梅ちゃん餃子と天使達

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僕の大好きな現場である保育園の園長先生より父に料理教室の依頼がありました。子供達に野菜が形を変えて料理になるまでの過程を見せてあげたい!というのが園長先生の食育の狙いだったようで、打ち合せに来られて餃子を作る事になりました。
父の餃子といえば、ミスターも愛した「梅ちゃん餃子」な訳ですが、子供には少しストロングな味なので、子供達の為にリテイクを行い、何度も試食を繰り返して当日に臨んだようです。

久々に見る父のコックコート姿。ずっと一緒に働いてきて、いつもその厳しい姿勢を見せてくれていた姿だったので、僕も身が引き締まる思いでしたが、子供達から歓声を浴びている父は、やはりとても眩しかったです。長く自分の皮膚として色んな経験を積んできたそのユニフォームには、その人にしか持てない年輪のような深みがあって、やっぱり銀河系で一番カッコイイですね。
そして父の隣で父の作業を子供達に説明したのが母、料理作りのアシスタントを担当したのが姉、共に素晴らしいフォーメーションで、他人事のように「素晴らしい家族だな」とその様子を写真も撮らずにただただ感動しながら眺めていました。油断すると涙が溢れてきそうなので、自分の中でピーンと糸を張ったような状態でした。それくらい素晴らしかったです。
昔から僕だけが足を引っ張っていて、僕という存在がなければもっと素晴らしい家族なんだろうなぁなんて思いながら、それでもこの家族の一員として生きていられることに幸せを感じながら、皆さんからお誉めの言葉を頂戴する度、「いや、俺が一番この家族のファンなんですよね・・・」と心の中で呟いておりました。

父が餃子をササっと包む手つきを見て、子供達は「魔法みたい!」と歓声をあげ、焼き上がった餃子を「美味しい美味しい」ともの凄い笑顔で食べてくれました。仲良しのりゅうたろうくんから「梅田さんのお父さん、ホンマに料理が上手やなぁ」と言われ、とても誇らしかったです。
子供達の笑顔が、幸せな家族の一員として生きていられることを改めて僕に教えてくれたような気がしました。いつもいつも彼等に救ってもらってますね。やっぱりいつでも彼等は僕の天使達です。

父も母も長く商売として行なってきたことが、こうして子供達のために役立ってとても嬉しそうでしたし、子供達の無垢な心に触れて元気をもらったようです。
改めてこの素晴らしい機会を与えてくださった園長先生、協力してくださった先生方に感謝します。ありがとうございました。皆さんの事が本当に大好きです。

僕は子供達に写真という形ある物を残すことが出来るのですが、父のように味で記憶に残るというのは本当に凄いことだと思いました。きっと天使達の心の記憶の中に、梅ちゃん餃子の味がしっかりと刻み込まれたと思います。

四十を過ぎても両親の背中から教わることは多いですね。
僕に人生を与えてくれたことに感謝しています。

この切なさ、止まりません!

2012122501いつもお世話になっている大好きな現場である保育園の忘年会に呼んで頂きました。組織に属さずやっているので、こういう忘年会に呼ばれると嬉しいですね。属してた頃にはその有り難さが分からず、面倒くさいという感覚しかありませんでしたが、とても素晴らしい人達に囲まれ、その中で仲良しで大好きな先生と同じ席でただただ幸せを感じておりました。ありがとうございました。
その先生は僕にとって特別な先生で、一番最初の年長さん(何度も書きます!俺のふじ組!)を受け持ってらっしゃって、右も左もわからならい僕に子供との接し方を身を持って教えてくださった先生です。本当は一番子供を甘やかしたいくらい心の優しい人なのですが、常に自分を律して子供達と接する姿に色々教わることも多かったです。
何度か書いてきましたが、僕は本当に子供と接する事が苦手で、一番最初に現場に行った時、この先大丈夫かな?と不安になったのも事実です。でもそんな時に僕の道標になってくれたのが、その先生でした。一年間、ずっと先生の背中を追って子供達と接する事が出来たので、僕も本当に子供達と仲良くなれたような気がします。僕にとって本当に恩人です。きっと子供達にとって太陽のような存在だったと思いますが、僕にとっても太陽のような存在でした。優しい顔も厳しい顔も泣いた顔も笑った顔もその全てが輝いている素敵な人です。たくさんたくさんお世話になりました。本当にありがとうございました。先生は子供達と接しているのが一番似合っています。どんな時も子供達の側にいて見守ってあげてください。

