Switch狂想曲

叔母夫婦の引越は昨日無事に終わりましたが、なぜか僕が本日ダイニングに設置予定の電子レンジや炊飯器用のラックをニトリまで買いに行き、更に組み立てまで行なうという・・・母と「きっと世話好きだから楽しんでやってると思われてるんやろな」とドトールでコーヒーを飲む午後。母は世話好きなのかもしれないけど俺は特に世話好きな訳では無いですし、楽しんでやってる訳ではないです。でも、いつでもどこでも「俺がやらねば誰がやる!」と思っている自分がいたりもします。

今朝から相棒が買ってくれたSwitchでドラクエをプレイしています。画面がキレイで動作も滑らか!すこぶる快適です!昔のMacのノートのDuoドックを彷彿させるシステムもイカします。これ、WiFiがある場所でオフ会すれば皆でプレイ出来るんですね。そんな素敵な時代が来るなんて・・・。とにもかくにも相棒に感謝です!本当にありがとう。

僕がそろそろSwitchを買おうと重い腰を上げたのが丁度一週間前。そこからソフマップの抽選に行って屈辱的な外れ方をし、更にはネットで申し込んだビックカメラの抽選にも外れ、このままではイカン!とネットを駆使して情報を漁り、ある程度の確信を持って、週末の梅田ヨドバシに開店前に行けばなんとかなる!という結論を導き出したのでした。どうですか!僕の読みどおり!ムフフ。
ヨドバシは抽選はないんですけど、ゲリラ的に販売することで有名です。館内を徘徊しながらそのゲリラ販売を待つ人たちが「ヨドバシゾンビ」と呼ばれていることもネットで知りました。ゾンビにならなくて良かったです。
ちなみに勝因としましては、ポッ拳というポケモンのソフトが金曜日に発売されて、それに合わせてこの週末は相当数が流れると睨んだことでした。
色々ありましたが買うと決めて一週間以内に手に入れれたので良かったです。僕の前に並んでいた子供達もみんな嬉しそうでした!やったー!
開店と同時に入って45分並びましたが、人類で並び慣れているので無問題。「並ぶ意味合いが違う!」と相棒は怒ってましたけど、「並ぶ」ということに対しての免疫力は確実に人類で培いました。ありがとう!人類!

ドラ10の移行も済んだのでいよいよゼルダやります。来月にはマリオも出ますし超絶楽しみです。この2タイトルに関しては今までのシリーズ全てをプレイしてきました。先日も書きましたが、僕は任天堂のハード専門なのでドラクエはプレステだった7と8はプレイしていません(独立した直後だったので9もやってません)。実はゼルダとマリオの方が断然思い入れは深いのです。なので僕はどうしてもSwitchを入手しなければならなかったのです!

並びながらそう熱弁をふるっていると「バカじゃないの?」と言われましたが、その言葉には確実に愛情がこもっていた!・・・はずです。

2017年元旦より新しい場所で始動します

本日工事の契約が済みましたので、ようやく皆さんにお知らせ出来るようになりました。永瀬建設さんにお世話になり、年内一杯で実家を改装することになりました。1階の道路に面した場所がスタジオになります。移転の理由やきっかけは色々あるんですけど、僕以外の個人的なこともありますので、全てをここに記すことは出来ないのですが、7月に一つのきっかけがありまして、その際に僕個人の思いとして「10年後くらいに実家に戻って改装して“梅田写真館”として死ぬまでそこで写真を撮りたいと思っている」ということを家族の前で話したところ、「じゃぁ今戻ってくれば良いじゃないか」ということになり、気がつくとトントン拍子に話が進んでおりました。今回移転するにあたって屋号を梅田写真館にするかどうかはまだ決めかねてます。まだそこには少し早いのかなと思ったり・・・もう良いのかなと思ったり・・・少し悩んで決めたいと思います。大事なところなので。

