかくお父さんの味が遺っていくことが本当に素晴らしい」と仰ってくださいました。味に対しても「現役時代に食べたのと同じ味!」と太鼓判を押してくださり、気に入って常備して頂いて、マット君と一緒に食べてくださっているようです。
梅ちゃん餃子を愛してくださる前に父のことを好きでいてくださって、父をリスペクトしてくださっている事が本当に嬉しいです。父がどんな思いで料理を作ってきたか、その部分をしっかり受け止めてくださって、その上にタレも餃子も成り立っていることを理解してくださって、我々は本当に幸せです。

なんか、一人で揺られるソニックの車内はいつも吐きそうなほど切なくて、とにかく早くカミさんに会いたいです。

懐かしい顔と嬉しい再会

ハナ勘さんからの助っ人要請で伊勢幼稚園の運動会の撮影に行ったら白石君がいました。彼は僕が小学校6年生の時に1年生、掃除を教えに行ってたクラスの子で、掃除を教えた10年後に僕の職場のアルバイト募集にやってきて、僕が面接して「あの時のクラスの子か!」と運命の再会をして、その時に実は僕の母と彼のお父さんが同級生だということを知って、阪神大震災まで一緒に働いて、その20年後に家族写真を撮りに来てくれて、そして今日、親子競技に参加する彼を撮ってることがとても感慨深かったです。
立派なお父さんになった白石君に幸あれ!

人様の人生に少なからず携わることが出来る、そんな幸せな仕事を僕はしています。

感謝

料理長健在!

竹園のコロッケとミンチカツは、創始者の奥さん(祖母です)が、お客様への還元の意味で作ったものだと聞いています。そして、その味を作ったのが、若かりし日の父であることは、僕の秘かな自慢だったりします。
ちなみに僕も20歳頃にコロッケとミンチカツの製造に携わっていました。出来ればこの部門をもらって外部展開出来たらなぁなんて思っていたのですが、竹園が銀座に出店することになり、手薄になった料飲部に引っ張られる形でその夢はついえました。
そんな訳で僕にとっても多少なりとも縁のある食べ物だったりする訳です。2006年の新体制発足時に別館でミンコロ定食を作ったのも僕だったりしますので思い入れも強いです。
なのでやっぱり今のコロッケとミンチカツは僕にとっては少し別物に感じられてしまいます。祖母の思い、父の味、そのどちらも薄れてしまっていると思えるからです。でもそれは別に悪いことではなく、今の竹園がそういう方向性なんだから、それは僕がどうこう言う話ではないだけのことです。ただ食べることが少なくなったというだけです。

そんな今日、父からミンチカツを頂きました。あの当時の思いそのままに、奉仕品としての、でもそこに最上を込めた父の味が再現されていました。大変申し訳ないですが、但馬牛を使った現行品よりも美味しいものでした。コストコで買った多国籍軍のミンチを使ったようですが、素材を超える手間暇こそ職人の証なのかもしれません。そして何よりも、そこに込められているのは、食べた人にただただ「美味しい」と言ってもらいたい!という祖母や父の思いなのかもしれません。僕はそういう思いが料理を美味しくすると思っています。実際にそうだとも思います。

2000円近く取れる肉汁ジュワーなミンチカツも美味しいんですけど、その少ない肉汁を極限まで閉じ込めて、口の中でのみ広がるように仕上げられた匠の技がただただ凄く、色んな意味で深いミンチカツでした。

料理長健在なり!
ありがとうございます。ご馳走様でした。

親友を撮る秋の日

親友の武田君から息子トラちゃんが地車を曳くから撮って欲しいとご依頼頂きました。友人の家族の記録や節目の写真を撮らせてもらえるのは写真家冥利に尽きるというか、今の僕の一番の幸せです。本当にありがとう。
トラちゃんを撮りつつも、色んな事があったであろう彼の今の幸せそうな顔を見て、ついつい彼の写真もたくさん撮っていました。毎度毎度思うことなのですが、出来ることならこういう時に亡くなった彼のお母さんを一緒に撮らせて頂きたかった。彼が僕の両親に思いを持ってくれているように、僕ももう二人とも亡くなられたけれど彼の両親に思いを持っています。そういう関係だと思ってますので。

毎回、僕は彼の家族写真や息子さんとの写真を撮る際、数枚ですが必ずスペースを作って撮っています。僕の中ではそこに彼のお母さんに一緒に入ってもらって撮っています。僕はそういう写真を撮っていて、それが僕の仕事だと思っています。

皆さんも後悔する前に大切な人との写真は撮っておいた方が良いと思います。僕はこの仕事をしていて「撮っておけば良かった」と言われるのが一番辛いです。僕の所じゃなくても良いです(出来れば僕に撮られて頂きたいですが)。何かキッカケを作って写真を残して欲しいです。よろしくお願い致します。