2012122502そして25日は園のクリスマス会の撮影に行って来ました。撮影後は子供達と共に一緒に御飯を食べさせて頂くのですが、クリスマスパーティ(最近はクリパと言うらしいじゃないの!)なるものとは無縁のオッサンにとっては、肉眼で太陽を見るのと同じくらい眩しい訳で、更に一年目に隣に座った年長さんの女の子から好きだと告白されたので、もう僕にとっては特別な訳ですよ。クリスマスに告白ですよ。あり得ないでしょ・・・。
とはいえ、そんなに毎年告白される訳ではないので、今年は仲良しのりゅうたろう君と一緒に食べました。一番最初に彼と会った時はまだ黄色い帽子だったのですが、その後に赤い帽子になり、今では年長さんの青い帽子をかぶっています。黄色い帽子の頃から僕のことを名前で呼んでくれて、ずっと仲良くしてくれた子です。
今回も「もうすぐ小学生やなぁ〜」と言うと、「そしたら梅田さんに会えなくなる!寂しい!小学校まで会いに来て!」と、彼が進学する小学校の名前を教えてくれました。だからと言って会いに行ける訳ではないのですが、その言葉がただただ嬉しくて、そしてそう言ってる間中、僕の手をずっと握りしめてくれて、その時の事を思い出すだけで、ペットボトル5本分くらい泣ける今日この頃です。

大体ね、この季節になるとダメなんですよ。10月の遠足が終わり11月の音楽会が終わった頃から、もの凄い勢いで密接になっていくんですよね。仲良しの関係から更に一歩踏み込んだ関係というか、なんかもう凄く密接なんですよ、気持ち的に・・・。で、この季節になると年長さんの一つ下の子達もなんとなく一気に近づいてくるんですよね。そういう世代交代的な波も感じながら、やっぱり年長さんとの別れをすぐそこに感じるこの季節がね、もう本当にダメなんですよ。切な過ぎるじゃないですか。年が明けたら一気ですよ。3月になったらお別れ遠足があるんですけど、そんなんもうすぐそこの話じゃないですか。もうたまらん訳ですよ。どうしたら良いんですか・・・。

まぁ、どうしたら良いんですかって、僕に出来ることはただただ彼等の幸せを祈ることと、彼等を写すことだけなんですけどね・・・。
でも、いつも思ってますけど、僕と彼等との間には本当にたくさんの写真が残っていて、少なからず彼等の人生に携わることが出来たのは、僕にとって幸せ以外のなにものでもなく、いつかきっと僕のことを忘れ去っても、僕が撮った写真を大人になった彼等が見てくれたら、僕はそれだけで充分なんですよね。

でも、切ないねぇ・・・。

冬のロードも無事終了!

2012120812月7日〜9日まで、香川県に行って来ました。昨年に引き続き、プロ野球42年会「絆の会」の少年野球教室の事務局を担当させて頂くことになりました。あ!勿論、撮影も!
昨年は現地でコーディネートしてくれる寺原氏がいたのですが、今年はそういう方もいらっしゃらないので、宿の手配やバスの手配等、全て僕が行ないました。「JTBみたいやなぁ〜」と言われましたが、そんな良いものではなく、とにかく必死でしたので、無事に終わってホっとしております。
先月末には現地のスポンサーの方々への挨拶と下見、諸々の手配の為に高松入りし、準備は万端だったのですが、慣れない仕事だったので、皆さんに色々ご迷惑をおかけする結果となりました。すみません。
それでも会の皆さんから暖かい言葉をかけて頂き、頑張って良かった!と心から思えたので良かったです。また一つ心の財産が増えました。ありがとうございました。

集まった子供達も熱心でした。丸亀城内にあるグランドは、下見に行った時に大丈夫かな?と思わないでも無かったのですが、子供達や絆の会を招致してくれた皆さんの熱意によって、どこにも負けないグランドになっていました。フィールド・オブ・ドリームスですね(特に意味はありません)。

さて、香川県といえば「うどん県」ですから、下見の時も本番の時もたっぷりうどんを堪能してきました。勿論、僕はカマタマーレ!な男なので、かまたま(トッピングにゲソ)一本勝負です!
現地の人から「うどんは喉越し!飲んでください」と言われましたが、そんなの無理に決まってます。関西のうどんを楽しむように美味しく頂きました。