2009年に前の職場でやっていたことをそのまま持ち出す形で独立して実家の2階で5年、そして将来を見据えて写真館という形態を自分のものにする為にここへ来て2年半。ここへ来なければわからなかったことはたくさんありますし、ここで街の人の笑顔を撮り続けることで、自分自身が本当に撮り続けたいものは何かというものを改めて心に刻めたと思います。ただまぁ、この場所で一生写真を撮り続けるイメージは最初から無かったので、少し早いですけど、次に進んでも良いのかなという思いが強いです。それくらいここでの日々と仕事が僕に与えてくれたものは大きかったです。それをもって次の場所では恐らく人生の最後まで自分の写真を撮り続けていくことになると思います。移転日等、また正式なご案内をさせて頂きたいと思っております。今後とも変わらずよろしくお願い致します。

そして最後の最後に大事なお知らせです。
実家に戻りますが「まかないはありません」

カープ優勝に思う

広島東洋カープ優勝おめでとうございます!
デイリーの一面がカープで、いつもの虎の尻尾が鯉になってて、デイリーも空気読むことあるんや!と新鮮な驚きをおぼえた朝です。
という訳で、昨夜からLINEやメッセンジャー、メール等で僕の所にも「優勝おめでとう!」というメッセージがたくさん届いて困惑しております。
皆さん!申し訳ありません!僕はもうここ数年プロ野球を見ておりません。高橋君が監督になったことは知っていますが、背番号24のままだということを先程知りました。それくらい無縁です。阿部も引退していると思ってました。球界全体知らない人ばかりです。「ミコライオ」という響きと、去年のヤクルトのストッパーがグランジのギタリストみたいな奴で、あれ?ストッパーはイム・チャンヨンじゃねぇの?と思ったことが、ここ最近のプロ野球に対する一番の印象です。その程度で申し訳ない!
ただ、カープへの思いはそれなりに強いです。以前の職場で働いていた際、スタッフの層が薄く、よくミーティング等で「我々はカープと同じ!レギュラーが怪我をしたらそこで終る!控えはいない!各々が全試合戦う気持ちで頑張ってほしい!」とゲキを飛ばし続けておりました。そんな怪我人が出たら終るという刹那的な野球をしていたカープが好きで、そこに自分が置かれた環境を重ねておりました。結果、育てた有能なスタッフが「もっと高い給料でもっと質の高い仕事がしたい」と大きなホテルへと移籍していくという、まさに江藤、金本、新井と4番がFA移籍していくのと同じように主力が流出、そこで更に強いシンパシーを覚える、と・・・。
そんな訳で、どこのファンですか?と聞かれたら、色々面倒くさいので、「南海、阪急、近鉄、それと京阪」とネタで答える以外は、少し真面目に「広島の刹那的な野球が好き」と答えてきたことと、ミズノの工場で頂いたこの名刺入れの効果で、僕がカープファンであるというように周知されていったようです。ただまぁ、先にも書きましたが、野球自体見ておりませんので、カープ云々という話でもなく、せっかくメッセージを送ってくださった皆さんに対して「申し訳ない!」という返信に追われる一日でした。ホンマにすみません!


この名刺入れを頂いた2012年の夏の時点で、工場でもカープの名刺入れと楽天の名刺入れは不人気故に相当数が余っており、まだカープ女子も盛り上がっていませんでしたが、桑田さんに苦笑いされながらもカープの名刺入れを手にして「近い将来カープの新時代が来ますよ」と言った自分を褒めてやりたいです。