無事に行程が終了した後、「また来年もよろしく」と仰って頂き、しっかりと取り組まなければ!と気持ちを新たに帰路につきました。

そしてこの冬はもう一本、仕事をさせて頂いている麻生ジャイアンツさんの卒団式に出席させて頂きました。絆の会の翌週に卒団式というのは、昨年と全く同じで、12月の風物詩になりそうな感じではあるのですが、麻生ジャイアンツさんの方は、後一学年で解散、その歴史に幕を閉じますので、この冬のロード二本立ても来年限りとなりそうです。寂しいですね。

今年度に卒団される七期生の皆さんとは、2010年の3月に僕にとっても思い出の地である恵泉グランドで初めて会って、その時に写真を撮って丸三年、しっかり見届けることが出来ました。あの頃はまだ本当にあどけない子供の顔でしたが、皆さんに感謝の言葉を述べるその顔は、もう立派な青年の顔でした。これから続く彼等の未来が素晴らしいものであること、そしてその青春がいつまでも続くことを祈っております。

七期生といえば、昨年の夏合宿を通じて父母会の皆さんとも仲良くして頂いていて、卒団して終わる関係では無いと思っていますし、歳も近いので僕がもう勝手に友人のような気持ちでおりますので、末永く仲良くして頂ければと思っております。

今年はロードに出ることを控えていたのですが、それでも何度も呼んで頂き、愛車N700系の車中で幸せな気持ちを噛み締めておりました。慌ただしさの中で駆抜けた昨年とはちょっと違った感覚で今年のロードを無事に終えることが出来てホっとしております。

僕の道がまた来年もどこかに続いていくことを願っています。

今年も僕の真心を送ることが出来ました!

昨年の今頃、僕が一番集中していた作業が“真心米プロジェクト”でした。詳しくは昨年のブログで一連の流れを綴ってきたので、そちらを読んで頂ければと思いますが、本当に大変な作業でした。ただお米を売るだけではなく、皆さんからお金だけではなく真心をお預かりして、被災地の少年少女達に野球道具を届けるまでの責任というのは、とてもとても重いものでした。素晴らしい経験をさせて頂いたと同時に、これをまたやれ!と言われるのはキツいと思ったのも事実です。

そして今年。昨年のプロジェクトが終わった後から「専従の人間がいる訳ではなく、来年も僕一人が担当するという形であれば継続はそう簡単なことではない」と伝えてきたし、田植えの時点で大きなプロジェクトの話は無かったので安心していたのですが・・・。

僕達の気持ちよりも生産者さん達の気持ちは熱かったんです。今年も自分達が作ったお米を被災地に送りたい、野球少年少女達の為に役立てて欲しい、そういうお申し出があり、先月稲刈りに行き、パッケージングの準備を進め、本日無事に出荷することが出来ました。昨年もそうでしたが、生産者の橋本さんの男意気が無ければ成り立たなかったと思います。本当にありがとうございました。

もう僕にとって北九州は特別な場所になってしまいましたね。今の仕事をするようになって“第二の故郷”的な場所がたくさん出来ました。中にはもう行く事が出来ない場所もありますが、それでも特別な場所がたくさんあるというのは幸せなことです。

先日の松山で感じた秋は“赤”でしたが、ここで感じる秋は“黄金色”、たくさんの秋の色を感じることが出来て、その瞬間に吹いた風が運んでくれる匂いを身体に染み込ませ、訪れる度に懐かしさと共に自分がここにいたことを思い出させてくれる、そういう場所があるって本当に素晴らしいです。

毎回毎回書いてることが“自分は幸せだ!”という事ばかりなのですが、実際本当に幸せなので仕方が無いです。ごめんなさい。

今年の出荷作業は昨年と同じ形式で自分が行かずにお願いしようかとも思ったのですが、橋本さんのお気持ちを考えると、「お任せするのでよろしくお願い致します」ではなく、一緒に気持ちを通じ合わせながら!という流れが必然でした。勿論、あの場所に帰りたい!という僕の思いもあった訳ですが・・・。

桑田さんの真心を被災地に送るお米だけに、母が「宛名も手書きでなければいけない!」と、送り状に皆でせっせとペンを走らせるのも二年目になりました。継続されることは素晴らしいことで、来年もどんな形でも続けることが出来れば、帰りの車中でそんなことを考えていました。

桑田さんの真心と共に、今年も僕自身の真心を送ることが出来て、やっぱり幸せな気持ちを噛み締めておりました。

今年もそういう季節なんですね・・・

いや、要するに秋ということではあるのですが、毎年カレンダーをご依頼してくださる株式会社サンプラス様より「今年もカレンダーを作って欲しい!」とご依頼頂き、松山まで撮影に行って参りました!
今村チーフが別のプロジェクトにかかりっきりだったので、一人で車に機材を積んでブラブラと走ってきました。完全に慣れましたね。飛行機でも良いんですけど、今回は動画もあって機材が多かったこともあり、一人でも良いから車で行ってしまおう!と思った次第です。片道4時間前後。なかなか良い旅ですよ・・・。

開業した年からカレンダーのご依頼を頂いているのですが、昨年は社員の皆さんが働く姿を撮らせてもらって、モノクロで仕上げ、かなりご好評を頂き、「今年も社員の写真で!」と言って頂いたので、頭の中にあった“皆さんの笑顔”という構想そのままで撮らせて頂きました。

僕が写真を本気で撮り始めた時、前の職場での必要上、料理写真を中心に色々なことを身につけましたが、本当に一番好きな被写体は人なんです。恐らく、子供の頃からたくさんの人に囲まれて育ったせいか、人の表情を追うのがクセになり、それを見ているのが楽しいと思うようになったんだと思います。故に仲間と写真のグループ活動を行なっている際、週に一回作品を提出していたのですが、人物以外の写真を提出したことがないくらい、僕は本当に人を撮るのが好きなんです。勿論、仕事となったら何でも撮りますけど・・・。

中でも僕は人の笑顔がこの世の中で一番美しいと思っていて、仕事でその笑顔が溢れたカレンダーを作ることが出来るなんて、これ以上の幸せはありません。いつも行ってる保育園の仕事でも、子供達の笑顔を撮ることが何よりの幸せだったりしますし、僕は本当にクライアントさんに恵まれています。照本さん兄弟、園長先生に心から感謝です。

楽しい撮影を終え、一人でみかん大福を食べながら車を走らせ、帰りは香川のSAでうどんを食べよう!と思っていたのにナビが徳島道を誘導するのでそっちに。そこでコーヒー飲んでブラブラ歩いていると、上記の風景に出会いました。仕事で色んなところに行って色んな季節を感じることが出来るなんて、本当に素晴らしい。四国の山は“日本昔ばなし”に出てきそうな楽しい山ばかり。でも夜になると恐い話に出てきそうな山に変わっていく訳で、本当に色んなことを思うのですが、夕暮れ時は秋が一番美しく、でも切なく、なんともいえない感じですね。

色んなことを考えながら少し長く休憩してしまいました。

西へ東へ

井上陽水さんの歌じゃありませんが、僕も♪ガンバレみんなガンバレ黒いカラスは東へ西へ〜♪とばかりに西へ東へ行って来ました。ロード量を減らす!と宣言して始まった今年ですが、こうしてロードに出ると色々思い出す事も多く、一昨年、昨年と自分が歩いてきた道を再確認出来るので、とてもありがたいです。何よりも呼んで頂けることは本当に幸せなことですから。

という訳で、今年も真心米が無事に収穫されました。当初は今年は無いという方向で話が進んでいたのですが、地元の生産者の方々や関係者の方々の熱い思いに呼ばれるように現地入りした次第です。ただ、震災があった昨年は特別で、今年は生産者の方々のご好意でご提供頂く分を被災地に会長自らが持って行くという形になると思います。昨年は一人で販売を担当して本当に大変で、やり切った後の皆さんの声を聞いて心の底から頑張って良かった!と思いましたが、正直これが毎年続くのはキツいなぁと思っていたのも事実で、そういう意味でこういう規模で継続していくことが一番理想的なので、僕個人としてはホっとしている次第です。
昨年、何度も通って形を作りましたし、今年は量も少ないですし、何よりも販売という、皆様のお金をお預かりするという責任が無い分、気持ちの上でも余裕があります。本職では無い分、昨年は本当に色々勉強する事も多く、終わった後にかなりグッタリしましたので。そういう意味で、北九州は僕にとって忘れられない地になった訳ですが・・・。
そんな思いを胸に、約一年ぶりに小倉駅からソニックに乗って田んぼに向かい、皆さんと再会した時は胸が熱くなりました。そこには何も変わらない風景があり、何も変わらない皆さんの笑顔がありましたから。そうやって迎えてくれる場所があり人がいるということは、何にも代えられない財産です。今の仕事をしなければ絶対に行く事が無かった場所で出来たご縁、これからも大事にしてきたいと思いました。
夜に打ち合わせと懇親会があり、今年の流れを決めた後、ゆっくり寝かせて頂き、翌日小倉駅から一旦帰宅しました。昨年までの僕なら移動日としてそのまま東京に向かっていたと思いますが、地元で仕事があったのと、一度のロードが長くなるのがしんどいと感じるくらい、今年は地元に根を張れているので、一旦戻る選択をしました。
一昨年、昨年とロードに出ることが多く、そういう非日常が日常になっていた事もあって、今年はロード自体がやはり非日常と感じるようになり、あれだけ乗り馴れた愛車N700系の車内で身体が重く感じることが多くなったのも大きいです。