この名刺入れは高級グローブの革で作られているので本当に手触りも良く、製品として素晴らしいので手放せません。使っていると、80%くらいの確率で「カープファンなんですね!」という一言と「巨人ファンだと思ってました」という一言が返ってきます。ハッキリ言っておきますが、僕は子供の頃から巨人ファンだったことは一度もありません。好きとか嫌いとかいう以前に仕事でしたし、「負けると皆の機嫌が悪いので勝って欲しい(ウチにいる時だけでも良い)」とか、「勝っても負けてもさっさと試合を終らせて帰ってきて食事して寝て欲しい」とか、そういう気持ちが強かったです。純粋に野球を見ることなんて無かったですねぇ。それが染み付いて今もその時の感覚が残っているんだと思います。野球場の思い出といえば、1990年・ストーンズの東京ドーム、1997年・イエモンの西宮球場ですよ。それと甲子園のロッカー with 照本さん。桑田さんの仕事で何度もドームのグランドに立ちましたが、その都度「これがキッスとかエアロがやった東京ドームか!」と呟き、野球するより弾かせてほしい!そう思ったものです。すみません。
ただ、2015年のキャンプを撮りに伺った際、菅野投手、大谷選手の撮影でイマイチ評価が芳しくなった僕が、最後の黒田投手の撮影で評価を頂けたのは、黒田さんの人間性のおかげだと今でも感謝しております。あの時の写真は自分の教訓であり宝物。これからも大事にしたいと思います。そういう意味では、黒田さんが胴上げされたと聞いてとても嬉しいです。
最後に一つだけ真面目な話、今年のカープはなんといっても河田コーチだと思いますよ。コーチングスタッフの見直しが大きかったのではないでしょうか。明らかに走攻守が締まりましたから。
そんな今日は朝イチで板宿で撮影。帰ってから母がくれたハモを鍋で頂きました。ビール飲む気マンマンで帰ってきたんですけど、帰り道に昼からのご予約の電話を頂いたので我慢。9月に入り間違い電話が全くかかってこなくなった木村屋さんに思いを馳せながら頂きました。来年も間違い電話、覚悟してます。

独立から8年目に突入

今日で5月も終わりですか・・・。あまり色々考えるヒマもなく突っ走ってるんですけど、5月は僕が独立した月だったりします。2009年の5月からstudio dpはスタートしましたので丸7年になりますね。そして8年目に突入しております。そんなことを考える余裕も無い今月でした。フと2009年に独立することを決めた自分がどんな顔をしているのか気になってライブラリを漁ったところ、辞表を出した直後の前の事務所でのショットが出てきました。髪以外あんまり変わりませんね。呑気な顔をしていますが、カメラマン目線で見ると、やっぱり少し不安な硬い表情をしています。色んなことを考えていたんでしょうね。
未来というものは希望と不安が基準ではあるのですが、39歳での独立だったので、あまり希望は持てなかったんじゃないでしょうか。だからといって不安に押しつぶされる訳にもいかない年齢で、なんともいえない思いを抱えていたんじゃないかと思います。
と、完全に人ごとのように語ってますけど、正直あんまり覚えていないんですよね。いや、覚えていないというよりも忘れた、というか無理矢理忘れさせたのかもしれないし、なんかよくわからないです。

ただただ、このままこの写真に写っている場所で、この格好で、そのまま生きていく自分が全く想像出来なかった。不安よりも何よりも、ここで生きて行く自分が本当に想像出来なかった。僕の独立はそういう気持ちから始まったんだなぁ、と。それだけは思い出せる感じですね。

この時の自分に言ってやりたいことがあるとするならば、「ビックリするような事が起こるし、決してお前が思い描いた未来ではないけど、それは思ったよりも悪くない未来だから心配しなくて良い」ということですね。ただ、思ったよりも悪く無い未来にしたのは自分自身であり、それを支え守ってくれる人たちがちゃんといたからこその話であることを、今日の夢の中でこの呑気な顔の男に伝えることにします。