一旦戻った翌日は東京へ向かったのですが、毎年この時期に麻生ジャイアンツさんの広報の引継があり、昨年からそれに参加するようになりました。一昨年はアミーチの仕事で二週間に一回のペースでグランドに行っていたので、そこで引継が出来たのですが、昨年はそういう機会もなく、メール等でも行えるのですが、会長より「ちゃんと会って話して欲しい」と言われていたので、ちゃんと伺って引継作業を行うようになりました。
実際、広報担当のお父さんとは、一年間に渡ってメールのやり取りを行うので、ちゃんと会って話すことから始まることの大事さというのは本当に大きくて、そこで会わずにメールだけでやり取りするのは、お互いにとっても良く無いですから。
そういう訳で、歴代広報担当のお父さんとは卒団してからも仲良くして頂ける程、色々なやり取りをするものなんですよね。
実際、引継という名の飲み会ではあるのですが、そこで色々打ち解けてからの一年と、そういう事が無くての一年では本当に違いますから・・・。
それも今年で最後かと思うと、本当に寂しい限りなのですが、そんなこと言っても始まりませんし、最後まで皆さんと心を共にして僕に出来ることをやっていきたいと思いました。

翌日はいつもお世話になっているすきや連のスピンオフ企画で茅ヶ崎にある茅ヶ崎館という所で小津安二郎監督が考案し愛したカレーすき焼きなる物を食べてきました。普通のすき焼きにカレー粉と山椒を混ぜたスパイスを好みで量を調節しながら投入する訳ですが、なかなか美味しかったです。玉子の方にも投入し、最後にそれを御飯にかけて食べるとモアベターという逸品。ご家庭でも楽しめるので、是非お試しください。
でも、茅ヶ崎館さんは建物も風情がありますし、そこで食べるのが一番だと思いますので、是非一度足をお運び頂けたらと思います。
茅ヶ崎って面白いですね、通りの名前が「雄三」だったり「サザン」だったり。湘南といえば爆走族という言葉が真っ先に浮かぶ不届きものな僕ですが、帰りの愛車の車中でiPodに放り込んである加山雄三さんの「湘南ひきしお」という曲を聴きながら、今まで違う感覚でその曲が響きグっと来ました。季節も丁度今だったし・・・。海まで行けなかったのは残念ですが、僕なりに湘南を満喫して新横浜から愛車に乗って帰宅。

今回は上記以外に東京写真美術館とパルコで開催されていた大好きな鋤田正義さんの写真展をハシゴしてきました。鋤田さんの写真は、子供の頃からレコード屋に入り浸って色んな音楽を聴きレコードジャケットを眺めていた僕にとって、完全に擦り込まれた世界。きっと僕も根っこの方にそれは確実にありますね。思えばレコードジャケットが僕にとって一番最初に触れたアートで、そこから僕のそういう部分が形成されていったような気がしています。そういう意味で、鋤田さんの写真を見ると自分の原点に戻れるんですよね。仕事に追われる日々の中で、そういう時間があまり無かった事もあり、今回は無理して時間を作って回れたのは良かったです。

今回のロードは、お米の収穫に始まり、色んな収穫がありました。たくさんの色んな実りを続いていく自分の道の上でどう形にしていくか、そんなことを考えた秋の日でした。

今年も僕の夏が終わりました

8月12日~16日まで桑田真澄さんが会長をつとめる少年野球チームの麻生ジャイアンツの夏合宿に今年も帯同しました。

2009年に宇都宮で行なわれていた夏合宿の撮影に伺って以来、2010年の宇都宮、2011年の関西に続き4度目の夏合宿です。特に昨年からは、それまでの二年と違い、合宿のツアコンも含め、フル参戦させて頂きましたので思い入れも深いです。