皆さんのおかげでなんとか8年目の道を走り出しております。感謝の気持ちを胸に明日からも頑張ります。今後ともstudio dpをよろしくお願い致します。

僕の好きなおじさんの遺影

今日亡くなった叔父さんの写真について。叔父さんとしてよりも、本当は同じ職場の偉いさんという立ち位置でしたけど、あんまりそういう感じがしない人でした。きっと周りは迷惑したでしょうし、嫌な思いもたくさんしたと思うんですけど、本人は最高にハッピーな人生だったのではないでしょうか。そして、そういう好き勝手生きた人生のわりに、人から嫌われることのない人だったと思います。それがあなたの人徳だったのかもしれません。
僕は、竹園という所には三つのターニングポイントがあると思っていて、一つは初代の奥さんが早くに亡くなってしまったこと。二つは長男さんではなくて次男さんが継ぐべきだったということ。三つは阪神大震災。この三つのターニングポイントで別の方向に行っていれば、恐らく全く別の未来があったんだろうなと思います。きっと、初代の奥さんが生きていれば、二代目には次男さんを任命していたと思います。そう考えると、三兄弟の一角が崩れた今、本当に時代の終焉を感じずにはいられません。
僕が竹園に在籍している間、ほぼ毎晩レストランきくで顔を合わせていたし、晩年はそれこそフランクに色んな話をしました。誰よりもレストランきくを愛し、この世の中で一番たくさんきく弁当を食べたのは、きっと自分の母親の名前のついたレストランでありメニューだったからなのではないかと思います。そんなあなたが愛したレストランきくもきく弁当も、もうこの世にはありません。だからやはり時代の終焉を感じずにはいられないです。

今回、ご子息から遺影を提供してほしいと依頼されました。毎晩レストランきくで会っていたので、僕はたくさん写真を撮っていたのです。複数枚候補写真を選んだのですが、その中で僕が一番好きな写真を満場一致でご家族の皆さんが選んでくれたことを、僕は写真を撮ることを生業にする者として、とても誇らしく思っています。そしてお姉さん、弟さん、妹さんも彼らしい表情の素晴らしい写真と言ってくださったようです。近しい人が思わず声をかけたくなる写真、その写真からその人の声が聞こえてきそうな写真、その写真の中にその人が生きている写真、僕はそういう写真が撮りたくて毎日シャッターを押しています。叔父と甥というよりも、友達のように色んな話をしてくれて、たくさんの思い出をくれた人の人生の終わりに、自分が撮りたい!と思っていた写真を側に置いてもらえることは、自分の進んでいる道が間違いではないということを示してもらったような気がして、とてもとても嬉しいです。

一枚でも多くそういう写真を残せるよう、もう一つの僕の目でたくさんの真実を見て、そして写していきたいと思っています。心残りはスタジオで写真が撮れなかった事ですが、いつか空で会ったら、もっともっと深い写真を撮らせて頂きます。その時まで待っててください。
生前最後にお会いした時、「俺が言うのもなんやけど家族は大事にせなあかんで」という一言、忘れません。ホンマにあなたが言うのはどうか?という一言でしたけど、色んなことがあったあなただからこそ言える一言なのかもしれないですね。

たくさんの思い出をありがとうございました。

R.I.P. 専務

パッケージ写真への思い

今年の真心米のパッケージが完成しました。これを生産者の橋本さんに送ってパッケージングして頂き、発送先が決まったら母が送り状を書いてくれて、それを持って北九州に行って発送出来るのが今月末か来月頭といった感じでしょうか。このルーティンを行うようになって今年で五年目です。初年度は一人でネット販売を請け負ったので大変でしたけど、二年目以降は一般販売を行なっていないので、気持ち的には楽です。今年は麻生ジャイアンツが夏合宿でお世話になった栃木県が水害で大変だったので、そちらにも送らせて頂く予定で、僕が今、受け入れ先と交渉している最中です。

色々思うところもあるんですけど、生産者の橋本さんが「ワシは梅田さんが担当してくれてるからやっとるんや!」と仰ってくださって涙の抱擁を交わしたこと、そして毎年このラベルを楽しみにしてくださってる方がいらっしゃること、その中でも毎年額に入れて飾ってくださっている方がいらっしゃること、勿論それは桑田さんだからこそ!な訳ですが、写真を撮る者として、それ以上名誉なことはない訳で、やっぱりそういう人達の為にも自分が動けてこのプロジェクトが続く以上、継続することが僕の使命なのかなと思っています。当然「桑田さんの真心米」なんですけど、やっぱり北九州の地に誘ってくれた松田先生、生産者の橋本さん、そして梅田の真心米でもあるんじゃないかと思っています。

送り状の発送先を「アミーチ・デル・クオーレ」にする為、僕の住所と電話番号を書くので、発送後に「桑田さんによろしくお伝えください」という電話がかかってくるんですけど、昨年三宮の地下街を歩いている時にそういう電話がかかってきて、歩きながら御礼を言って切ろうとした時、「毎年ラベルの写真を本当に楽しみにしている。カメラマンの方にもくれぐれもよろしくお伝えください」と言われ、もう立ち止まって深々と礼をして周りの人にギョっとされて・・・その後、ちょっと泣いたのも見られたと思うんですけど、僕にとってはそういう一言がやっぱりキラキラ光るダイアモンドのような勲章な訳で、やっぱり本当に嬉しかったんです。ありがとうございました。

今年も一番最初にカミさんに見せたんですけど、とても優しい表情で「いいね」と言ってくれました。今年はいつも以上にお米を手にした人が優しい表情になるような写真を!と思って撮ったので、今日の君の「いいね」は最高でした。

ありがとう。

感謝の夜

午前中に保育園に写真を届けた後、午後から六甲味噌様の撮影。毎年夏と冬のカタログの撮影をご依頼頂いており、冬カタログの撮影を行なうと秋の到来を感じます。いつもありがとうございます。

撮影後、大家さんの奥様から食事に誘って頂きイソイソと出かけてきました。それも相棒も一緒に。「必ずお二人で」と仰ってくださったのでした。こんな僕の何を気に入って下さったのかわかりませんが、とにかくありがたく、そしてとてもあたたかいお気持ちにただただ感謝しかありません。

思えば、studio dpなんかよりも良い条件がたくさんある中、僕が奥様にお話しさせて頂いて、僕の気持ちを感じて頂いて、それで「どうしても梅田さんに」と仰って頂いて今日もこの家に帰れることを思うと、本当に本当に感謝の気持ちしかありません。どこの馬の骨かわからないような男を信じてくださった奥様の選択が正しかったと思って頂けるよう、一生懸命良い写真を撮り続けたいと思います。本当に優しい方です。

ありがとうございました。ごちそうさまでした。

テレカスがやってきた

リペアに出していたギターが戻ってきました。カスタムショップのテレキャスターカスタム(以下テレカス)です。お金が潤沢にある訳ではないので当然新規で買った訳ではなく、手持ちのギターをトレードに出して入手しました。元々カスタムショップのテレカスはずっと欲しかったのですが、ローズ指板の物がなかなかなくて、メイプルがどうしてもダメなこともありスルーしていたのですが、ロード先でフラっと立ち寄った中古楽器店で見つけて、どうしても欲しくてトレード交渉したら無事に成立した次第。
コンター加工とかちょっと邪道な気がしないでもないんですけど、それはそれで弾きやすいからエエかなという気がしています。
黒に黒のピックガードはどうしてもキースになってしまうので、それはやっぱり嫌ですから、敬愛するミックグリーンのように塗装をはいでもらってナチュラルに!とも思ったんですけど、スタジオのインテリアの一環も担ってもらいたい!ということもあり、キレイなホワイトパールで仕上げてもらいました。アベもこの仕様の物を持っていたようですが、とにかくキレイに仕上がったので良いかなと思っています。こだわりどころは色々あるんですけど、それを語っても仕方が無いのでやめます。

いつもリペアは豊中にあるTone Garageさんにお願いしているのですが、こちらの宮川 卓也さんに調整してもらうと、本当にビックリするくらい弾きやすくなるのでお薦めです。オリジナルのギターもヤバいくらいの鳴りで、僕もいつかオリジナルの一本を!と思っております。