思えば最初の夏合宿で撮らせてもらったプロフィール写真の子供達はもうすでに卒団していますし、今年の夏合宿がチームにとって最後の夏合宿になるので、僕自身も色々思うところも多く、かなりセンチメンタルな日々でした。

宇都宮に行ってた頃は、1日だけ撮影してサっと帰ってくる感じだったのですが、昨年は初めてとなる関西夏合宿ということで、事前の打ち合せで何度もグランドに通い、一つの形を作り上げたということで、合宿担当の父母の方とは、以降も仲良くして頂いていて、なんというか絆みたいなものが出来たような気がして、昨年の夏合宿終了時は、本当に大切なかけがえの無い思い出が出来た満足感がありました。

今年に関しては、昨年一つの形を完成させれていたので本当に楽でしたし、父母の方とも二年目ということもあり、とてもフランクな関係が構築出来ていて、僕個人はとてもリラックスして臨めました。本当にありがとうございました。

ただ、合宿中も心の中には「これが最後なんだなぁ」という思いがずっとあって、終わって欲しくない思いと、体力的にキツいので早く終わって欲しい(すみません)という思いが交錯して、なんとも不思議な感情のまま日々が過ぎていった感じです。

でも、終わってしまえば、やっぱりただただ寂しく、昨年もそうだったのですが、なんというか祭りの後の感覚に似た、なんともいえない空気に包まれ、パっと日常に戻れない自分がいたりしました。

今年の合宿中は、個人的なことで色々あって、そりゃもう胸の奥でメラメラと青白い炎が燃え盛るような気分だったのですが、またしても皆さんに救ってもらった日々でした。

麻生ジャイアンツさんの仕事が無ければ、僕はきっと今ここにいないかもしれない、そう思う事が本当に多くあって、でも僕を救ってくれたあのグランドに行くことはもうないし、皆さんとこういう形で共に過ごす事も無くなっていく訳で、これからはまた自分自身で頑張っていかないといけないなぁ~ということを思ったりして、それを自分なりに消化出来た夏だったのではないかと思っています。

子供の頃、僕が生まれ育った旅館には高校野球の選手さん達が毎年春と夏にやってきて、自分が生活する所に泊まった高校が負けて帰ってしまうと、夏が終わったような気がしていました。昨年も今年も夏合宿が終わった後、その時と同じような気持ちに包まれました。

今年も無事に僕の夏は終わったようです。

合宿の打ち上げの席でも皆さんに言いましたが、夏合宿だけではなく、普段のチームの活動においても、お父さんお母さんの親の愛という支えがあって成り立っていると思うし、子供達にとってお父さんとお母さんは本当に誇りだと思います。皆さんと毎日過ごしていて、僕自身も親から受ける愛情に対して、自分自身がどうやって生きていかなければいけないのかを改めて教わったような気がします。最高の感動をどうもありがとうございました。

道具は大切に使いましょう!

桑田真澄さんより「日本のグラブの歴史はミズノの歴史であり、国内ナンバーワンのシェアを誇り、名プレイヤーがなぜミズノを選ぶのか学びたいから工場に見学に行くので撮影で同行して欲しい」とお話があり、僕自身もとても興味があったので同行させて頂きました。当日の様子はコチラで。

「グラブという道具」の共通のキーワードで本当にたくさんの話が出来て楽しかったですし、グラブから選手のプレイを追うという視点も新鮮でした。思えば桑田さんとはいつも色んな話をするのですが、道具を通じて自分が子供の頃に憧れたプレイヤーの話をしたのは初めてで、そういう切り口で野球の話が出来たのは感慨深かったです。

ミズノといえば“憧れの赤カップ”で、桑田さんが高三の時に手にした赤カップを今でも大切にしているとか、やっぱり聞いてて凄く気持ちの良い話でした。僕が今まで見てきて、桑田さんは一度もグラブを放ったことは無いし、常に大事に扱っていらして、そこも本当に尊敬の対象ではあるのですが、今回の工場見学後、「今まで以上に大切にしなければいけないと思った」という一言は深かったですね。それくらい工場の職人さんの仕事は素晴らしかったです。