僕はストラトを買いに行ってテレキャスを買って帰る男です。そして、テレキャスよりもテレカスの方が好きなので、純粋なFenderファンからはヤな顔されるタイプだと思ってます。

嬉しい言葉

先日、仕事で行っている保育園の保護者の方から「最後の販売分を買うのを忘れて卒園してしまった。もう購入出来ないか?」という連絡を頂きましたので「構いませんよ」という返事をした後、名前を聞いたら二年前にお姉ちゃん、そして今春にお弟君が卒園した方でしたので、「Mちゃん(姉)とH君(弟)によろしくお伝えください」と言って電話を切ったのでした。

で、昨夜。一日外現場だった為、夜寝る前にiPhoneでメールチェックしたところ、その保護者の方から販売希望分が書かれたメールが届いていて、その最後は以下のように綴られていました。


うちの子どもに「保育園のカメラマンさん、2人の名前しっかり覚えててくれてたよ!」と報告したところ、すかさず「梅田さんやろ!?いい人やったー!」と声を揃えて言ってました。
長い期間、常にそばで見れない成長を追い続け、写真という形で残してくださったことに感謝しております。ありがとうございました。


夜寝る前、布団に入ってからチェックしたので、真っ暗だったこともあり、久しぶりに本当に久しぶりに声を上げて泣いてしまいました。本当にありがたい言葉です。
保護者の方と接する機会はそんなに多くないですし、申込用紙とお金をお預かりして写真を納品するという関係ではあるのですが、こういう風に見てくださっていて、こういう言葉をかけて頂けるなんて、僕は本当に幸せなカメラマンだと思います。
独立して5年が経過しようとする今、「皆さんの素晴らしい人生に携わる一枚を撮ることが自分自身の幸せ」という思いを胸に新しい場所に移って来た中で、本当に本当に背骨に響く優しい言葉を頂きました。ありがとうございました。

そして今日、三組のご家族の写真を撮らせて頂きました。今日撮ったご家族の10年後、20年後、30年後を撮らせて頂けるよう、そしてもっともっとたくさんの人の人生を一枚の写真に刻めるよう、梅田、頑張ります!

ご縁を頂いたパン屋さん

一昨日と昨日の二日間でやらなきゃいけないことを済ませ、今日一日フリーにし、ちょっとしたかったことを実行。
午前中に大阪で用事があった相棒を迎えに行って、そのまま先日撮らせて頂いたパン屋さんを回ってきました。残念ながらお休みのお店もありましたが、買ったパンを食べながら次のお店を回るのはとても楽しかったです。

各々のお店を回らせて頂いて感じたことは、その街の空気というか、人々の暮らしでしょうか。最近はコンビニとかスーパーでパンを買う人が多いと思いますが、街のパン屋さんだからこそ、その街の人々の暮らしに溶け込んだパンが焼かれてると思うし、上手くいえないけど、自分の生活に密着した味があると思うんですよね。学校帰りに食べたパンや毎朝食べたパン、きっと生活の一部になったパンが街のパン屋さんにはあると思うんですよね。そういうパンが身近にあるって素敵なことだし財産だと思います。

今回知り合う事が出来た皆さんは、毎日真摯にパンと向き合ってる方々ばかりです。お近くにお住まいの方は是非足を運んでください。本当に美味しいです!

やさしい風
兵庫県尼崎市潮江2-1-1
フリアンド
兵庫県西宮市若松町3-1
ケルン
兵庫県神戸市東灘区御影中町1-6-8
ビアンヴニュ
兵庫県神戸市東灘区御影1-16-15 エクセレンス御影 1F
原田のパン
兵庫県神戸市長田区六番町7丁目2
レコルト
神戸市兵庫区塚本通5-3-15ウェストコート2番館1F
サ・マーシュ
兵庫県神戸市中央区山本通3-1-3
イスズベーカリー
兵庫県神戸市中央区布引町2丁目1−2
※今日僕が回らせて頂いた順です