いやぁ、本当に凄かったです。とにかく感動しました。何気なく使ってるグラブ一つに、本当に多くの職人さんの心がこめられていて、本当に丁寧な仕事の一つ一つで仕上げられていることを初めて知りました。
あれを見てしまうと、降板させられたピッチャーがグラブを放ったりするのを見るだけで嫌な気分になりますし、悔しがってバットを叩き付ける姿は本当にみっともないと思わずにいられないです。道具に責任はないですからね・・・。

きっと僕が普段何気なく弾いてるギターにも、そういうクラフトマンシップがこめられていると思いますし、大量生産品の中にも開発者のクラフトマンシップは確実にこめられている訳で、使う人のユーザビリティを追求して作られてる以上、使う人と作る人がお互いリスペクトしなければいけないと強く思いました。

仕事で使ってる大好きなカメラやMac、いつも気持ち良く鳴ってくれるテレキャスターに対しても、今回の工場見学の後、いつも以上に大切に使わなければという思いが強まりました。

皆さんも是非いつも使っている道具が、皆さんに手元に来るまでの過程を思い、大切に使ってあげてください。愛用品はかけがえないのない相棒なのですから。

D800で登山!

D800を導入しました。リリースされた時から気になっていたのですが、どこに行っても売って無かったし、予約して買うのってなんか嫌だし、良い出会いがあればと思っていたところ、仕事で行った京都でフラっと入ったカメラのナニワ河原町店で「D800ってありますか?」と聞いたら「あるヨ」と言われたので買っちゃいました。
実は以前もLEICAのM8がリリースされた頃、どこに行っても無かったのに、フラっと入った同店で「M8ってありますか?」と聞いて「あるヨ」と言われたことがあったし、D200がリリースされた頃、どこに行っても無かったのに、フラっと入った同店で「D200ってありますか?」と聞いて「あるヨ」と言われたことがあったので、なんとなく仕事に向かう途中から“あそこに行ったらあるんやろなぁ~”と思っていたんです。ビンゴでした。

そこまでの解像度は要らないとか、スペック云々でどうのこうのではないのですが、とにかくいつも仕事で行ってる保育園とか外ロケのタフな長丁場の現場でD3が重く機動性が悪いと感じていて、動画用に買ったD7000を使おうとも思っていたんですけど、とにかく画角に違和感があって、D700を買おうかなぁとも思ったんですけど、最近は動画の仕事も多いので、フルサイズで動画が撮れて機動性のあるボディということで、D800はベストな選択だったんですよね。

いやぁ、買って良かった。本当にそう思います。今年は設備投資しない予定だったんですけど、これは非常に満足度の高い投資でした。何よりもやっぱり動画用途としての導入としての満足度が非常に高いですね。今までのD7000とは全く違う質感ですから。何よりも僕が手がける動画に関しては、僕が撮る写真が動く!という物を目指しているので、常に出している画角で撮れるのは大きいです。そういう意味でニコンは選択肢が少なかったですからね。

という訳で、ボチボチ動画の仕事も増えてきていて、今月も今村チーフと共にイソイソと撮影に出かけた訳ですが、諸事情があって書けない案件ではあるのですが、某所よりご依頼頂いた仕事で、登山を絡めたイベント一日分の撮影があって、小学校の卒業遠足以来の登山を行ってきました。さすがにD800がくっついた三脚かついでの登山はキツかったのですが、登り切った時の満足感というか達成感はなかなかのもので、趣味で山に登る人の気持ちが少し分かったような気がします。ええ、分かっただけで僕もそれを趣味にすることはきっとないと思いますが・・・。

タフな現場ではありましたが、あがってきた絵にも満足出来ましたし、これから更に本腰を入れて動画に取り組んでいこうと思っておりますので、またよろしくお願い致します。

先日ご依頼頂いたスチルの撮影現場で動画性能を試す為に撮った動画です。手持ちで撮ったのでピン甘なのと未編集ですが、描写の素晴らしさはわかって頂けるかと思います。

ロード 2012 夏

7月15日にお手伝いさせて頂いている桑田真澄さんのNPO・アミーチデルクオーレの野球教室が盛岡で行なわれる為、カメラマン兼スタッフとして帯同してきました。
前回の仙台では、先方様とのやり取り等も担当していましたが、前回の時にNさんに引継を行なっていたので、今回はカメラマンとしての比重が大きく、気分的には楽でした。やはり慣れた仕事の方が良いですから。
そんな訳で、今回から色々素材を残していく上でも動画も有効だと思い、場面場面で撮り分けたりしながらあっという間の三時間でした。いつもながら素晴らしい現場を与えて頂き、本当に感謝です。
桑田さんと共に何度か被災地に行く機会があり、僕なりに出来ることを行なってきたつもりではあるのですが、いつもながら、行った先の子供達に逆に勇気をもらうことの方が多く、子供達のパワーにただただ圧倒されています。素晴らしいですね。
今回もあいにくの雨天だったのですが、元気に野球に取り組む子供達をファインダー越しに追いながら、ずっと感動していました。どこの空の下でも子供達の無垢な心は同じで、ただただ感動です。そして、そういう部分を撮り切ることが自分の仕事であり、子供達の心、呼んでくださった桑田さんの心に応える道だと思い、一生懸命シャッターを切ってきました。

当初、今回は日帰りする予定だったのですが、スケジュールが変更になり前泊することになりました。日帰りだと、始発の愛車N700系で東京まで行き、そこで皆さんと合流して東北新幹線で盛岡までという、片道5時間の道程だったので、日帰りだと一日10時間新幹線の中にいることになる訳で、さすがにどれだけ好きでもそれはしんどいなぁと思っていたので、僕にとってはありがたかったです。
結局、翌日も仕事が入ったので、東京から盛岡日帰り、翌日千葉というスケジュールになりましたが・・・。
ただ、今回は抱えている仕事も多かったので、車中でもホテルでも殆ど仕事をしておりました。常宿にある温泉にはたっぷり浸かりましたが・・・。

帰る日は、今年も依頼された麻生ジャイアンツさんの夏合宿のツアコンの仕事で、遠征先の千葉県の勝田台という所まで行ってきました。知らない街に行く為に電車に揺られることは嫌いではないのですが、一人で揺られていると本当に色んな思いがこみ上げてきて、少しだけ切なくなりますね。それが旅というものだと、四十を過ぎて知りました。センチメンタルジャーニー・・・伊代ちゃんはそれを十六歳で理解していたんですね。

打ち合せも無事に済ませ、帰路につき、東京駅から愛車N700系に乗り込んだ時は、さすがにヘトヘトでした。一昨年は36回、昨年は48回乗った愛車ですが、今年はロードの数を減らしているので、昨年ほどの“当たり前感”がなく、昨年は“非日常が日常”だったんですけど、今年に限っていえば、本当にただの“非日常”なので、それなりに疲れましたね。旅慣れてはいるのですが、久しぶりだと効きます。

それでも、知らない街に行くことは本当に楽しいし、そこでたくさんの方々と出会えることは本当に幸せなことです。長らくJR芦屋駅前を一切動かない生活をしてきたので、今のような生活をするとは全く思っていなかったのですが、今までよりも確実に幸せなので、それで良いと思っています。そのまま行けばそれなりの道があったのかもしれませんが、自分で道を切り開いていく生き甲斐を感じることは出来なかったと思いますし、捨てなければ得られず、飛び出したから見えることがある訳で、進むも地獄とどまるも地獄ならば、僕は迷わず進む道を選びます。全部自分に返ってくる生き方の方が僕には合っていると思いますし・・・。

そんなことを色々考えていた今回のロード。やはりたまに出ると考えることが多くなっちゃうんですよねぇ。いつもロードに出ていたら、そんなことを考える余裕も無いですから。余裕があるということは良い事なんですけどね。

今回、Nさんのご好意で、スタッフを送って行った帰りに遠回りしてスカイツリーを見せてくださったんですが、あそこまでデカいと恐いですね。なんか怪獣映画の感覚というか・・・。ただただ恐い、そんな感じです。
僕はやっぱり常宿から見える東京タワーが好きです。その佇まいも色も、そして名前も・・・。
部屋の窓から東京タワーを見ながら夜はビール、朝はコーヒーを飲み、非日常を楽しむ、それが僕にとってのロードの原点なのかもしれません。サラリーマン時代から一環してここに来てここから仕事に向かっていく、そんな場所ですから・・・。
今年の夏のロードはこれで終わり(にしたい!)ですが、そこで原点を確かめることが出来たのは良かったです。呼んでくださった桑田さんに感謝しています。